連載【第067回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare III: 〈magnetic material〉1

 nightmare III

 〈magnetic material〉1
 空中を高速度の地下鉄が走っている。高層ビルをつないで銀色に光る電車が建物内のプラットホームで停まると、乗客はあわただしく吐き出される。監視カメラのアングルがかすかに変わり、レンズが光った。私は顔の角度を変える。
 駅ビルはアール・デコ風の建築で、薄緑の壁面と乾いた控えめのピンクの飾り枠が全体の基調となっており、ゆったりとした階段の敷石には乳白色の強化プラスチックが張り込まれている。大理石を模した重厚な趣きの階段の両側には昇降別のエスカレーターが備えられ、プラチナ色でコーティングされた手すりがステップより早く巻き上がる。建物は巨大な中央ホールが天井まで吹き抜けになっていて、モスク様式の天井にある明かり採りの円窓からは、時刻に応じた自然光が注ぐ。天井全体は十二角錐で、壁との間に配列された切石で支えられ、区分けされた十二面には、ミュシャの図像から想を得た黄道十二宮の金箔のレリーフが展開されていた。
 中央の大空間を囲む各階のフロアの、グラウンドの次の階から数えて十二階に高速地下鉄の駅がある。階段を上った各フロアの正面入口には、重苦しい鉄錆色の金属の台座上に、透明で不規則な形状をしたクリスタルの氷塊状の彫刻がある。氷の底部は台座の固まる寸前の鉄鋼が作品と融合しているかのようで、抽象表現の立体自体はまさに凍りついた水晶の内部世界だ。この緻密で澄明な標本ケースには、稀少な深海生物のような、気味の悪い異形の生物が封入されていた。まるで地球外生物、あるいは宇宙人の生体標本がそのまま埋め込まれた未来の棺桶、まさしく骨董的美術品なのだ。
 階段を下りながら、このとき、影のように得体の知れない亡霊の気配を感じていた。私は誰かに監視されているのか、それとも私自身が剝かれて、異質の生き物に変成させられようとしているのか。
 このグロテスクな高層美術館のエントランスから抜け出ると、舗道はなだらかな上り坂へと通じている。広い車道を挟んで、商業地区にはシアターやショッピング・センター、レストランや大小のギャンブル・サイト、大音響のロックとジャズ、宣伝カー、客引きの怒鳴り声、サンドイッチマン、ピエロと路上音楽、どぎついファッションとメーキャップの少女たち、換気口から吐き出される屋台や食堂の煙、刺激的な匂いが混在し、街路に充満している。そして、その喧噪を目指して、周辺の街区から身動きも取れぬほどの人々が押し寄せる。通行人や建物の後ろに隠れて、得体の知れない何かがくっつこうとしているのだろうか。人々の背中一面には、平たく延びた磁石が貼り付いていて、怪しい視線を呼び込んでいるのかもしれない。いつしか、私自身がその磁性体となってくるくる回転し、人々の背中を移動しているのだ。(つづく)

連載【第066回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈negative symptom〉3

 nightmare II

 〈negative symptom〉3
 幼児化とエセ芸術はグローバルな経済現象だ。金を増やすことにしか頭の回らない連中は、脳味噌の使い途を忘れてしまったのだ。だから、単純な刺激とあまりに単純な欲望に取り込まれる。同時代に生きているほとんどの人類のことが見えずに、忘却を決め込んでいる。模造品や玩具、美術館や銀行ごっこ、オリンピックやSMごっこ。
 奴隷の国の次は人形の国だ。幼児にされた大人たちの、赤ん坊の脳味噌で造られた国。威張った白い豚どもがよだれを垂らし、舌なめずりしている。人形たちのあふれた館の惨劇。頭と手足と胴体と内臓が散乱する。幼児化現象は急速に周辺国に広まり、地球は幼児の脳味噌であふれ返る。人類の成長はもう限界だ。金髪と刺青の日本人形と鞭がトレンドなのだ。そして、さらにさらに幼児化していく。幼児化が高度化していく。赤ん坊の脳味噌に先祖返りして、脳味噌が無数の虫になって這い回る。

 広い公園を包み込むように周囲の高層ビル群が尖塔を燦かせ、その外側を高速道路や立体交差が入り乱れる。どこの国の首都にも川や海を跨ぐ大規模な橋が架かっている。しかし、中心にはツインズの塔が(くずお)れた永遠の空き地がある。乗客を弾込めした旅客機が突き抜けたバベルのある街。それでも、コンピューターとメディアの幻影が漂い、いまだ残骸を覆っている虚飾の都市。五大湖ばかりか、原子力発電所から流入する夥しい電気現象のトルネードが高い塔の電飾となって巻きつき、巨壁に貼りついた多次元映像はループを繰り返す。欲望をそそる孤独な看板たちのマスターベーション。

 ファシズムの亡霊が何度も立ち現れる。白髪を振り乱し、狂乱的に瞠目したままの、半死体のゾンビーだ。侵略と奴隷商人、王族を名乗る吸血鬼。暗黒の未来が待ちうける駅頭では、空疎な演説が反芻され、恫喝と血の涙で間抜けな群衆をころりと瞞着し、大量の人形を運ぶ死の電車に送り込む。集団自殺の勧誘、集団処刑、ガス室への嚮導だ。鉄格子の車窓には、死者たちの名さえ判読できない無数の骨壷が列なり、催眠術に誑かされた人形たちの薄い影がゆらゆらと重なって揺れる。

 動物も植物も生命維持と繁殖だけにいそしんでいる。どのような仕組みの命令なのか。どのような従属なのか。どのような奸計。幸福と不幸の禍い、呪い。自由などどこにもない。だれも、ひとりのために生きてはいない。そんなことを考える遺伝子など組み込まれていないのだ。(悪夢II〈陰性症状〉)

連載【第065回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈negative symptom〉2

 nightmare II

 〈negative symptom〉2
 暴力と悪徳にまみれた略奪者と閨閥と豪族がシードとなり、原始宗教というペテンと祭事と搾取が支配の礎となる。富や貴賤や貨幣が生まれたときから詐欺師が横行し、法や国がでっちあげられる。国家とは幸福な家だとされるが、それはでたらめだ。国家はあらゆるものを奪うためにあるのだ。

 国家公安委員会は公正さを必要としていない。盗聴、盗撮、密告、恐喝、詐欺、謀略、買収、饗応、不義密通、監視、スパイ活動などの悪辣な手口を駆使して強引に罪人を拵える。警察権力を用いて不当逮捕、拘束、投獄、拷問、殺人はもとより、懲罰、報復、制裁など、陰惨な暴力を駆使する。罪と罰を定める神などいないし、奴隷の主人を詐称する権力者がそんな権能を持つことは許されないはずなのに。権力の下僕は国家に媚びるあまりに、悪徳と暴力を背景に支配の拡大に邁進する。それが司直の貪欲な勤勉さなのだ。

 民主主義という自縄自縛の政治体制は、どこまでいっても一部支配層のガバナンスでしかない。所詮、代議制であれ、多数決であれ、ただの支配の方策にすぎない。支配されるマイノリティは必ず存在するのだ。制限された自由などという詐欺的なすり替えとともに。
 法律とても、理想を守るものにあらず。正義という詭弁に守られてもいない。法は裁判官という官吏の所管なので、権力の均衡あるいは三権分立どころか、権力の合従連衡、三権の鼎というべき国家権力を支える柱なのだ。横暴な権力と横暴な裁判。法の正義という妄想。連綿とつづく国体の足跡が示すもの。そこには無辜の人民の磔柱だけが際限なく立ち並ぶ。
 裁判所は処刑の地獄門だ。無罪であろうが、有罪であろうが、お構いなしだ。司法の都合で刑罰を与え、闇に閉じ込め、共同墓地に放り込む。皮剥ぎの刑、鋸引き、斬首、絞首刑、銃殺。薬殺。電気椅子。撲殺、殺人、人体実験。大量殺人、ガス室送致。裁判所は国家犯罪に加担している。

 さらに操作と監視はつづく。奴隷化はつづく。自由などない。ラッシイ青年はマレー語で、大航海時代から白人は全知全能の悪魔への道を突き進んだ、と断罪する。少年コサールは、イギリス人は仮面をかぶった悪魔、フランス人は偽物の法衣を纏った猿、アメリカ人は性病にやられた白豚だ、と吐き捨てる。キリスト教の全歴史がそれを物語る。アラビアンナイトの闇は深いのだ。(つづく)

連載【第064回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈negative symptom〉1

 nightmare II

 〈negative symptom〉1
 何日も何日も寝てばかりいる。私はまるで植物だ。ここからはどこにも出られない。頬がこけ、青白い顔にどんよりした眼球が落ち込んでしまって。それでも、ただ動かないでいるのが、穏やかな暮らしなのかもしれない。多少の感情の起伏は生ずる。バイタルサインは平板化していき、思考の力が衰退しても気にならないほどには。
 しかし、植物でさえ、虫類や風の流れに花粉や種子を運ばせ、根を伸ばして地中から栄養素を摂取する。自発的に活動しているのだ。植物に神経線維の代替機構があり、自己と他者を区別し、他者へ働きかける能力があるとすれば、私は半死体だ。気力も意欲も失せた亡霊にすぎない。
 私は死人の嗅覚で窓枠の位置を探った。糸月(繊月)の青い匂いがこの部屋に侵入してくる。匂いの糸が撚られて首吊りの輪を作る。さすがに、ここにいては本物の死体になりかねない。裸の肩がガクガクと震え、全身が瘧のように高熱に包まれていく。ここから脱出しなければ、床石に貼り付いた死んだ影だけになってしまうのだ。私は条虫のように平たい体をくねらせて、壁を這い回った。パイプを探していたのだ。石室に隠された空気抜きの穴を見つけようと。線虫の細い体になってここから出ていくのだ。魂を捨てようとも。

 巨大空間ディスプレイは、窃視カメラを通じて、都市の裏側を映し出していた。
 いかにふしだらで、能無しの女であるか、空洞だけであるとか、裸になる順番を間違っていたり、歪んだ体であったりを。その中を他人の考えが忍び込んでくる。どう振る舞うべきか分からなくなる。
 抑圧と反抗、テロルという世界の裏表。危険な路地の爆発物。威嚇する銃声、ミサイルの飛翔音。戦争が始まっている。殺戮者のための歴史教科書が書き継がれていく。
 兵器は増加する、増大する、高度化する。化学兵器から核兵器の数々、機動戦闘車、戦車、ミサイル、戦闘機部隊、空母を中心にした艦隊と重爆撃機。敵と味方の入り乱れた軍需産業、武器商人の経済活動が死体を量産する。
 抑圧された人々の民族大移動。死者も、難民も、孤児も、川で溺れ、海で溺れ、爆撃と処刑。自由も、生命も、愛すらも汚される。悪魔の価値だけが暴騰する。暴騰するのだ、人民はただの貨幣価値として。土地を強奪され、打ちのめされ、増殖する裸足の人々、放浪する人類。(つづく)

連載【第063回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈dismantle〉

 nightmare II

 〈dismantle〉
「あたしが病院送りになった原因を作ったあの兄弟は右翼に違いないから、あたしが国家を愛していないばかりか、国家を害していると決めつけていたのよ」
「放射状になった病棟の中央管理所は古くさい時代の残滓だ。それでも秘密の暗号(エニグマ)は残されている。弱者を育て上げる方法のことだ。男だとか女だとかということではない。調教師か獣かということだ」
「弟の方は、国賊でも国土は愛しているはずだともっともそうに述べ立てている」
「はるか彼方の海峡では赤潮が渦を巻いているが、ここを渡り切らなければ、食用の魚類は生き残れない。漁師として片足を突っ込んでしまったからね」
「しかし、あたしはこの国で生まれたわけではないわ」
「何をごちゃごちゃと。今さら寝たふりをしても、あいつらはやってくるんだぜ。早く目を覚まさなければ」
「なぜ、国家に従い、国土を愛する必要があるの?」
「生まれたばかりの赤ん坊が百万人、飢え死にしそうな年寄りが一千万人。妣が国とはどこのことだ」
「制度的に、あたしはこの土地に寄生している民族の一人なんだけれども」
「たしかにバクテリアは寄生生物だが、アメーバや粘菌類は自立しているとでもいうのか」
「土地に寄生していない人間など、だれひとりとしていないはずよ」
「私は悲しくなってしまう。腹ぺこなんだ。食餌制限ばかりしているからな」
「世界中、寄生虫ばかりだわ」
「ふふふ。地震の後の原発事故の終わりのない連鎖は、もうどうしようもない。悪人だって、往生できないさ」
「あれは犯罪、あいつらの財産を残らず吐き出させて、監獄にぶち込むべきよ。あたしは寄生虫の集団に、一方的に制度を押しつけられ、税金を強奪されているのよ」
「いったい、君は何をしていたのだ。何を隠して、何から逃げて」
「地球の土地を、山川を、海を、勝手に収奪し、分割支配した権力者はただの泥棒集団なのに」
「ほほう。なんてことだ!」

 いきなり予防検束という理解できない理由で、あたしは拘禁された。犬のように両手を使って駆け回っていたから、なにか悪巧みをしているのだと決めつけて、留置所に繋ぎとめたのだ。いつの間にか法律が変わって、検察官の思いつきで罪状が捏造され、白昼堂々と市民社会から抹殺されてしまうのだ。反抗したり、拒絶すると、後ろ手に縛られ、天井からロープで吊り下げられる。それから、共犯者として、友人や同僚たちの名を告白せよと迫るのだ。拘束が不当であっても、周りの人間ごと隠匿してしまえば、誰にも知られることはない。あたしは椅子の上で両足を抱えてうずくまる。何という犬だ、断じて猫ではない。(悪夢II〈解体する〉)

連載【第062回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈hallucination〉

 nightmare II

 〈hallucination〉
 病棟にいたときに、あたしは、未来とも過去とも、あるいは別の次元、別のあたしの人生を見ていたことがある。
 急に目の前がぼんやりして視点が定まらなくなったときのことだ。椅子から立ち上がり、気分を落ち着かせるためにラム酒(のつもりで黒い酢)を啜った。空間が歪むように、脳作用の内部に何か空洞でもできたのだろうか。指先の神経まで緩やかに麻痺が達した。精神と肉体が不思議なほどばらばらに離れていた。泥酔していたのかもしれない。自分自身がどこか別の次元を移動しているかのように。しかし、骨格は鈍い軋り音をあげるばかりで、声を出すことも、身ぶりで何かを示すこともできない。その空間では、あたしが見ていたあたしは、確かに男だった。
 あたしであるはずの男はキャンバスを100号の木枠に張り付け、油絵を描く準備をしていた。そして、あたしの方を振り返り、だれかが覗いている、と呟いた。それであたしは彼の頭の中が見えたのだ。またあの女(あたしのこと)が切れ端でものを考えている。時間だって切れ端だってことを知りもしないで。さらに頭の中では脳味噌がいくつかの塊に分かれ、それぞれ別のことを考えている。つまり、あたしは別々の人格が見えていたことになる。それらの人格はその頭脳を通して、さまざまの人間に見えるあたし自身を見ていた。
 あたしはふっと、それら見ることのできるすべてのあちらの人々に乗り移るような気がして、こちらの場所から動くことができないでいた。あたしは粉々に分かれていく。分解されていく。嫌な感じだ、やはりとても嫌な気がする。あたしは、いったい何を見ていたのだろう。何を体験しているのだろう。どのあたしがあたしなのだろう。どの人生も、あたしは忘れてはいない。いつだって、思い出しているのよ。いつだって生きているのよ。(悪夢II〈幻覚〉)

連載【第061回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈stigma〉

 nightmare II

 〈stigma〉
 私は、不定形なビル群の個々の壁面ディスプレイに表示される巨大な顔たちが、ただひとりの、無彩色の暗黒の布を巻きつけた女を監視しているのに気づいていた。しかし、単つ眼の海鼠のような女は、痛めつけられた腔腸類が、黒い皮の内部でシェークされて分解されるように、ぐにゃぐにゃと形を変え、さらに外皮さえ溶け出して、ついには細胞それぞれに存在する核が無数の眼となって、巨大広告の幻影たちの全体と細部を監視する。
 私も、以前、近所の悪漢たちを監視していたことがあった。古い一本道の真ん中のあたりに、そのころ住んでいた仕舞屋(しもたや)がある。長いこと独りで静かに暮らしていたのだが、このとき妙なことが続けて起こっていた。
 その貸家の入口に毒殺された猫が放擲されていたのだ。そして翌日には、玄関の引き戸から刃物で裂かれた猫の手足が放り込まれていた。問題なのは、それから三日後の真夜中に、数台のバイクが家の前で急停車し、複数の人物のドタドタという足音がしたかと思うと、乱暴にガタガタと玄関をこじ開け、すぐに爆音を発してバイクが一本道を奥へと通り抜けていったことだ。
 私は襲撃されると思ったので、物陰から玄関の様子を窺っていた。悪漢たちが去った後には、鴨居にぶら下がってゆらゆら揺れるものが残されていた。灯油で濡れた頭が縦に割られ、裂けた脳味噌から光る液体を垂らして、ぶら下げられた猫が揺れているのだ。土間にこぼれた油には弱々しい火がつけられ、その炎が揺らめいていた。
 道外れのバイク店の兄弟が、当時、他所者の私に目をつけていた。家の前を通りざまに、卑猥なことを口走ったり、ブツブツと悪口を言い捨てていた。私は、あの兄弟がいよいよ攻撃を始めたのだと思った。

 私は護身用にナイフを用意した。それを察知したのか、すぐに毒薬が部屋の中に撒かれた。彼らが侵入して、白い粉を部屋の隅々に撒いたに違いない。私はナイフや包丁を数本、腰に括りつけ、バイク店に出向き、抗議をした。相手は獰猛な兄弟だ、私は刃物を振り回した。
 その兄弟は二人してこの地方の暴走族に属していた。私がふらふら暮らしていて、わけの分からないことをあちこちで吹聴していたためなのだろうか。兄の方は、あいつは国賊だといい、弟の方は、いかれた汚いメス犬だといっていたようだ。私を女だと思い違いしていたのかもしれない。彼らは油にまみれた泥だらけの手で、女の私を蹂躙し、床下の穴に埋めてしまうことを計画していたに違いない。二人の男たちがひそひそ相談する声が固まりとなって、私の耳元に届いていたのだ。
 半狂乱になっていた私は警官隊に包囲され、何人もの男たちに乱暴に取り押さえられた。そして、明け方近くには精神病院に送致されていた。統合失調症で保護したのだと医師から言われ、妄想構築があると強圧的に断定され、渋々肯定したのだが、そのことは心の底に氷のようにしまっておくことにした。いつか復讐するのだという怒りとともに。(悪夢II〈スティグマ〉)

連載【第060回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈arabian night〉2

 nightmare II

 〈arabian night〉2
 その日は昼前から朦朧としたまま、半日が過ぎた。migraine aura(閃輝暗点)のギラギラした太陽は視野から薄れ、片頭痛と脳血管のバイブレーションが続く。気がつくと、巣穴から弾き出され、都心部の雑踏へと吸い込まれていた。
 次第に人混みが増殖していく街角。ショーウィンドウに映るあたしは、ニカーブで全身を覆ったムスリムの一人の女だった。全身に、レースの刺繍に透かしの入った暗黒色の薄いシルクを重ねて巻きつけ、ニカブは人工光に映えて絖りさえを帯びていた。頭巾の隙間から覗くあたしのメーキャップは、上瞼を燃えるような赤いアイシャドウで念入りに下塗りされ、濃く長い眉毛を際立たせるため銀粉のシャドウにグラデーションが入っている。どんな男でも引きずり込まずにはおかない双眸の深奥が妖しく光る。眉の周り、目尻、顳顬(こめかみ)のあたりに、金属の光沢のある微細な模様が描かれ、獲物を狙う肉食動物の危険な眼差しが潜んでいる。夜が深まるにつれて、ウインドウを鏡にして乱反射するニカブの頭部の、左右の瞳がひとつに繋がったドーナツ形の美しい隻眼がこちらを凝視していた。
 ニカブに包まれたあたしのからだは、黒い虫の群れに蚕食されて、表も裏もない平面に押しつぶされているのかもしれない。あたしが都会の中をふわりふわりとあてどなく歩き回っているのは、自己交差したクラインの壺のように、四次元の世界面が三次元物体に見えているだけなのだ。あたしは黒い虫たちに侵されつづけ、永遠に裏側へと逃げようとしているのかもしれない。
 それは強欲な表側の世界が許せないから? あいつらは、裏側には逃げ場があるぞとけしかけて、回し車のリスのようにあたしを追いつめていく。自由があると信じ込ませて、自由を奪っていく。(悪夢II〈アラビアンナイト〉)

連載【第059回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare II: 〈arabian night〉1

 nightmare II

 〈arabian night〉1
 あたしは長い睡眠障害から薬物への傾斜を深めていく。いつのころからか、体がだるく感じはじめ、次第に関節のいくつかが軋み、そのうちに頭の内側と外が乖離していく感覚が訪れていた。体の表面からは鬱状態が蒸気のように発散し、頭の内部では分断された夢に従って脳組織の部分部分に妄想状態の塊がどろりと湧き出していた。いつもベッドに忍び寄る恋人からは、ブルーな女だと言われていたような気がする。
 あたしはなんとなく青いイメージが気になってしようがなく、指先を気取った形にして、大麻を巻いた細いシガレットを口元に持っていくようになった。淡く烟る青いオーラ、その皮膚感覚。でも、じきに半覚半睡の状態で四六時中うろうろするようになった。昼間はそれでもなんとかしのげたけれど、夜の静けさの中では、心臓が凍りつくような恐怖に苛まれた。そして、取り憑かれたようにさまざまの薬物に蝕まれていく。
 ある日の夜中、あたしのからだに小さな黒い虫が這い回っていた。虫はいつのまにか仲間を集め、ベッドを覆っていく。あたしのからだの穴という穴に次々と入り込んでくる。いつもいる恋人が三人に増えている。あたしが声をあげても、体をくねらせても、黒い虫はますます増殖し、寝室のあらゆる空間を埋め尽くしていく。部屋の壁は異常なまでに膨らみ、破裂して、黒い虫たちとあたしのからだの分子構造をバラバラに解体し、撹拌し、エントロピーに従い、インフレーション爆発を起こそうとしている。

 あたしは薬物中毒から、いつしか統合失調症に陥っていた。薬物はドーパミンとセロトニン系に変わっていた。けれども、自覚的には統合失調というより、人格障害のような気分がする。多重人格傾向とでもいうような。現実と現実ではないものとの境界がよく分からなくなってきていた。仰向けになったあたしの背丈が倍の長さに伸びて、ベッドは水平に部屋の隅まで広がり、室内の床が厚いベッドマットに覆われていた。
 あたしの膨れ上がった裸の巨大な足から、足指がぽろりともげて、ベッド上に転がる。つづけて、足首から肥った足が離れていく。からだの部位が独立していくのだ。壊れた人形のように、あたしは脳の内部の世界に深く落ち込んでいた。それはDNAシステムの専制への抵抗、身体機構の抑圧に対する反乱の烽火なのかもしれない。あたしの夢は、連続して分化していく。その部分が、あたしを取り巻く世界を通り越して、いつしか世界を包み込んでしまう。あたしは息を吹きかける。あたしの夢を飲み込もうと。
 黒い虫たちの持つ鋭い牙、毒液を充填しているその尖端。恋人たちのナイフがあたしのからだに同時に食い込む。黒い唾液からは麻薬が滲み出ている。ダークネスそのものの蠢きが重なり、布のように覆い、からだの表面から内部に沁み込み、あたしは暗黒の塊、マッスに凝縮する。頭の芯が見えない。(つづく)

連載【第058回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: nightmare I: 〈immersion〉

 nightmare I

〈immersion〉
 ドーパミン系とセロトニン系の機能調節が不順なのだろうか。順調にいっていれば、統合能力が低下するはずはない。だが、私の世界観はますます傾斜していく。薬物からの離脱など、許されるはずもない。私はますます依存を深めるのだろう。私ははとどまる者。狭い部屋でうずくまり、動くことを自らに禁じた精神。分裂することを禁じた人格。私は環境に捕縛されている、人間の皮に押し込められている。細胞膜に閉じ込められている。人間というもの、その外側の世界という妄想を構築してしまった、静止した精神なのだ。

 あの夜、病院に閉じ込められたと電話してきた男は、ここから助け出してくれと哀願した。何者かに襲撃されて刃物で渡り合っていると、警官隊に囲まれて逮捕された。あげくに精神病院に放り込まれたというのだ。数日後、向精神薬を服用させられた男は、警察が「一人で暴れていたので拘束して、措置入院させた」と言うが、自分は確かに襲われたのだと電話口で繰り返した。その男は、その後数年間、入退院を繰り返したが、そのときの事件を事実だと信じたまま、薬物に没入するように死んでいった。
 私がその男の死を感知し、ネットワークを使って調査していると、彼の死について情報を持っているという人物に行き当たった。だが、その人物は、本人が病からは回復したと言っていたとし、死の状況については詳細が分かりしだい知らせるということだったが、何も音沙汰はない。その人物のことまで、私の妄想構築だったのかもしれないが。人形の中に人形が入る、重なりつづけて入り込むひとがた。精神のひとがた。(悪夢I〈没入〉)