草稿●相反する類似

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――層状宇宙。
 宇宙面を球体の表面になぞらえたとき、この球面が重層しているとすれば、重なるような形で膜状宇宙が複数、波のようにゆらめいて存在しているというイメージが浮かぶ。物質の発生が、真空のゆらぎから物質・反物質の量子過程を経るとするなら、この高エネルギー状態の真空がその前提にあると考えることは無理なことではない。
 この真空が無から量子論的に発生していると見なせるなら、重力の総体は無と真空との間にわたるのではないか。これは、真空を球体にイメージすると、この球体の芯から物質・反物質の球面が生成され、重力は分裂して球面エネルギーと関与するに違いないからだ。
 これらの物質が、確率的なゆらぎによるインフレーションで現在の宇宙面を形成していく過程であるとすると、この宇宙の因となる真空の内部にある全重力に対称的な反重力エネルギーが生み出されて、新たな原因物質が生成され、これがさらに副次的な宇宙面を現在の宇宙面の球内に生みだしていく。これらが重層的な宇宙面となり、膜宇宙をなしていく。
 インフレーションの規模は不確定であり、空間速度はこの宇宙面をしのぐ可能性がある。もしくは超えることはないのかもしれないが。

 翻って、真空というエネルギー体は無から量子論的過程を受けるのであるから、これもまたある統計的な確率で登場するはずである。
 パラレル宇宙は、物質‐反物質過程、宇宙の対称性、真空を根源にした層状発生、無から断続的に生成するパルス真空体などの形でつくり出されるというアイディアを誘き出す。

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草稿●チューブリン

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 素粒子が磁気嵐の中で散乱していく。存在はスライスされていく。反粒子と反存在が散乱しながら充満する。エントロピーとはこれら双方向性についてのそれぞれの見方ともいえる。見方自体が宇宙の内容物を満たしているのだ。
 ところで、私たちは何を見ているのか? 対象物を確定するというよりも、〈見方〉を見るのである。そして、見方自体は増殖する発見であり、私たちはどこにいても幼児の眼球なのだ。つねに終末の際で断崖に身を投げ出そうとしている瞬間そのもの。あわい。あるかないかが混合している過程自体。氷の膜に、あるいは炎の緞帳に閉ざされ、その向こうへ通り抜けることなどできぬもの。
 私たちという眼球の意識が個別の生命体の範疇にしかない単なる代謝物にすぎぬものなら、その発火物というべき思考もまた、やはり時−空、宇宙の外部へと通り抜けることは不可能なのだろうか。
 しかし、思考が波動関数の及ぶ領域にある物質過程だとすると、トンネル効果によって宇宙ではない向こうに現れることはできないか。つまり、量子的ふるまいによって。

 全生命がじつは一個の単一生命体であるとする場合も、生命体の意志というものは、意識の統合的な抽象幻想といえるのではないか。ここでは死というものも、生命が一個でしかないのだから、生命体の消滅ということでしかない。
 生命に、生存と生殖、遺伝などという概念は無効なのである。生命樹のすべての歴史も一個の生命体のひと息にすぎない。
 だが、思考は選択意志を持つ、量子的、物理的存在。自立的だが、何かの構成物となりえても。

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草稿●夢のつづき

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 もうひとつの夢から逃れようというのか、だれのしわざか、肩先から吐息がふっとこぼれ落ちてくる。直観が破片のように舞い降りて、あるいは霜柱のように湧いてくる。
 それからしばらくすると、細胞間通信ということばが浮かぶ。生命システムが私を唆しているのだろうか。少なくとも生命システムが支配する範囲では、神経線維(ニューロン)がその回路を通じて、生命機能としての意識を生成、組織化しているに違いない。私はそのときまで、意識は機能の抽象化ではなく、生命体の断片のつらなりであると考えていた。しかも、それは物理断片ではないものを。
 たしかにニューロンはどこまでいっても細胞組織だから、それは連続する細胞間通信の生命体組織だ。個別の細胞間通信自体は単一情報の断片だが、ニューロンは〈流れ〉を構築する流体構造物なのだ。

 意識がその断片、あるいはそれらの流体構造そのものであるとはいいえないが、意識が身体に依存していないとも断定できない。身体という概念が生物構造体を示すならば、神経システムがその支持構造のひとつであり、神経細胞が基底の単位組織であり、意識の流れ(連続性、非連続性)がそれらと密接に関係していることは疑いようがない。しかしそれでも、意識の生成自体がこのシステムに起因しているのかどうかは疑わしい。
 そして意識の基底単位についても、それがシステムの下位構造であるのかどうかをさらに問うべきではないのか。少なくとも何か属性的な機能、あるいは神経細胞の活動の結果という抽象的な代謝物ではないのか。それは細胞サイズの器官における事象ではあるが、ナノレベル以下の物質過程に関係しているのかもしれない。細胞間通信機能の中で醸成される抽象的反応のかたまりは、たしかに細胞活動の付属成分だが、この属性の代謝を主導的に牽引するのは、物質の物理現象が普遍的に発生し、絡み合い、確率的な世界が濃密に現れるからではないのか。

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草稿●遠いところ

 たしかに生命は自己複製、自己増殖が可能な有機的生物を対象にしたもののように見える。そして、有機的な生物は脳神経系統を基軸に、化学反応による電磁気の信号によって情報交換がなされている。また、細胞間、遺伝子間で未知の通信がなされているかもしれない。それらの情報は、生理、感情、感覚、知覚などに分類され、脳内レベルで意識として統合されているのだろうか。さらに、その過程で切り捨てられる、意識になる前の意識の素材と断片、脳内の使用前の意識領域、リセットされていない意識領域――。
 私はコンピューターの物理的なイメージに近づきすぎているのか。

 私が問題にしているのは、意識が身体構造に支配されたものなのか、細胞それぞれに起因するものなのか、それとも意識は意識として自立しうるのか、ということである。つまり、生命とはどこまでの範囲を指すのかという問題。生命は時間と空間に関与しているのか、宇宙と直接的にも間接的にも関係があるのかという物理問題。
 さらに、次のような疑問にも突き当たる。

――意識は生命体にしか存在しないのか。
 情報システムとして考えると、自立的ではないにせよ、コンピューターのような無機的な物体も存在している。もちろん、生理、感情、感覚、知覚、意識などは備わっていないから、これをもって生命系と比肩するわけにはいかない。
 しかし、ほんとうにそうだろうか。有機的生物の生理、感情、感覚、知覚、意識などは機械に替えがたいから、これをもって自立型生命を証明できるといえるのかどうか。なぜなら、生理、感情、感覚、知覚は化学反応であるから、電気的信号で処理できると考えることはさほど困難ではないからだ。

――問題は意識であるのかもしれない。
 私は、肉体と身体に対して、意識が自立的な存在かどうかに疑問を抱いている。なぜなら、意識も肉体がなければ存在できないからだ。意識も脳神経機構がなければ現れることは不可能だ。だとすれば、結局は肉体と身体に属しているものなのではないか。身体機構が滅びれば、消滅してしまうもの。少なくとも細胞がなければ存在しない。意識は永遠ではないのだ。少なくとも生命体とともに滅びる生物学的物質らしきもの。
 しかし、だからといって、無機物に意識のようなもの、つまり判断したり、あるいは意思があるのかないのかなどと、決めつけられるものではない。ここにきて、私は何を示唆したいのか。

 意識は存在の本源には関与していない。私は、意識は生命体の機能であって、この意識を作り上げる生命とは無関係な核のようなもののことを考えているのだ。脳細胞は、生命体は、そのような物質を利用して意識を発生させているのではないか、と。
 私はさらに考えを進める。生命体は意思を持ってはいない。意思は生命とは別のもので、個々の存在は生命とは別の次元のものに根拠を持っているのではないかと。そこではじめて、私たちは物理的自然、物理的宇宙と結びつくことができるのではないだろうか。

 ところで、意識は身体機構に隷属させられているものかどうか。それとも肉体に密接なものなのか。あるいは私の考えているものは無意識ということなのか。これは精神と言い換えても同じなのだろう。
 問題は、それらが解放されるべきものなのか、独自の存在なのかということにある。
 自立した肉体。自立した意識。強制によらずに自決できる存在として。

棘の海――「dance obscura(仮)」へ

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棘の海――「dance obscura(仮)」の一章に用意された散文詩

 わたしがその兆候に気づいたのは、東南アジアの古い都市の旅から帰り着いてすぐのことだった。眠りから目覚めると、後頭部に何かしらの違和感を感じたのだ。簡単な打撲だと思ったのだけれど、嫌な気がしたのも確かだった。内部に向かった棘、触るとぐにゃりとしていて。
――わたしが肉体のゆらめきなのか、意識のゆらめきなのか。そのどちらでもいいし、そのどちらでもないのかもしれないわ。
 棘ということばから、わたしはとある大腸ガンの顕微鏡映像を思い描くのだが、頭部の細胞はなおもわたしを深く攻撃する。

 あなたからの国際電話の数日後にクリニックに行き、何軒かの病院を回り、大学病院の脳外科で腫瘍があることが判明した。
――たしかに細胞は、細胞膜という皮膜とその内側の物質で作られた肉体の基本単位なのかもしれない。けれどもその内部は物質ではなく幻想という内容物なのかもしれないのよ。
 わたしのこの女性的な感覚とは異なって、あなたは肉体を単に生命装置の発現だと考えているのね。生命の実現つまり細胞レベルでの分裂・増殖の正のベクトル、そして生命活動の抑制という負のベクトルを持つ調整装置だと。

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