作成者別アーカイブ: 緑字斎

未刊行詩集『空中の書』12:

夕暮どきともなると、樹々のざわめきの奥に見え隠れする獣の対になった姿をみとめることもある。
館まで小一時間ほどの細い道を、そんな獣たちの挙動を盗み見しながら登りつめてゆくと、さほど高くない丘の頂が手の届くような近さにあると思われて、つい手を伸ばして、届かぬ肉体の限界と飛びゆけぬ精神の力の足りなさに歯がゆい心持ちが生じ、軽やかな足どりの障碍とさえなる。人には住むべき処と見うべき性質の夢など、歴然として何もないのだということに立腹してみても、さしたる問題にもなろうとは思われぬが、かといって、翼が生えて蒼穹にはばたこうなどとは考えてみた試しすらない。
古代、青い、あまりにも深い碧の内海で水底に舞い落ちた慢心の少年がいたという話は有名だが、そのような慢心のありようもわからぬではない。
獣道のような、わが眷属が拓いたこの道を淡々とした思いで進んでいると、いつしかこの道の絶ゆる先は弓のように反り返って、ちょうどスキーの跳躍台のように、限りのない大空の彼方にしなってゆくのではないかという妄想に捉われるのだが、心の奥底では、あながちそれが幼児的な空想でもないのでは、という一種不吉な病が頭を擡げはじめる。

飛翔する肉体(追悼)――演出家・只石善士に

飛翔する肉体(追悼)
  ――友であり、先輩である只石善士兄に捧ぐ

アンダーグラウンドとは肉体主義の時代そのものであった。
いいかえると、肉体主義の時代はアンダーグラウンドである。
なぜなら、あらゆる抑圧の底部に粉々に砕かれた肉体の粒が、おしつぶされたそれぞれの思いの破片が、牙を剥いて肉体のモナドとして起ち上がろうとしていたからである。
1970年前後、国家と権力、管理と抑圧、システムの強権がわれわれを暗黒の深層に閉じ込めようとしていた。わたしたちは地方の受験校を飛び出して、この首都の地下でそれぞれの戦いを始めていた。

絶対的な自由を求めて、あらゆる抑圧と闘う精神をもってシュールレアリストの謂であるとするならば――。
アングラ演劇の勇士・只石善士はそのことによってシュールレアリストである。
抑圧に対するに断乎たる暴力を忘れぬことで、只石善士はシュールレアリストである。
肉体主義をともに生き抜いたことで、只石善士はシュールレアリストである。
暴飲に暴飲を重ねて肉体の枠組みを飛び出したことでも、断乎たるシュールレアリストである。

晩年のある夜、ふたりで酔いつぶれたとき、突然、わたしの初期詩集の次の一節に触れ、「これだ!」と思ったと言ってくれた。

肉体は、訓練に重ねて、素粒子ほどに収縮し地球ほどに膨張しなければならない。そのためには、まず、肉体だけで空を翔ぶこと。

物理的に不可能だというなら、物理性こそ肉体の非現実性であるから、現実的に翔ばにゃならない。

そしてその後に、ある区切りがついたら日本中を車で放浪しながら死ぬまで暮らしていきたい、ともらしていたのが今またよみがえる。

けれども、人生は、思うだけですでに叶っていることがあるものだ。
只石善士は、徹底してアングラであることによって、自由を生きたに決まっている!

先の詩の最終節を掲げて、一つ上の愛すべき童顔の先輩に捧げたい。その飛翔の見事さに。

水を蹴って、
夜間飛行の
魔の呪文の半濁音が。ぱっぱっぱっ。


2011.10.3 只石善士兄没す
2011.10.4 追悼す

帯広の真宗大谷派帯広別院(北海道帯広市東3条南7-7 電話 0155-25-1122)に永代供養

紙田、故只石氏、S女史、娘, 2002.6.9

[作成時期] 2011/10/04

未刊行詩集『空中の書』11: 古い砂

古い砂

砂上の皺に数十億の蜜蜂が群っている 独り涸いた丘陵を駈けたのは瞬時の眩惑であったのだろうか はじめのうちは黝い眼窩の底から徐々に湧き上がる妖気に怖気づいていたが、輪郭の透明な曲線が肉の色を帯びていくのを知ってからは、魂のこがれるような戦慄にいつしかうちふるえていた 鼻梁の欠落した首ははにかむような微笑を漏している 爪の間に入り込む砂粒の多くは硝子質の光沢をもっていたが、掘り進むうちに塩のように重い物質に変じてゆく 子供のころに海岸で犬の白骨をみつけた記憶が掠める たしかに爆竹を鳴らしながら走り廻った当時には、何もかもが神秘で優しかった 蜜蜂は管を伸して塩の谷間を埋めつくしている 匣の中にモザイクの縫い取りをした布がたたみ込まれていた 紫の地に黄と白の糸で縁取りし、中央にかすかな王家の紋章が刺繍されている その首は犬のものではなかった 前頭葉の巨大さを物語る額の広さが不吉な印象をもたらしている 砂に同化せずに過ごした、考えることのできぬ永遠の時よ 砂漠の齢を超えた空想の古代よ ある田園詩人はその奇跡を書きとどめる術はないと断言する、解明できない自然は言葉の矩を越えているからと いま机上に鎮座するその首は遠い謎を語っている、精神の奥深さというよりももっとも原始の底から慰安をもたらすもののごとくいまその首は流れるような声で語りかけてくる もはや寸秒の夢 夢に巣くう夜 そして彼方から押し寄せる危険 王家とは生成そのもの、破滅そのものの源をなす邪悪な波頭 蜜蜂の一匹を指でつぶしてみると黄金の砂よりも硬く冷たい液体がこぼれでる 骨の粉が崩れおちずに光っているのだ 睡りに就くことは禁じられている 死の床は星々の距離で測ることはできない、死の床は、死の床は…… 妹の寝台にあふれた胃液が妹の影のように貼りついていた 二十数年を経て話してみると、当時と変わりのない喋り方で、抱いてくれとせがまれる いま十数世紀を経ようとも、抱いて離さぬ夜は暮れない 重たい塩の地の果てよ 涙の中に原始の塩もあり儚い古代の氷もある 死の床につづく愛すべき首よ 罌粟の花びらに満たされてあれ、永劫の期待を蔵うために

未刊行詩集『空中の書』10: 頭蓋骨モデルから伝わるもの

頭蓋骨モデルから伝わるもの

闇の傾斜を、張りつめた糸が重なるように、かさかさに涸びた雪片が滑ってゆくのを聞いた。カーテンの蔭の隙間から冷たい風が忍び込むせいでもあったのだろう。骨が噛みつかれるように深い冷たさが肉を包んでいる。それにつれて体が底なしの睡りに就いてはいたのだが、脳味噌は奇妙にうごめきはじめ溌溂としていた。肉が溶け出して床に吸われてでもいるのだろうか。
姿勢だけは謹直なものであった。背筋はきりりと伸ばし、直角に曲げて揃えた両脚の上、ちょうど臍のあたりで呪印さえ結んでいた。瞼を開けようとしたが、固く結ばれたままいかようにも開けることができない。だが何かしら周囲のもののありようが、そのままの状態でも感じられた。特に強く捉えられるのは、机上に埃にまみれたまま放置されている頭蓋骨のモデルの形である。温かなものと冷たいものから発せられる微妙な空気の運動などといったものではない。確かな触覚を伴った明瞭な形である。
数年前に知人から罌粟の一種を押花にしたものを贈られ、それをモデルの中に蔵っていたことを想い出していた。その薄い花びらの透き通ったピンク色が記憶の底から泛んでくる。モデルの中にはもう一つのがらくたが匿されていた。それはジルコンを象嵌した、銀製の、人面をかたどった大きな指環である。異国の骨董屋で買い求めたのだが、女主人の言によるとコメディアンのマスクとのことである。けれども脣を耳まで開いたその顔は俗悪で、いささか呪われたものででもあるかのような畏れを伴っていた。その相貌の面妖さが明瞭に頭の中に感じられる。見えるものは何ひとつないのにすべてが感じられる。奇怪なる至福とでもいえそうな一刻である。
骨格だけを残して、肉体と呼ばれうるあらかたが失われてゆく。まるで聖遺物器の重なりのように。……

未刊行詩集『空中の書』09: 透明な卵

透明な卵

球体の中に世界が視える
老いた書誌学者の説によれば
つがいの巨人族の
幾何級数的な交接
青みがかった眼の彼方
降る星も消えずに

壁の中に埋る耳
通廊に貼られた跫音
樹齢一千年の黒檀製テーブル
タップダンスを踊る
女の細いかかとが
かんなに削られたように
ガラスの部屋に喰い入る

戦争の夢を語る少女
やわらかな脣の奥
硬質の乳
なによりも尖った臀
体内における血の嵐
殺人者の盥

烟る海へと漕ぎ出してゆく
龍の刺青を誇る腕
数億の日々が
数億の波の棘を渡ってゆく

いま
階段きざはしの下に
ゆらめく卵が
夜の神秘を映す
白髪の友の声音ひくく
ひらたく伸びた掌に
滴となって
燃え落ちる