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〈解離手帖〉200206: (巧くなりたいから描くのではない。)

(巧くなりたいから描くのではない。)

巧くなりたいから描くのではない。表現したいから、あるいは、描きたいから描くのである。熄むに熄まれぬ、存在の衝動なのである。

目を惹くことも一つの入口であるが、本当はただ一つのものであることが重要だ。技法をいうのではない。その絵の存在の独自性、他にはありえようのないたった一つ限りの世界の問題である。
本質、イマジネーションは、技法あるいは技量論ではなく、それ自体他のものと異なることに負う。

[作成時期] 2002/06

[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[06](直江屋緑字斎)

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戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[06]

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 この匂い、この町並み、この貧しさ、これは私たちの子供の頃の世界なのだ。
 人民路、中華路という楕円のようにつながる道の内部を徘徊しているうちに私は迷いだしていた。何度も同じ並木道に出たり、さっき見かけたはずの閉じかけた小吃(Xiaochi、一膳飯屋)が薄暗い灯りを入り口から漏らしていたり、路地で私と会うたびに訝しげな顔で飽きもせず見つめ続ける老人たち。
 気がつくと、広い通りでも街灯などあまり見かけず、車も規制されているように思われるほど通らない。しかし、人々はその暗がりの中をしきりに歩き回っている。
 私もまた、わけもなく歩き続け、考えていた。

 私はこの国の人々が未曾有の抑圧を受け、侵略の嵐を浴びたということを忘却して、ただただブルジョア的な感懐に耽っていたのだろうか。
 いや、そんなことはないつもりでいる。私は日本という国家が、そしてその権力者が、軍隊が、国策会社がこの国で何をしたかということに無自覚なわけではない。
 今だって、同じように企業が開放政策の波に乗って押し寄せてきている。
 しかし、だからといって、この国の特殊な支配構造がこの国の人々を抑圧し、弾圧することを見過ごすことはできないのだ。おそらく、私は国家とか、支配とか、抑圧とかいうものが許せないのだ。ある種のアナーキスティックな感受性を抱いているからなのかもしれない。
 日本という国が今も経済という妄想によって狂っているように、大東亜共栄圏などという妄想に狂わされていた時代、この国の人々を帝国主義軍隊で踏みにじったことは紛れもない事実である。
 1937年7月7日の蘆溝橋事件に始まるこの悲劇的な大侵略戦争は、上海では8月9日に起きた大山事件を契機に、8月14日、日本海軍第三艦隊と蒋介石の中国軍との間に激しい市街戦を引き起こし、頑強な中国軍の包囲に対し、陸軍は上海派遣軍を編成し派兵、さらに9月2日、近衛内閣はそれまでの限定的な呼称である「北支事変」の呼称を自ら「支那事変」と変更し、宣戦布告もなしに日中全面戦争を開始するという暴虐を冒すことによって開始された。
 4カ月にわたる上海戦線での戦闘では日本軍の戦死者9000人、戦傷者3万人、中国軍の遺棄死体は15万人を数え、さらに押さえようのなくなった狂気の軍隊は、12月13日から10日間で12万人?30万人を殺害したといわれる南京大虐殺を引き起こした。

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未刊行詩集『strandにおける魔の……』10: 秋禊

秋禊

あああああ ああ
これほどの これほどの
んんん
まっさおな夜
主よ!
御身の栄光ある生体解剖よ

伝説という伝説
刈り取られた歴史
街という舞台
熟れた黄金色を発光する天末線
かさなる かさなる 人影が
誰の人影
折り重なる 折り重なる 得体の知れない首
転がる 転がる 輝かしさ
のけぞる娘らの股ぐらを流れる
ほそい ほそい 器官の奥深く
主よ!
御身の偉大なるみ技によりて
冴え渡る星々が張りめぐらされる
主よ!
おおおおお んん
んんんんん
何の薬物効果
何の副作用!
御身の糞溜りの虫どもめ

あああああ ああ!
朝は口から始まり
そそけたつ鎌首に
死に充つる幸いのあらんことを

[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[05](直江屋緑字斎)

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戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[05]

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 この街を東西に走る路は南京路と淮海路であるが、市の中心には人民広場があり、さらに東に行くと黄埔江に辿り着く。
 南京西路を歩いていると、舗道に掲示板が並び、人民日報などを始めとした全国紙、地方紙が貼られている。市民が集まっているところを覗くと、今回の虐殺に対して6月4日に、「学生運動の武力鎮圧は、全北京人民、香港、マカオ、台湾の同胞、そして全世界の中国人が反対している」という社長・李子誦の訴えを一面に掲載した香港の中国系新聞「文匯報」が貼られていた。
 残念ながら中国語を理解できないので記事は読んでいないのだが、写真は例の列車焼き打ちで逮捕された労働者のものであった。おそらく、裁判の記事なのだと思う。
 文匯報は中国に持ち込めないというような話を聞いていたので、意外という気がした。しかし、帰国してからの話によると、北京政府の圧力による人事の異動等があり、内容も右旋回したということで、このときはすでにそうしたことの後だったのかも知れない。しかし、北京ではついにこの新聞は見なかったのだが。
 人々は、この記事をただただ見つめるばかりで、それも一様に長い間穴のあくほど見つめていた。しかし、議論する様子も、昂奮する様子もなく、ただ夕日の長い光を浴びながら立ち尽くしていた。
 そんな様子をあちこちで見かけながら、その一方で、公安関係の白い上着に赤い腕章の男が人混みにまぎれてちらほら見えた。民間の「協力」組織もあるようで、おばさんがあまり気の乗らないふうで人混みの中を歩いている。交通警官が例のカーキ色というか、もっと緑っぽい制服でときどき立っていたりしていたが、自動小銃をもっているようなのは見かけなかった。
 それにしても、人が多い。この街では公安機関や警官が動いても、また通報・密告などを喧伝し、強制しても、はたしてこのとんでもない数の人間を抑えきることができるのだろうか。私は、どうもそんなことなどできないのではないか、この街の人民の海は広く深い、そのような楽観主義が胸のうちに涌き上がるのを禁じえないのだった。
 9時を過ぎると次第に暗くなり、初めての路を歩いているせいもあり、もともと街を徘徊するのが好きなこともあり、どんどん裏道に踏み込んで行き、自由市場の片づけられた屋台の跡、幾つも転がる馬桶、野菜屑、ぽつんと点った裸電球、暗い路地の陰でうとうとしている年寄り、疲れきって道端でのびている汚れきった男、糞尿の匂い、なんともすえた匂い、ドアの隙間から覗ける一間きりの部屋の薄汚いパイプベッド、丸いテーブル、得体の知れない臓物や肉類の切れ端、壊れかけた椅子。

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[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[04](直江屋緑字斎)

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戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[04]

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 サマータイムを採用しているせいもあって、東経121度のこの都市は夕方の5時を過ぎたというのに3時くらいの明るさで、タラップを降りるとむっとする熱気が私を包み込み、その熱さの中には何か懐かしい匂いが混じっているような気がした(成田発13:50、前回の時刻は間違い。到着はほぼ3時間後の17:00)。
 上海虹橋機場(Shanghai Hongqiao Jichang)は市の中心から西へ17キロほどのところにある。上空から見た感じも、何やら寂しい気がしたが、滑走路も、空港建物の中もがらんとしていて、とにかく外国人の姿が一つもない。
 入国審査も税関も、ほとんどフリーパスのような状態で、あっという間に済んだ。おそらく、中国が外国人旅行者に寛大であることを対外的にアピールするための措置なのだろう。それは治安が回復されていることを無理に誇示しているということなのだろう。

 両替所がクローズしていたので、外貨兌換券(ワイホイ)を用意できないこともあり、タクシーでとにかく適当なホテルに行くことにした。
 客待ちしているタクシーはとんでもない中古車で、客席のシートだって中身があちこちからはみ出しているというような代物である。しかし、気の弱そうな太った運転手はなかなかの腕前で、人も自転車もかすめるようにして、夏の光を葉叢に燦かせたプラタナスの並木の続く道をとんでもないスピードで走るのだった。
 ひと昔前に、神風タクシーというのがどこかにあったなあと、呟いてみた。

 市内に入ると、仕事帰りの時間もあって、いきなり自転車の数が増え、屋台やそれに群がる人々の数が増え、道路に車が走るなど知っているのか知らぬのか、どんどん人があふれてくるのだった。パリなどでも、人々はおかまいなしに車の前に飛び出してくるが、ここの規模たるや、そんな話の比ではない。自転車が、労働者が、女性が、子供が、学生が、老人が、あちこちの路地から湧き出るようにして、道路という道路にあふれているのだった。
 淮海中路と瑞金一路の交差したあたりにある錦江飯店(Jin Jiang Hotel)は上海を代表するなホテルであるが、運転手は同じ敷地に新築された新錦江(Jin Jiang Tower)という超デラックスなホテルに埃だらけの車を着けた。

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