作成者別アーカイブ: 緑字斎

ある男の日記 (犬雲)

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(犬雲)
その夕方――。塔の見晴し台にたたずみ、私は遠くの空を見渡していた。時間そのものが相対的だということを、その考え自体を凝視していた。しばらくすると、薄暗い空のきわに黒い犬の形をした雲があるのに気がついた。そのときは早めの夕食を済ませて、気分も落ち着いていたはずなのだが。もう遠くの空に夕焼けは見えない。いくぶん赤みを帯びていたが、いつのまにか濁った雲がかさなっている。

この日記はいつ、どこで書いているのだったか。見晴し台のことを追想できるときなのか、それともリアルタイムで犬雲と向かい合っているときなのか。あるいは、何十年も経ってからメモを文章に変換しているだけなのか。または、たんに創作ということで許される捏造なのか。少なくとも、幼年期に未来を幻視していたということではないだろう。しかし、そんなことは分かるものか!

――そんなことがあって以来、私は塔の見晴し台に登るのを避けていた。もちろん、不吉な犬雲との遭遇が契機になってのことだ。それでも、ほんとうの夜は次第に近づいていた。通りの街灯はまだ点っていないが、すでに薄暗く、靄が降りるにつれて、夜の気配が濃密になる。

ガスと塵の結合、重い空間。水分の形がその空間を侵食する。私はある理由から、沈黙の鐘といわれるそれを街中に響かせる必要があったので、ふるえる自分の手足を呪縛した。つまり、冷えきった手足を抑制して、いやいやながら釣鐘のロープをさぐらせたということだが。

その鐘は二つあり、こすれあうときの音色を考えると、より多くの数の鐘を音源にしているように聴こえる。だが、二元的な音色の構造であることに変わりなく、その結果、鐘音の響く空間は二つに破れていた。耳を澄ますと聴こえるこの空間の音色は、時間を殺戮する不安と人々の日常に鋭く切り込む荘厳を示している。そのとき私はアダムだ。私は自分の肋骨を打ち鳴らしているに違いないと考えていたからだ。警鐘は非日常的なものなのだ。

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自由とは何か[018]

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18
(悪夢)
 私はいつのまにここに佇んでいるのだろう。それにしても、この場所とはどこか? 特定できない場所、特定できない状態。わたしはひとつの仕事を終えて、一挙に老衰に襲われているのだろうか。ああ、夕暮れの雑踏。冬の立ち枯れ、濡れた街路。どこまでも続いている。
 ここは現実と思われるところではない。しかし、それは非現実ということでもない。アントナン・アルトーのように、狂気といわざるをえないから狂気というだけで、本当は存在を裏返す戦いのつもりなのかもしれない。ただ、何かに侵襲されている感覚。細胞がはりつめ、こわばるのだ。何も終わっていないし、やはり何も始まっていない。それでも私はひどい疲労感に打ちのめされている。いつまで?

 私は思い描くことができる。何も見ているわけではない。何も考えているわけでもなく、ただ押し寄せるこれらの波動、波頭……。
 生気のある人形たち、生気の失せた人形たち。ひっきりなしに通りを渡り、無味乾燥ないくつもの建物の中を出入りしている。壁面の大型ビジョンに映る広告モデルたちの顔、にせものの日常、いつわりの生活。セレブリティ。暗い眼窩、その奥で光る瞳の数だけの欲望。人生は経済だけだ。あまたの詐欺、詐欺師、騙されつづける暮らし。犯罪、凶器、薬物。中毒者たちの深い闇。世界の裏表。危険な路地。威嚇。戦争。殺戮。兵器は増加する、増大する、高度化する。死者も、難民も、孤児も、高度化する、ただの金額として。国家の礎とは暴力と悪徳、収奪。逮捕。拘束。投獄。拷問。横暴な権力と横暴な裁判。法の正義という妄想。そして死刑。皮剥ぎの刑、鋸引き、斬首、絞首刑、銃殺。薬殺。電気椅子。さらに操作と監視はつづく。奴隷化はつづく。自由などない。人形たちの館の惨劇。頭と手足と胴体と内臓の散乱。幼児化現象、地球は幼児の脳味噌であふれる。金髪と刺青の日本人形と鞭。さらにさらに幼児化して。高度化して。
 高層ビル群、高速道路、立体交差。バベルの塔。その高い塔に巻きついた電飾。壁に貼りついたイルミネーション。欲望をそそる看板たち。駅頭では空疎な演説、恫喝、大量の人形を運ぶ死の電車。集団自殺の勧誘。死者たちの名が読めない無数の骨壷。催眠術に誑かされる人形たちの薄い影。動物も植物も生命維持と繁殖だけにいそしんでいる。
 どのような仕組みの命令なのか。どのような従属なのか。どのような奸計。幸福と不幸の禍い、呪い。自由などない。だれも、ひとりのために生きてはいない。そんなことを考える遺伝子など組み込まれていないのだ。

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魔の満月 i – 4(闇に囁くものたちの勢力が……)

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i – 4

闇に囁くものたちの勢力が拡がるにつれ 再び蘇ってゆく火と鏡とを材質にした逞しい武士たちを率き連れて エルドレはもう潤いを呼び戻した河の右側に高く堂々と聳える円形の宮殿に赴いてゆく
唐草のびっしり絡まった城壁を取り巻く幅の広い濠には巨大な跳ね橋が渡されている
音もあげずに橋が跳ねるのを振り返りながら無数の矢狭間の並ぶ二つの円筒に挟まれた拱門に進んでゆくと その奥から明るい光とともに優雅で澄明なソプラノが和し甘美な娘たちの匂いが漂ってくる
城壁と円形の宮殿との間で輪を描いている庭園には色とりどりの花もさることながら 涼し気に幾つもの噴水が高々と舞い上がり 内部から綺麗な光を発する漏刻がそのひとつひとつの側に置かれている
武勇を誇ったり愛を主題にしたり厳そかに神々を讃えたり たとえば木に縛りつけられた金髪娘とそれを襲うタイガー その娘のはだけた胸を蔭から覗き見るハンターなどといった野外劇あるいは仮面劇を思わせる大小の立像が 花苑や小鳥たちの囀る叢林の中に幾多並んでいることだろう
宮殿の高い入口は成金好みのごてごてとは異なり絢爛でありながら上品な装飾が施されていて 当主の趣味の良さを感じさせる
その図柄は蠍を際立たせた四大の精霊のもので 透き通るがごとくのレリーフである
この宮殿の一階中央には縦に二つの矩形の大広間が続き廊下のように並び 壁全体をカンヴァスにした絵には古今東西の動植物および建物 山脈 運河 湖が鏤められ その手前の部屋はありとある絢爛豪華な快楽が象徴され 奥の部屋には崇高な神々の国が美事に描かれている
高い天井に貼りつけられた星座は明るいシャンデリアに隈なく映し出され 幻想的な物語が繰り展げられている
黒檀の円テーブルや大理石の龕やマントルピースには細やかな彫刻が絵巻物のように飾られ 金銀の食器には酒や数百種類の料理が盛られている
二つの広間に挟まれた鍵型の渡り廊下の中央に極めて深い井戸が掘られていて そこからは芳醇な匂いを湛えた黄金の美酒が湧き出ている
これらの中央を貫く通路の外側にたくさんの数の個室が割り当てられ そのどの部屋からも必ず二階へ通じることのできる螺旋階段がさらに外側に太い帯のようにして備えつけられている
屋上の庭園の真ん中に尖塔のような天文台が設けられ その天文器械には蚤たちの製造した精巧なレンズが使用されている

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自由とは何か[014]

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14
(癌細胞と画家との対話)
「自分が肉体のゆらめきなのか、意識のゆらめきなのか、そのどちらでもいいし、そのどちらでもないともいえる。たしかに細胞は細胞膜という皮膜とその内側の物質であるから肉体の基本単位だといえるし、けれどもその内部にあるものは物質ではなく幻想の内容物であるのかもしれない。自分はすべての細胞と同じ出自と履歴を持っているが、定かでない原因でその幻想の根幹部分、遺伝子配列に損傷を負った形跡がある。しかし、それが損傷なのか、本来的なものであるのかは、たんに機能の評価の問題なのではないか。遺伝子は増殖機能なのか自己殺戮機能なのか。それを判断する機能は何を基準にし、何を根拠にし、いったいどこにある物質なのか。そもそも、自分が質的に異なる生物なのかどうかさえ、あるいは分類学的に別種なのか、それともたんに異物なのか、侵入者なのか、どの立場から評価されて彼らの修復の対象になっているのだろうか」
 棘ということばから大腸ガンの顕微鏡図像をイメージさせるのだが、その細胞は私に、いや私たちに問いかける。私は肉体は生命装置の発現だと考えているが、これを端的に示せば、生命の実現つまり細胞レベルでの分裂・増殖の正のベクトル、そして生命活動の抑制という負のベクトルを持つものということになるのだろうか。生命活動とはこの正‐負の機能を同時に支えることに他ならない。生命の正‐負の機能の原因として、生命遺伝子オンコジンという物質が装置されているというが、この装置がはたして何を意味するのかは少しも明らかではない。

「ばかとは失礼な! しかし、大腸ガンのビデオ映像を見て興味を覚えてはいたのだ、画家としてね。たしかに棘が正常細胞を侵していく様子は生々しい。癌細胞の皮膜の棘の変化も興味があるし、いとも簡単に正常細胞の皮膜が破れて消滅していくのもじつに哀れなものだ。これら双方の皮膜を持つものらの葛藤が、わしの作品の中に頻繁に現れてくる。鉛筆やボールペンの細密画のデッサンに、いや色をのせた後にもね。そのとき、わしは作為的なことを考えているわけではなく、手指に任せるというか、筆先に預けるというか、そんなオートマチズムの描画をしていて、その増殖したり消滅したりする小さなものたちの思いがひっきりなしに伝わってくるような気がする。刺したり刺されたり、侵したり侵されたりするさまはまるで生殖と同じ行為だ。棘のある体というけれど、棘というからにはそれに応じた皮膜の変化には挿入意図があり、それに晒される側にも破られる皮膜の構造があるということかもしれない。そして、そのとき、何を保護し、何をあきらめるのか、何を許すのか。わしはまずそのことを指摘しておく。生殖こそファシズムなのだ、と」
 画家は、正常細胞と異常細胞のどちらの出自もその未来も同じものだということを述べているに違いない。

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追加: 2013.11.25
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