作成者別アーカイブ: 紙田 彰

妻・紙田眞弓を恋うて
  2017年の眠りつづける人に

闘病の話はやめよう
最後の苦しさと悲しさはかぎりがないから
ぼくには 君との47年間の
愛の激しい暮らしがあったのだ

新宿ピットインのイレブンで出会い
ヒッピーだったふたりは
1971年に 京都をめざして
深夜列車に飛び乗った
もちろん、ラリっていたさ
だからMack the Knifeだったのだ
朝まで歌いつづけてね

ぼくらは自由を求めてスタートしていた
それからの愛の物語には触れない
鏡子と聡という宝物に恵まれたのだから

ぼくの心の中には
ぎっしりと 君との47年間の人生が詰まっている
君はきっと あの空から
ぼくの心の中に入り込み
その一つ一つの人生の時間を解きほぐし
ぼくを慰め、励まし、叱咤するだろう

ああ、眞弓 最愛の妻よ
ふたりだけのあまりに豊かな秘密を
ぼくは心の中に語りつづける
だれも ふたりの愛のことなどわからない
ぼくと君とだけの 愛しい宝物について

 弔辞として捧ぐ
   2017年8月25日9:31没

草稿●multiverse

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 世界が個人的に分割されていくとはどういうことなのか。現実、宇宙、あるいは次元とは、〈見ること〉が経験することであるなら、その事象を〈見ること〉自体が判断したり、選択することで多宇宙が生み出されていく。粒子が自己という鏡を見ることで反粒子として分割させるように、多宇宙をすべからく経験していくのだ。そして、複数宇宙マルチバースから見ると、分割宇宙は同時に並列して存在し、粒子そのものから見たときには宇宙は分割されずに単一宇宙である。つまり、単一宇宙の経験を終えることで、別のの宇宙に切り替わり、次々に別の世界体験を経ていくのである。見る主体は全宇宙の存在の全可能性を知るのだ。
 その意味では、現実は体験上単一であり、複数現実ではない。だが、見る主体は、単一世界を終えることで次の世界からさらに歩を進めて、全宇宙を自分のものとすることができるのだ。人生の成功も失敗も、幸福も不幸も、すべての分岐世界を体験するために。

 どんなに抑圧されても、悲惨な目にあっても恐れることはない。この世がすべてだからと、自分を諦めることもない。現実がすべてではないのだから、抑圧に対する抵抗者となって、思うことを存分に果たすことが可能なのだ。
 抵抗する者はつながりとなり、系譜となっての世界の分割を進めていくこともできるし、多宇宙に飛び出していくこともできるのである。
 成功者とか抑圧する者、支配者の世界は単一現実における短命の貧しい体験者であり、これに対して苦しみ闘う者は豊富で質の高い体験を、全宇宙を通じて果たせるのだ。

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草稿●hallucination

 病棟にいたときに、あたしは、未来とも過去とも、あるいは別の次元、別のあたしの人生を見ていたことがある。
 急に目の前がぼんやりして視点が定まらなくなったときのことだ。椅子から立ち上がり、気分を落ち着かせるためにラム酒(のつもりで黒い酢)を啜った。空間が歪むように、脳作用の内部に何か空洞でもできたのだろうか。指先の神経まで緩やかに麻痺が達した。精神と肉体が不思議なほどばらばらに離れていた。泥酔していたのかもしれない。自分自身がどこか別の次元を移動しているかのように。しかし、骨格は鈍い軋り音をあげるばかりで、声を出すことも、身ぶりで何かを示すこともできない。その空間では、あたしが見ていたあたしは、確かに男だった。
 あたしであるはずの男はキャンバスを100号の木枠に張り付け、油絵を描く準備をしていた。そして、あたしの方を振り返り、だれかが覗いている、と呟いた。それであたしは彼の頭の中が見えたのだ。またあの女(あたしのこと)が切れ端でものを考えている。時間だって切れ端だってことを知りもしないで。さらに頭の中では脳味噌がいくつかの塊に分かれ、それぞれ別のことを考えている。つまり、あたしは別々の人格が見えていたことになる。それらの人格はその頭脳を通して、さまざまの人間に見えるあたし自身を見ていた。
 あたしはふっと、それら見ることのできるすべてのあちらの人々に乗り移るような気がして、こちらの場所から動くことができないでいた。あたしは粉々に分かれていく。分解されていく。嫌な感じだ、やはりとても嫌な気がする。あたしは、いったい何を見ていたのだろう。何を体験しているのだろう。どのあたしがあたしなのだろう。どの人生も、あたしは忘れてはいない。いつだって、思い出しているのよ。いつだって生きているのよ。

草稿●没入

 ドーパミン系とセロトニン系の機能調節が不順なのだろうか。順調にいっていれば、統合能力が低下するはずはない。だが、私の世界観はますます傾斜していく。薬物からの離脱など、許されるはずもない。私はますます依存を深めるのだろう。私はとどまる者。狭い部屋でうずくまり、動くことを自らに禁じた精神。分裂することを禁じた人格。私は環境に捕縛されている、人間の皮に押し込められている。細胞膜に閉じ込められている。人間というもの、その外側の世界という妄想を構築してしまった静止した精神なのだ。

 あの夜、病院に閉じ込められたと電話してきた男は、ここから助け出してくれと哀願した。何者かに襲撃されて刃物で渡り合っていると、警官隊に囲まれて逮捕された。あげくに精神病院に放り込まれたというのだ。数日後、向精神薬を服用させられた男は、警察が、一人で暴れていたので拘束して、措置入院させたと言うが、自分は確かに襲われたのだと電話口で繰り返した。その男は、その後数年間、入退院を繰り返したが、そのときの事件を事実だと信じたまま、薬物に没入するように死んでいった。
 私がその男の死を感知し、ネットワークを使って調査していると、彼の死について情報を持っているという人物に行き当たった。だが、その人物は、本人が病からは回復したと言っていたとし、死の状況については詳細が分かりしだい知らせるということだったが、何も音沙汰はない。その人物のことまで、私の妄想構築だったのかもしれないが。人形の中に人形が入る、重なりつづけて入り込むひとがた。精神のひとがた。

草稿●相反する類似

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――層状宇宙。
 宇宙面を球体の表面になぞらえたとき、この球面が重層しているとすれば、重なるような形で膜状宇宙が複数、波のようにゆらめいて存在しているというイメージが浮かぶ。物質の発生が、真空のゆらぎから物質・反物質の量子過程を経るとするなら、この高エネルギー状態の真空がその前提にあると考えることは無理なことではない。
 この真空が無から量子論的に発生していると見なせるなら、重力の総体は無と真空との間にわたるのではないか。これは、真空を球体にイメージすると、この球体の芯から物質・反物質の球面が生成され、重力は分裂して球面エネルギーと関与するに違いないからだ。
 これらの物質が、確率的なゆらぎによるインフレーションで現在の宇宙面を形成していく過程であるとすると、この宇宙の因となる真空の内部にある全重力に対称的な反重力エネルギーが生み出されて、新たな原因物質が生成され、これがさらに副次的な宇宙面を現在の宇宙面の球内に生みだしていく。これらが重層的な宇宙面となり、膜宇宙をなしていく。
 インフレーションの規模は不確定であり、空間速度はこの宇宙面をしのぐ可能性がある。もしくは超えることはないのかもしれないが。

 翻って、真空というエネルギー体は無から量子論的過程を受けるのであるから、これもまたある統計的な確率で登場するはずである。
 パラレル宇宙は、物質‐反物質過程、宇宙の対称性、真空を根源にした層状発生、無から断続的に生成するパルス真空体などの形でつくり出されるというアイディアを誘き出す。

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