作成者別アーカイブ: 紙田 彰

連載【第029回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: grillo 2

 grillo 2
 ここでは意識は物質であるのか、そうでないのかを考えているのだが、物質であることと物質でないことにどのような境界をもたせられるのだろう。境界がないか、あまりに詳細化されて境界というには困難な状態であるならば、それは物質とはいえない力学、つまり量子的な光子間におけるある種の重力場といえるのかもしれない。境界自体が空間状態であるとか、境界自体が重力状態であるというような問題である。
 このような物理は混乱と多義性に満ちた概念が自己完結する範囲を示すのかもしれないが、範囲そのものが発火するという、実に気味の悪い事象を示す鏡像として、脳内に立ち上がってくる。サイズを持たない物理現象として、意識は存在の単一現象ではなく、群体として存在するのだ。
 行為が先行するのはこの群体としての意識においてであり、意識と意志は乖離しているに違いない。
 群体は身体機構全体と関与し、身体のクオリア化を構成する。このとき、量子効果を生み出す微小器官が、ナノレベルでも可能となるのかもしれない。

 機能的には、クオリアはナノレベルの収束器官でも可能なのかもしれない。しかしそれは収束器官の持つ限界サイズと確率自体の持つ収束の微小化傾向との相反性の限界によって、擬似的な収束器官、擬似的なクオリア質感にとどまるだろう。
 器官自体は確率判定の確定性と単純化によって、その方向は階層化をたどり上位方向に向かうだろうし、反対に確率の微小化は単数存在の内部につらなるさらなる単独存在に分裂することは必至だ。そして、さらに単数存在の内部構造となる単数存在が群体として肥大化する場合も、いっそう階層上位へと向かうだろう。
 この分裂は上位構造を消失させ、上位概念を外部概念へと転換し、階層下位はいっそう内部へ向かっていく。つまり、擬似微小器官は自己矛盾し、崩壊する。クオリアとは内部が極小を求めていく世界把握のことなのだ。
 しかし、これらは意識の問題でありながら、力というエネルギーの問題である。たしかに物質そのものなのであるが、その物質が相反性という斥力の海に漂い、力の偏移がその特別な力学から脱しえない確率をとった場合、物質として収束することが不可能な事態がなにを意味するのかを想定してみるがいい。つまり、量子論と次元の宇宙論の並行結合とでもいえそうなイメージのことである。

 意識は空虚というイメージに囚われている、あるいは空虚というエネルギーの実体を包含したものとでもいいうるのかもしれない。いずれにしても、意識はそれ自体ではあまりに抽象的で、実在といわれるサイズの範囲から逸脱しているように見えるのだが。(グリロ)

連載【第028回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: grillo 1

 grillo 1
 嬰児はすでに幼児となって、ひとつの形を表しているのかもしれない。そのグリロという名の器具は光の線分をまとめて冠状波紋を撥ね上げ、その尖端を結びつける糊のように粘着的な接合を不規則に続けていく。それらの接合箇所はとげとげしい光を帯び、ギザギザの閃輝暗点のカーブをつくり、幼児をその奥に囲い込んでいる。光はグリロの筆先になっているのだ。幼児は井戸の中の意識の鏡体とでもいいえよう。閃輝暗点を生み出した脳内中枢の血管の瞬間的な収縮が、血流を一時的に変化させる。そのときに意識の鏡体となり、絶対反射の球面となるのだ。

――そのとき、わたしは球体の表面に吸い込まれ、そのことによって鏡体自体と同化するのかもしれない。わたしの性は時間とともに失われていくのだわ。わたしは溶けゆく過程で、グリロとは少年の名であるのか、鏡体に違いない少年の形をいうものなのかと、自問を繰り返している。

 ところで、意識は実体を持つことは不可能なのか。意識が幻想に過ぎないものなら、物質には作用しないはずだ。物質それ自体に絶望という概念が生ずることはありえないが、意識が絶望したときそれによって自殺するのは意識ではなく、その吐息に触れたあまりにはかない物質なのである。物質の死があって、それから意識の死が訪れる。
 物質と意識にはそもそも相互作用などあるのだろうか。それともそれは相互作用というようなものではなく、ただ互いに語り合うことが不可能なものにすぎないものなのだろうか。(つづく)

連載【第027回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: fluctuating fabric 2

 fluctuating fabric 2
 嬰児というのが妥当かどうかはわからないけれど、声の主が操っていた塊は形の定まらない筆記具とでもいったもので、始まりは回転体であるけれど、振り子のように円錐状に振り続けると、中心部からさまざまの色光が長い線分となって発するというものだった。そして、その糸状の光つまり網の目は時間と空間と重力のそれぞれの発生点らしく、それらの交点からさらにけばだったゼンマイのようなヒモ空間をゆらゆらとのばしていくように見えた。
 声の主が言っているのは、それらが帯のように結びつくことによって何かの定まりを作り、何らかの疎通をなすということなのかもしれない。

「ぼくが色の原因であるということはありえない。光に色がつくのは物質を通過するからで、全光が阻害されているからなんだよ。ぼくは光の始まりであるから、色も物質も含んでいる、すべてを含んでいるから何もない」
 たしかに全包含は空虚そのものであり、それは全実体なのである。

 その発生源が筆記具であるというのは、その中心から流れ出している色線が時間の凹凸によってさらに色の違いをもたらし、奥行きのグラデーションに見せているからかもしれない。
 しかし、筆記というのは記録と表現に関わる手段だ。つまり、発生の過程を示すものであり、発生の行為自体なのだ。筆記具は記録と表現行為に結びつき、その立体的な操作は発生と創造の座標を定義するものであり、位相転移の秘密を示す祭祀に結びついているのかもしれない。(ゆらぐ織物)

連載【第026回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: fluctuating fabric 1

 fluctuating fabric 1
 それは、空虚という実体を内包したものなのかしら? 意識が物質過程に関与するということは、そのような見方が必要なのではないか、そしてそれはすでにそれ自体がエネルギーでなければならないとも考えられるわ。

「だとすると、ぼくが必要なのかもしれない」
「ぼくって? どこにぼくっていうきみがいるの?」
「ぼくはいないのだから、だれにも見ることはできないし、ぼくの居場所をいい当てることもできない」
「そんなことはないわ。声のするところにいるに決まっている」
「声は音波だけど、形ではないんだよ。だいたい、ぼくは生まれてもいないんだ」

 たしかに、声のするところに何ものもありえないし、声のない方向にすべてが囚われているとも思える。だってわたしは囚われているのよ! 何もない周りから。

 そのとき、何かが届くか届かないかの、判定さえつかない境界のあたりで、妙な光の塊が形を変化させながら発光していた。

「ぼくだよ、ぼくがやっているんだ。声だけだと定まるものも定まらないからね」(つづく)

連載【第025回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: narrative of revenant 3

 narrative of revenant 3
――おれは頭蓋骨だけで生き永らえているのだ。おれの輪廻転生はこの頭蓋骨に凝結し、おれの呪いも、おれの残虐無比も、ここにきわまっているのだ。

 髑髏は宙宇の一点に静止して、闇の根源である暗黒点のように、そこだけ無限の深い暗がりをつくり、暗箱の中にしかありえない絶対黒色の描線で、頭蓋骨の全ての稜線を描き出していた。

――わが裔よ。数億年を古りたわが血の(うから)よ。おれたちは頭蓋骨だけで生きている。おれたちの永劫の魂はこの骨の中に封じられて、決してどこにも去ることはないのだ。おれたちの肉が滅びようと、おれたちは地を充たす地の塩となって、死ぬことはない。時がおれたちの味方だ。世界の滅びも、おれたちには無縁だ。
 おれたちは純粋に本来的であって、冒されるべきものではない。なぜなら、わが眷属は人類の唯一の始源だからだ。おれたちにはすべてが許される。わが眷属は神なるものさえ凌駕する(うから)だからだ。

 数億年を経た黴臭い澱んだ空気が体内を侵してくる。なつかしい死者たちの塩が、脊索動物ゲノムの歴史が、部屋に、体内に充ちている。名づけうべくもない戦慄、その兆し。
 闇の本体と化した髑髏は、全ての暗黒を呼び寄せる動きを終熄させたように見えた。そして、その暗黒自体がまるで光の性質をもつもののように、漆黒の闇を黒々と燦かせた。
 次の瞬間、髑髏は周りの何もかをも根底から破壊するような凄じい速度で部屋の中を疾った。その行手には光を遮るカーテンと窓がある。遮断するあらゆるものが吹き飛び、大きな爆発音とともに粉々になるさまが予感された。そして、粉砕時の轟音が耳に達したかのような錯覚に囚われる。

 しかし、髑髏は窓に衝突すると同時に、まるで吸い取られるような具合に、音をたてることもなく、忽然と姿を消したのだった。(幽鬼についてのナラティブ)