作成者別アーカイブ: 紙田 彰

自由とは何か[010]

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(肉体そのものである意識)
 では、足の裏にも好きなようにさせてしまえ。真夜中だろうが、突然の、一瞬の、激しいひきつり! 痙攣の後の長い長い苦痛。
「そうだ、私を好きなようにさせてくれ。すでに文字として書かれ始めたときには、文字の画数が半分とんでしまう。それは省略しているのではなく、欠落――。私自身が欠落しながら、それを取り戻せないで、取り戻す必要もなく、ひたすら好きなようにさせて!」
 欠落した関節の部位は回転しようとするのではなく、軟骨との接触を断ち切ろうとして、痙攣を始める。

 ――わたしにも、思いあたることがあるわ。
 わたしの義父にあたる老人が植物状態に陥る寸前。皮膚の表面と血管と神経はそれぞれ独自の塊をなそうと、白く、赤く、青く、土色に、まだらに、ぶつぶつと、それぞれの部位を不規則に膨らませ、縮める。一晩中、顔面を痙攣をさせ、こめかみの静脈が通常の十倍には膨らんで、縮み、顔面の神経が異物のように激しくひきつりつづけ、唇や顎がとめどもなく意味のない運動をし、眼球はあてどなくぐるぐる旋回する。一晩中、まさしく一晩中、脳内で異物が暴れ回るように、人間の顔のあらゆる奇怪な動きの可能性をすべて現してから、彼はただ一度だけ、意識を取り戻したわ。そしてその直後、まる一年間の最期の眠りについたのよ。それは、まさしく肉体そのものである意識! 直接的に感情のない身体構造。
 いいえ、それは違うのかもしれない。たんに無知の、切り離された意識なのかもしれない。どことも結びつかない、切り離された、分離された部分。でも、それは部分というべきではなく、分離され、別個のものとして、独立した全体というべきかもしれない。別の全体ともいえるそれは、何かを知ることができるのかしら。全体でしかありえないそれは、そのことによって、たんなる空っぽなのかもしれないのに。

 よくいわれるソクラテス的な無知がそれらの部位の存在理由であるとすれば、その部分は遊離しているのではなく、包括的に独立しているということになるかもしれない。それは知的な認識という回路を必要としているのではなく、たんに気づかないでいるというだけなのかもしれない。あるいは気づこうとしないで気づかないふりをしているということではないということ。単純に、あるいは純然として気づかないということ。だから、君はどこにいるのか、または君は誰との関係なのか、と問うたところで、その質問ははぐらかされるのではなく、ただ吸引されて、戻ることはない。無視されているのではなく、空っぽの向こうに吸収されつづけていくのである。
 だが、気づいていないことと知らないこととは根本的に違うのと同じように、気づくことと知ることは永遠に結びつかない。自分が自分の内部にある空っぽ、あるいは内部にないはずの空っぽに気づくことは不可能だが、自分が空っぽの部分を持つことは知りうるし、まさしく空っぽ以外の何ものでもないことを知りうることは可能なのである。
 だから、無知の部位は叫ぶことが可能なのである。あるいは叫ぼうとすることが可能なのである。けれども、もちろん、その方法もことばも知ることはない。「!」、イクスクラメーションマークの非在。

全面加筆訂正(2011.12.23)

幾重にも囲繞されて、いる肉体

認知不能の血にまみれてつぶされ
ひしゃがれた太陽が顔を出す
朝はあおくて

実在しない帰途について、つい
非日常という日常の暮らしでは困る
と死体の夜を人目のつかぬ
ところに埋めてゆったり
睡っている女が日常という
非日常に回帰する

夢が燃えあがる瞬間の思考
には落差がきちがいじみた
壁(ネット)をへだてて輪郭のなさから
子供たちはつぎつぎに 生まれる
力の分離は非日常
を日常化して

織物のローカリティが危険だ
と裸身を燦々とかがやかせないで
世界都市の実質的な退廃
である形にとらわれる
でもなくとらわれる歴史
のきちがいじみた肉体
の享楽、棺に刻まれた
無数の人生を

現代的な非生産性
は繰り返す退廃以外のなにもの
なので 半肉体と半精神の火の匂い
がする一瞬の全宇宙に奇しい
流星が毒々しくなく咲きみだれ

大気圏は海だといいたい 受皿にセクシュアルなふたつ
に割れる乳輪 低温でぐずぐずゆでられ
象形文字、文字卵 知能の失楽
から存在の果実の種がつぎつぎ
おとされる、黄身のなかみが

見上げると風が吹く、一文字に収束
する疾風が凄い 形相で、花を
摘み取っていく、こわれてこわれて

あまりに短い飛翔音 あらゆる事象
と万物のやぶれた背の中心
に錘をくくりつけ、くりかえし

○ネットで幾重にも囲繞されてゐる肉体や哀れ

自由とは何か[009]

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 皮膜などはたしてあるのか。BはB’に対して方向性を持っている、と仮定される。なぜならBとB’には互いに異なった磁力が存在しているからだ。BとB’の引力と斥力の混沌は極大に達しているかもしれない。そうだとすると、それは何に起因しているのか。
 異なった磁場を持つということは、皮膜の内部がキュリー点に達し、そのことによって、それぞれの磁力が崩壊してしまうということなのかもしれない。いずれにしても、方向性などはまるであてにならない。

 ――意識Bよ、〈私〉の内部にはおまえなどいたためしはないのだ。〈私〉はおまえとは無関係な領域におまえという非在を内包しているのだ。しかし、それは二つの意味で、おまえは〈私〉を絶対的なものとして捉えてしまっているということになる。つまり、〈私〉がおまえと無関係だという点においておまえは〈私〉に関係を強制しているということ、また非在を内包していると〈私〉にいわしめることで〈私〉の非在を明かしてしまっているということ。そのような混乱が増大すれば、元には戻らない。〈私〉はもはやおまえを認識さえしていないのかもしれない。相手のいない譫妄に陥っている〈私〉は、磁力に従っているというよりも、意識Bそのものに遷移しているといえるのだろう。意識B’を喪失したおまえそのもの、意識Bとして。

 皮膜は確かにあるのだ。BにおいてB’は隔てられたものだ。重力と磁力が溶融しているような状態ではすべてが見えなくなってしまうように、皮膜のあちらとこちらの磁場がそれぞれに高温にさらされているのかもしれない。その安定しない状態にあることで、あらゆる事象との結合が容易になっているのだ。――あるいは散乱現象。Bにとっては皮膜が熱によって混濁すればするほど、内部に押し込められることからいっそう離れた場所にいることになるのだから。
 斥力は引きつけあう力をその出自にしているはずだが、その根元であるすべてが平坦フラットな場所、つまり力のすべてが内側に押し込められている状態を原因にして弾けてしまっているということになるのだが、それはじつは跳ね返る重力というものを、そして重力はどこに行きつくのかということを暗示させざるをえない。
 だが、問題はBやB’も純粋分離しているのではなく、意識、、意識、、であるということだ。いや、そうではなく、「その、、意識」であるということなのだ。
 意識はそれ自身で存在できないのだから、そのことからどのように脱け出ることができるというのだろうか。そのようなしだいであるから、意識Bと意識B’は連続的に抑圧されているに違いない。――何に?

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光が、思考から滑落するか

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一次元は内部をもたない
から斜めに走ることがある
わずかの隙間だから見えること
に意味のあるはずも

死ぬときのことを考える
と光はいいかげんな原罪
文字どおり出現する文字なの
だからと考えてもいい一瞬の
あらあらしい失神に通ずる
だけだ 黄金色のかみのしみ

一次元の線では亀裂
のたぐいかもしれない
息ができなくなって失われた
ものも光を透過しないから

あわてて掻き抱く絶対的な境界
をもつと影の向こうは存在しない
物理的に苦しいことの恐れ
を実在としてはいけないので

この場所を占領している
のだったか本質的に見えるが
絶対的に区別される死そのもの
は未来と同じにイメージできるのか

亀裂の中はゼロでないから楽観
しても会話のはしばしにただよう麻薬
光が折り畳まれている
にちがいないから

動物的な苦しみも光の面
を記憶させる けむりと泡
実体のある次元 粒子
のあらあらしいモノグラム

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自由とは何か[008]

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 地面を引きずって徘徊するその意識は、決して地面に引きずられてはいないのだと叫ぶ。だが、天井からは継母の祝福されざる黒い血が滴り、屋根裏部屋の床一面には重力の破産を示す熔解した天体の落下の痕跡が見られる。痕跡は鉱物の形をとるのか、植物の姿となるのか、あるいは生々しい肉そのもの……。すでにこの世を後にした意識は、物質と物質との関係は、意識と物質、意識と意識の関係でもあるのだと言い残していた。その意識が向かったのは、向こうから押し寄せてくるものがとうてい看過することのできない反撥と激突とでもいうべき鋭い亀裂。

 意識Bは逃れること、逸脱することはできない。だが、本当にそうなのか? もちろん、BはB自身をつなぎとめておく。そうすると、BはB自身にとって誰なのか? BはB自身を押し潰そうとしている範囲に囚われているだけで、その一部、あるいは付属しているものではない。たしかにBは奴隷のような存在であることを強いられてはいるが、敵意を失っているわけではない。Bは堪えているに過ぎないのである。――何に?
 私はここで素朴な疑問に直面する。その薄い皮膜がどちらに属しているのかを、いったい誰が知っているのか――。

 ――まさに〈私〉が息を終えようとしているその刹那に、〈私〉を唆して飛び立たせようとするものがいるのだ。〈私〉は羽撃くものではないし、翼、鰭、跳躍に適う強い脚をもつものでもない。天使のように無残な光輪も、醜く硬直した幼児的な微笑も持たない。ただ、たしかに深い憎悪と鋭い敵意を抱きながら囚われつづけている、まさにその接触面にいるのである。〈私〉を解放しようするものが現れたとしても、〈私〉はその欺瞞と悪意を見破り、何ものに対しても完全な侮蔑と敵意を失うことはないだろう。〈私〉はあなたに対してさえも、またこうした自分自身の重複せざるをえない意識の連鎖に対してさえも、〈私〉を囚えているものに対する反抗と同質の〈反抗への意志〉を欠かすことはないだろう。

 意識Bは遠い宇宙の起源、物質の起源の記憶を持っているのだろうか。完全なる反撥とは対称性と関連している。粒子と反粒子は、どちらがどちらを生成させたのか、あるいはどちらが起源なのか。そこには電磁力というよりも重力の秘密があるようだ。空の状態から物質と反物質が生まれるということは、空の場からさらに二つの対称性を持つ場が生まれたということにならないか。空は消滅するが、重力はそれをこの二つの対称性に分かつと同時にその根元であるから、そもそも二つは重力によって惹きつけあうのだ。そして、いずれ、遠い距離と時間を経て元に回帰することが予測される。
 意識Bは孤立した反抗者だが、生成したのか分裂したのか、内包なのか外延なのか、いずれにしてもそこには徹底した反抗する分身が存在するようだ。

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