カテゴリー別アーカイブ: 魔の満月

魔の満月 0(憧れて風雪数千年の都市に至ってみれば……)

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0

憧れて風雪数千年の都市に至ってみれば今まさに時代は肛門期である
半身が獅子の乙女を殺めた秘法は肉に刻まれた奇怪な符号に充たされているが あのアンティゴネエの父親における罪業は素晴しき知の畸型児として追放に価する
飛行場はこの危険な招待客に対して潔く閉鎖され 女神の座に腰掛けた彼の盲に対すると同様にきわめて慎重な態度をみせている
エルドレにとって それゆえ唯一の標識とは 深い雪に匿された管制塔の内部に組み込まれている銀色の自働器械群の奥にどよめく 電子の世界を独特な装飾で律する不思議な摩擦音というべきであろうか
広がりを誇示し 豊かさにあふれることを示す白亜の巨大な樹雲に囲繞され 円形にくりぬかれたその土地を眺めて エルドレは人の子は空からの贈物に乗って不時着したというプラトン期からの伝承を想い起こす
それは実に臍の形状である
多種多様な形や色彩さらに匂いや舌触りによってはじめてそれとわかるあの窪み
また内部に引き込まれていった肉の筒の残骸
おお 彼の臍によって世界の内と外 始まりと終りは逆転させられているのだ
それゆえに登場人物は物質の内部に秘匿されている非人称である
エルドレはあの乾燥期の神の苑のことを思い出す
澄明なまなざしと無謀な行末に対する狂気とをあわせもちながら
聖地ラドルは底なしの沼のように円形にたえず沈下している一対の空洞と それらに挾まれた小高い隆起と またその丘に直角の方向をもつやや小さめの楕円形の洞窟を中心にして球体を構成している
それら三つの穴は無限の力を秘めた恐怖の淵と称ばれていて 花苑はその周囲にまで拡がっている
エルドレが特に好んだのは二つの畏ろしき淵に挾まれた小高な丘陵地帯である
湿潤期にはボウという帯状の色あでやかな植物がその一帯に隙間なく咲き誇り 恋人たちはその甘美な叢の胸の奥深くで浮游しながら交わるのだ
それはまさしく誕生の大海原である
その柔らかな渦の中で人々は栄光の輝く輪を与えられ 原生動物の快美な祝福に包まれる
エルドレの脳裡を掠めるのは だが湿潤期の去った後に訪れる乾燥期のボウのことである
ボウは恋人たちを母のように包んだまま綿毛状に結実して あのなだらかな それでいて最も高い丘がそのまま険しい断崖となっている土地を純白の丘に変貌させる

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魔の満月 i – 1(岩窟に刻まれた扉は……)

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i – 1

岩窟に刻まれた扉は開き戸ではない
灯影の妖し気な揺らめきにも似た地下への最初の踏査はとうにダイナモの白熱的な好景気になる
我が主人公“物質の幻惑”は古代史のうちをさまよっている
ポラリザシオンに関する諸々の作品行は すでに皆既蝕のただなかでペンギンどもとともに金環をみせて結晶している
百数十種の奇態な動植物の浮彫に装飾されている自然石
象牙製の角坏に巣くうグリュフォンやミトラ または爪先立ち両手を差し伸べるエロスを高々と頭上に掲げる勇者の宴は祭奠さいてんの頌歌をあふれださせている
おお これら象形のガーターよ
鍵穴や錠前や暗号もなく 重力のちょっとしたつりあいによって轟音とともに財宝を示すのは母なるイシスの言葉である
言葉はさらに言葉を喰いながら大いなる衍文に興じている
未来的な断言に憑かれている網膜反応は何という風呂屋の安っぽい鏡なのだ
火葬場のかまどの高熱状態へとなだらかな上昇曲線を遂げてゆく地面の火照りと 魚のような臭気を発する硫黄ガスが肢体を充分に浸してゆくと それに伴い エルドレの緑の望郷は寸断される
白紙の平原の縁辺はそれほどに鋭く剣呑な切り口となっていて 活動期の火山の証拠が叙述されている
だがそれもこの断崖を中心に数百メートル四方の凹凸の部分だけであり 右方の崖下には白雪に洗われた古代樹木 たとえば月桂樹の幹や枝が骨を剥き出しにしている
左側は漆黒の緞帳を垂らし 忌しくも危険な儀式を執り行う祭壇を思わせるように 鬼気凄々とした濛気が漂っている
そしてエルドレの真下では 茹だった血潮が炎を噴きながらどろどろ渦を巻いている
谷底のそれらの境界がどのような魔法によって織り分けられているのかは知る術もない
だがその妖婆の鍋底から弾け飛んだに違いない巨石は 火山岩でも火成岩でも ましてアルケミーの産物でもない
丸くつるつるとしてひとときの安らぎを与えてくれた巨石は 古代から宇宙の衰退を凝視ていた白亜の卵なのである
それは主の誕生とともにあり そのまま孵ることなくその悲しみを充溢させて石化したのである

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魔の満月 i – 2(セント・ピーターに在留を……)

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i – 2

セント・ピーターに在留を許されなかった博士は 目玉を狙う肉屋から保護してやったカプリの幾万羽の小鳥たちによって天国に匿されている動物どもの楽園に招かれる
この翼のある優しい生き物は篭を開けると空へ向かって翔び立とうとして いつもその鋭い箭を化粧台や窓枠に嵌められた凝固した泉にへし折られてしまうのだが コレラの流行したナポリで修道尼にキッスした医学博士ならばこの忌しいプリズムを小鬼に命じて取り払ってしまうだろう
エルドレは自分自身の影を凝視ている
その影は だが別の生き物のようにエルドレとは異なった険しいまなざしで彼を射竦める
おおこの世のものではないエルドレは影などではない
まぎれもなく愛しいエルドレ
塞き止められていた欲望が肉体を再生し 二人のエルドレの唇を重ね合わせようとしている
何という冷たい感触をもつ優しい接吻だろう
おお彼らは水晶のうちに惹き寄せられ吸い込まれてゆき この鏡の内部に封じられる
宝石商の裸体の娘が残した金剛石の赤い痕よ
彼らは交わる あのテラコッタの性器のように
だが流され充溢するのは聖地のコアの石炭袋の暗黒のおびただしい液である
無患子むくろじの硬い種子に封ぜられて船乗りどもの皺だらけの海図が展げられる
半透明のペルガメントの表面には粘菌類の長い旅と永久運動の鞦韆が揺れ動く
庭園の水晶時計が美に関するアリストテレスとの夢問答を噴射する
時狩りが鐘を鳴らし断食の一日を告げる
がんの上に並べられている多彩色の壁画は燧象すいぞうの法のよい標的である
二人のエルドレが重なり合った轆轤の中では十三の約数を再び総合して第四の完全数を作ろうとしている
船に設けられた仮面劇場では巨大な張型を振って王国の秘話が再現されている
粗末な壁に括られた棚に差しかかる茶褐色の日光
あの貪欲な繁殖力をもつ小動物に助命された円形の大広間
風琴の物悲しい細工で世紀の恨みを晴らした老女
おお血の儀式は亡霊どもを呼び寄せる
吊り庭は石炭袋に吸い取られるだろう

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魔の満月 i – 3(中空でふんぞり返っている邪悪なるものの……)

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i – 3

中空でふんぞり返っている邪悪なるものの舌に白い裸身を翻弄させながら エルドレはあの美しき囮の彼方から不吉な砂煙が攻め込んでこようとしているのに気がつく
すでに死の呪いのうちに還りついているがらんどうの建造物は腐蝕と退廃に供され まさにあたりの砂とともに崩れ落ち同化しようとしている
エルドレに施された夢はいったいどのような材質なのであろう
エルドレは勇士の彫像から錆びついた鎧を剥ぎ取ると 徐々に紅を帯びているしなやかな肌に素早く装着する
身にまとうこの二重の衣はあってはならぬものへの断乎たる拒絶の姿勢である
生命の轆轤ろくろのように無機物の塩の累積物を焦がしつづけている永劫の火がその焔の中に澄み透った玲瓏な鏡を現し 武装したエルドレの全身をことごとく明瞭に映じている
この眼が映し出しているのは己れなのであろうかと嘆じると 炎がひと揺れするたびに二人さらにひと揺れすると四人というように鼠算式にエルドレの影が増えつづけ その数が四千九十六人に達すると次の十一回目の揺らめきで三百二十四人が加わり 十二回目の揺れでは四百六十八人が独自に炎の尖端から現れ 総勢四千八百八十八人の武士が十三回目の最も大きな揺らめきでエルドレの前に武装して登場する
精根を使い尽くして神の火は千数百年の寿命を全うする
第十回目までに登場した軍勢に十一回目の軍が加わり それらは二千二十四人と二千三百六十九人の軍団とに再編され 十二回目に生まれた残りの兵は二百二十人と二百四十八人の部隊とに分かれる
最も大規模な二つの軍団は槍といしゆみで武装した歩兵たちであり 後の二つの少数精鋭部隊は赤毛の駿馬に跨り緑の総のついた純血同盟の旗幟を靡かせ 象の皮を幾枚も重ねた金糸の縫い取りのある楯を掲げ 鋭い剣を輝かせて 先頭に立ってエルドレの前に進み寄る
ああ絶体絶命のこの窮地
混乱と激しい恐怖という明白な予見
ひらき直りとやけくその専制支配
強いられることから生まれる力よ
おお危機の深いクレヴァスの底から得体の知れぬ自信が湧いてくる
余裕をもった眼で屈強の軍勢を観察すると 兵士のどの顔も同じ眼つき一様の表情をしていて 彼らの造作がまったく単一の法則によってなされているのを知ると親しみさえも感じるのだ

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魔の満月 i – 4(闇に囁くものたちの勢力が……)

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i – 4

闇に囁くものたちの勢力が拡がるにつれ 再び蘇ってゆく火と鏡とを材質にした逞しい武士たちを率き連れて エルドレはもう潤いを呼び戻した河の右側に高く堂々と聳える円形の宮殿に赴いてゆく
唐草のびっしり絡まった城壁を取り巻く幅の広い濠には巨大な跳ね橋が渡されている
音もあげずに橋が跳ねるのを振り返りながら無数の矢狭間の並ぶ二つの円筒に挟まれた拱門に進んでゆくと その奥から明るい光とともに優雅で澄明なソプラノが和し甘美な娘たちの匂いが漂ってくる
城壁と円形の宮殿との間で輪を描いている庭園には色とりどりの花もさることながら 涼し気に幾つもの噴水が高々と舞い上がり 内部から綺麗な光を発する漏刻がそのひとつひとつの側に置かれている
武勇を誇ったり愛を主題にしたり厳そかに神々を讃えたり たとえば木に縛りつけられた金髪娘とそれを襲うタイガー その娘のはだけた胸を蔭から覗き見るハンターなどといった野外劇あるいは仮面劇を思わせる大小の立像が 花苑や小鳥たちの囀る叢林の中に幾多並んでいることだろう
宮殿の高い入口は成金好みのごてごてとは異なり絢爛でありながら上品な装飾が施されていて 当主の趣味の良さを感じさせる
その図柄は蠍を際立たせた四大の精霊のもので 透き通るがごとくのレリーフである
この宮殿の一階中央には縦に二つの矩形の大広間が続き廊下のように並び 壁全体をカンヴァスにした絵には古今東西の動植物および建物 山脈 運河 湖が鏤められ その手前の部屋はありとある絢爛豪華な快楽が象徴され 奥の部屋には崇高な神々の国が美事に描かれている
高い天井に貼りつけられた星座は明るいシャンデリアに隈なく映し出され 幻想的な物語が繰り展げられている
黒檀の円テーブルや大理石の龕やマントルピースには細やかな彫刻が絵巻物のように飾られ 金銀の食器には酒や数百種類の料理が盛られている
二つの広間に挟まれた鍵型の渡り廊下の中央に極めて深い井戸が掘られていて そこからは芳醇な匂いを湛えた黄金の美酒が湧き出ている
これらの中央を貫く通路の外側にたくさんの数の個室が割り当てられ そのどの部屋からも必ず二階へ通じることのできる螺旋階段がさらに外側に太い帯のようにして備えつけられている
屋上の庭園の真ん中に尖塔のような天文台が設けられ その天文器械には蚤たちの製造した精巧なレンズが使用されている

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魔の満月 ii – 1(世界創造説コズモガニーの窈窕な……)

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ii – 1

世界創造説コズモガニーの窈窕ようちょうな原理によれば 端初には大地と暗黒と愛とが鍋底を形成する
無花果の成熟する二つの季節のように投擲された夜は戻らない
夜の卵から生まれし者
汝の矢筈と炬火を用い生命と歓喜のバラッドを織り出そう
息子らを喰う巨大なる神クロノスの掌で 肉の筒は葬られるべき運命に従い記憶のレトルトに転身する
おびただしい眩暈
光暉あふれる朝が生贄を健康な緑の海洋に曳航する
朱塗りの船団が穏やかな入江に碇泊している
眩い白砂が黄色の頭花を散状に開いたハマニガナの叢を優しく抱く
幾星霜もの波に洗われすっかり丸味を帯びた流木や壊れて薄く塩を吹いた貝殻や所帯道具や玩具が散乱している
いかなるみぎりが青史を彩っているのだろう
ルーン文字を眺め 年老いた遺跡監視人は幸福な民族の住める北の王国ヒュペルボレナスの伝説を反芻しているのだろうか
ピトスと称ばれる大甕に海洋文明は九十の諸都市を封じる
出納帳に記されたヒエログリフや線文字に強い陽射が照りつける
広袤こうぼうとした天空を仰ぐがいい
自然の美しさよりも峻厳な時の器
神々の摂理がうら若い乙女を破滅させるさまを
処女懐胎とは女学生の自己分析に因む
眼球の中で焔が躍り 幼児の頭脳は殺人事件を再現する
衍文を粉飾し アンスリウムの肉穂花序のように仏縁を願おうか
母なる漆黒の象が長い鼻から夜を吐く
両性具有の守護神はひとときの慰安を口遊む
ボウの魔術の中枢をなす催眠の大通りに聳える拝殿
そこには微かな光を帯びると伝説の神託の紫色の文字を浮かび上がらせる魔鏡が匿されている

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魔の満月 ii – 2(エルドレは周囲を見回して……)

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ii – 2

エルドレは周囲を見回して驚天する
誰もいないはずの船に一瞬にして数十人の男が現れる
逞しい躯を陽光に晒しながら忙しく走り廻っている
一人の水夫が檣楼しょうろう見張所からするすると辷り降りるとエルドレに向って駈け寄る
茫然としたエルドレは為す術もなく佇む
エルドレを気遣うものとてもない
だがその男は視線を合わせることもなく エルドレの躯が空気であるかのように擦り抜ける
エルドレもまた確かに船乗りを擦り抜ける
否 確かなものなどありはしない
一切は一炊の夢 まさしく眩暈のうちにある
これもまたあの灼熱の国の贈物サドラのなせる神秘の技であろうか
あるいは自ら幽境に徨い出た結果なのか
見張りが航海の順調を告げると 屈強な男たちが甲板に勢揃いし車座に腰を下ろす
十数頭の山羊や数十頭の鶏が船底から引きたてられる
十箇の酒樽が転がる
全身剛毛に蔽われた男が大きな刀で動物の首を刎る
甲板がその血を啜ると酒盛が始められる
竪琴が潮の甘い香りに誘われて武士もののふたちの長い戦の唄を奏でる
真紅に熟れた太陽を目指しこうのとりの群が翼を燃え立たせて飛ぶ
古えからの作法通りに漣が船縁を叩く
物質の記憶はプラトーン立体のごとく壮麗である
錬金術士の登場に始まり嬰児が鼠に噛み殺されるまで時の嵐は悲哀そのものだ
数十人の暴漢に袋叩きにされる
叩き伏されて婚姻届に捺印する
暁の鏡の中で健康な髭がおとがいを包む

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魔の満月 ii – 3(天幕を裁断する玲瓏な光が……)

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ii – 3

天幕を裁断する玲瓏な光がエルドレの微睡まどろみを破る
俄に空は掻き曇り 凄じい稲妻が縦横無尽に走り廻る
暗黒の帳を裂き艫を掠めた青白い稲光の只中に 一糸纏わぬ 逞しい肢体も露わなアルゴナウテースの栽尾の姿が照らし出される
眩い閃電が甲板で緩やかに偏光し 口淫する綺麗な咽喉の曲線を映す
ごうという音響とともに迸る二叉に岐れた黄金の火箭が舳先に注ぎ 深い接吻のぶ厚い唇から滴る唾液を燦かす
その向う 闇に擁かれた行手を見ると 光の波に洗われた蒼白な島影がくっきり姿を現す
轟きわたる雷電は激しい嵐を湧出する
白帆は千々に引き裂かれ 荒々しい高波が船を叩き伏す
容赦なく降りしきる豪雨が甲板に溢れる
帆檣がみしみし不吉な叫びをあげると 天辺で水夫がもんどりうつ
自然の悪意に翻弄されて船から振り落とされる
大沈没寸前のガレー船よ
乗組員のほとんどが荒海に潔く身を任せようと我勝ちに宙に躍る
数十人の男の投身の姿勢よ
このまま海に呑まれてなるものかと エルドレは巻上機の赤錆びた歯車止めを外す
からから心棒が音をたてて回転し 深い海底に君臨するポセイドーンの胸めがけて錨が落下してゆく
おびただしい光の乱舞の紡ぎ出すありとある風景はいかなる誤植に匹敵するのだろう
運命の糸は世界を転変させる
強健な肉体を宿しながら 哀れにも海の藻屑に成り果てんと中宇に躍る武士もののふたちは 様々の投身の姿勢のまま 蝋燭の炎のごとくぷっつりと掻き消える
亡霊は光の彼方に帰還する
我が主人公“物質の幻惑”は誰に夢みられているのだろう
エルドレを迎え入れる帰還の途とは
時を一にして 天を蔽い闇黒の海洋を専制支配していた雷雲はみるみる退き 一瞬のうちに水平線の彼方に没する

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魔の満月 iii – 1(頭脳から天球が生ずる……)

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iii – 1

頭脳から天球が生ずる
古びた血から大いなる四海と河川が生じる
そして塩辛い汗からは雨雲が生まれる
泥濘ぬかるみの中を疾風のごとく駈け抜ける七頭の悍馬
神と龍の誉れを戴いた黒鹿毛の駿馬が敗れ去る
人間は宇宙に巣くう蚤だ
偸食の民の頭上に舞う紙吹雪
相手は俺だと言いざまナイフが奇静脈を破る
よしてお呉れよと三十路を越えた女の声
小僧奴と一喝する地廻り
友よ
兄弟
またしても邪魔をするか
時の器に旨酒を注げ
坊主に習った飲酒法で世界の涯まで肥大する
おお因果の正理を無視する幻惑
下駄を履かせて小鰭の鮨でも売らせたい
壁に吊られた死の舞踏の沁るような髑髏の頤
物質の胎内を巡る底知れぬ小径
地球は悪名高いお前の懐中時計だ
斧で天地を開く
五色の石を煉って箭を作る
木を穿って焔を生む
混沌は束の間にうがたれ死をもってて汝らを造物する
詩人は墨に塗れた手で女を愛す
心中に失敗して青春に悔なし
夜々同じ道を辿るのは結婚生活第一の苦行
公園に通じる坂から白楊の樹上に座す膿んだ満月を見る
血の味が罩められた光は闇夜と媾い 牙の生えた鏡が熱い息を吐く
四つの門歯と十二の臼歯をもつ獣の大移動
屁をる美女たちよ

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魔の満月 iii – 2(至高の秘儀ともいうべき王家の……)【詩篇「魔の満月」最終回】

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iii – 2

至高の秘儀ともいうべき王家の処刑は 既に枯死したボウの苑を囲む三つの恐怖の淵に設けられた冥王の座で執行される
エレーア
恋の初峰入り
我が生と死の賜物よ
紫焔に包まれた哀切
その苦悶よ
エルドレは虚ろなエレアの死の瞳を想起する
オルリー公は種々の拷問を加えられた後 第二の冥王の座で狂死する
第三の呪いの座に供されるはずのエルドレは 高僧たちに匿われ フネを駆って彼地を後にしたのだ
宇宙を支配する縄墨じょうぼくはその代償に聖地を第三の冥王の座に就かせるのである
あの赤く膿んだ星天の唯一の故郷は暗黒の斑ヘと変じている
篭目と称される不吉な唄を想起せよ
後門の狼と前門の虎とを併せもつ者は誰か
六芒星の北と南の中央に位置する恐怖の帝国
此地はエルドレに与えられた冥王の座なのだろうか
天円地方と唱えるに相応しい土地を見回すと 暗がりの中に十三個の金色の宝輪を戴いた十三階の塔がある
その周囲に五つの彫刻が見える
エルドレは四角い地面の中央を大壑たいがくが恢然として走っているのを知る
その底から 得体の知れない湯気とともに甘美な匂いが湧出してくる
頭脳を優しくねぶる性質の香り
エルドレは深い亀裂を覗き見る
尻尾の長いもの 短いもの 縮れているもの 千切れているもの
種を問わず 億千もの黄斑点をもたぬ近眼の生き物が 白い長大な門歯を研いでいる

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魔の満月 詩篇「河図洛書」(低く垂れた倉庫のゆくりなくも……)

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河図洛書(行分け版)

低く垂れた倉庫のゆくりなくも満潮の迸り
月下の海面すれすれに増殖してゆく二重三重の扉
まるで真夜中の河沿いに閻浮提の空言が閉じられてゆく
ひとがた狼の凍りつく矛の暗示
おお狡滑なる幻惑の逆しま
だが前兆だとか予告だとかの幸福な烙印は落されていない
七宝陶器に封入されている書物のメモリアル
蔦紋様の暗箱に映る宇宙の空腹
それらの蓋付きの円筒に書物を潜むラペルが貼られている
視神経の傷ついた細胞のひとつひとつにもまた
だがそのような博物学的な書棚の道筋にかつてないほどの索引が彩色豊かに蔵されてゆく
洋服箪笥を入口にした玩具の王国
天上圏に棲む魔の使徒ども
おお穴と穴
おおそれほどの衍文
翻ってみれば家畜小舎を湿らせる脂
五芒星呪の小道具をそもそもの発祥にしながらゆけども弾条の微かな波形
密偵の暗躍する古着屋の通りを抜けて一軒の書肆を訪れる
枯葉を伴う渦巻がけばけばしいポスターを破棄すると木目が神秘主義的な模様になって現れる
少女が図書目録を閲覧する
ウインクしながら聖典アペスタの所在を確める
莞爾として応答する異様に背丈のある若主人のかたわらでこれも背の高い美貌の細君が鏡を覗いている
石化した鏡の世界
しなやかに燃える火災現場の夜よ
墓場のせせらぎとは運河の名残である
青白い数百もの燭光を照明にして廃墟の伽藍がぼっと浮ぶ
闇に吸われゆく鍵の銀流しと地下室への階段
ドッペルゲンガーの徨う粗末な街路が拡がる
その際で眩耀に充ちながら硬質の滑らかな表面に猟奇・錬金の淡い釉薬をたぶらかせて淫奔なる陶土の羅列が朽廃している

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魔の満月 詩篇「見夢録」(マミ夢メモ……)

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見夢録(行分け版)

マミ夢メモ
魔行の曼陀羅の投影図法の歴史の鍋よ
記録表の数字が手術台の極彩色のたおやかな光の女どもに永遠の四捨五入を迫られている
だが統計学は事件簿に等しく転変の菫色から零へと垂れるであろうか
親族の夜は古代から不倫の車輪であり劣悪なる壺の心棒である
父の帰る頃の王宮は肥満体の花どもによって性器がしなやかな鞭である
数台の自動車に分乗してパーティの証拠湮滅を画策すべく銃火器を用いて深夜を警備している水銀灯を殺害する
おおその背にマッターホルンのように聳え立つジャックナイフよ
曲芸人の肘には殺人事件の筋肉が聖衣さながらに感光している
頭蓋骨を撫でよ
机上の宇宙モデルの頭蓋骨を撫でよ
それは古代のランプである
またそれは巨人伝説の魔法である
それから頭蓋骨を展げよ
その中には記憶の寸断という美酒があふれている
前後不覚の電線の路地という路地にどろどろ腐蝕した蛸や蝙蝠や燭台の足が吐かれる
美貌の少年たちの美貌の臓腑よ
おお紺碧の激痛が尻の根元から汚濁した七色のインク壷を噴出させる
熾天使の王たる電気回路を逆さまに果実を転がしている共有結合
巧妙な打楽器の激しい列車は真空管である
鏡板の迸る涙が切妻敷桁を封じ込めてゆく
薄暗い教会堂を陶器でできた年代ものの北欧人形が訪れる
だがその老婆の胸に抱かれた枯花がみるみる値札を開いてゆく
頓興な少女の黄ばんだドレスあるいは雨雲の襟巻にパン屑や造花が弾丸を飛ばす
牡蠣は人面相をしてゴシックスタイルの官僚である
差掛屋根の南方系樹木の果実は黄金のコンソールテーブルである
それらは第一夜の所業でありとりわけ第二夜には部屋の勾配に倒れ込む資産家の失踪が宣言される
四柱式寝台に招待された被害者と追跡者は擬不活性ガス構造をもっているであろうか
羽目板には留金と刃が薔薇窓である

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魔の満月 詩篇「楽天地」(栄光は薄暗い小部屋の中で……)

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楽天地(行分け版)

栄光は薄暗い小部屋の中で瞬いている
はしゃいだ子供たちの頬に口づけよ
廻転木馬に跨りながら
河辺の遊園地はきらきら光る朝陽とともに健康である
妻の名を冠せられた橋を起点に禍の橋や粗忽長屋の棟を眺め静かな海に向って冒険の道が延びる
それは母への精一杯の婚礼の挨拶である
その昔工場から直送された麦酒がほろ苦くドイツ風レストランで蓮っ葉な商売女と一緒によく泡に濡れたものだ
山師どもの跳梁した時代
慟哭すべき略奪の季節よ
十九世紀の晨光の下で王の墓が開封される
爆竹が小うるさい銀蝿のように南風の中で鳴る
骨董品は蘇生し大理石の階段はゆらめく烟のように天空に紛れている
AIを染織した花が咲き乱れ子供たちの真紅の血潮が雪化石膏の部屋に溢れる
石版の昏がりで幻の水晶球が素晴しい色彩の光を放つ
半盲の詩人にとってそれは高貴なる廟である
老婆が聖刻文字で印刷された入場券を売り歩く
甘い歌声が聞える
誘惑するのは誰か
レ―スの縁飾りの付いた白無垢のドレスを纏う花嫁
あるいは祖なる四大から発せられた磁力なのであろうか
写真機のマグネシウム閃光のように早朝は寒冷の岸辺で顫えている
文明の頽唐期が脳髄の淵から書物の源に架かる綺麗な印相を残す
波止場に色とりどりのヘリウム風船が舞い上がる
ミルク罐を抱えて駈け出す女の児
倉庫の重い扉や桟橋を舞台にしたギャングごっこ
ときたま酔っぱらいが恐怖の嗚咽をあげる
おお亡霊のようなほぱしらを傾けて船が出航する
廃液に充ちた海面は鴎たちの滑走路である

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魔の満月 詩篇「貝殻伝説」 (ゆけども間断なく書物は……)

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貝殻伝説(行分け版)

ゆけども間断なく書物はめくれあがる
タロットを用いて彼らを呼び出そう
光は失われているのだから
闇の彼方から地底の使者たちが黒い布にくるまって現れる
翼ある怪物に騎って紫の水流を渡るもの
心臓の形に切り取られた鳥瞰図を作成するもの
王蛇科に属するとぐろ巻くものの飛行のような
華やかな光が点り次第に濃厚な色彩を映し出す
使い魔たちは三種の得物を携え僧服から頑丈な貌を覗かせる
だがこれらの舞台を領する幻覚は砂粒ほどの大いさである
脳髄剥離はこのときなされていたのであろうか
夜の充溢もしくは性器のようにべろりとした薔薇
楽園の悩ましい匂い
空想物語の奇怪な言葉は秘密の裡に次なるシレーヌを誕生させる
満天の星は薄汚れていた
左腕を折られた酔漢が地べたに伏していた
貧血の靫蔓うつぼかずらの巨大な袋から夢の液が浸み出ている
おおこの魔の薬草の素晴しい効用とは
端正な口許から白い犬歯をみせて上等のマントを小気味よく翻しながら一人の紳士が近づいてくる
鋳掛物の月が超大な棹を突き立てて祝福する
神降しの台座は太陽を身籠っていた
そのあたりで羊水を貯えた鉱物が見出される
それから十と三つの断崖に括られた誘惑の堕天使が鳥肌をふるわせ想い出を託して細い声で唄う
のっぺりと白い渦が耳鳴りを伴って浮游する
洞窟や耳朶さらに書物の花冠へと幻聴はどろりと紅潮した旗を振る
そうして下腹部に矢印の尻尾を生した僧職が澄み切った星空に酒気を放ってゆくのである
険しい霊気が訪れる
呑屋で高尚な話をする奴なんて嘘っ八だ

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魔の満月 詩篇「恋の衍義」 (蝸牛の胎には女が宿っている……)

恋の衍義

蝸牛の胎には女が宿っている
糠雨のしとね
妖しい濛気に擁かれる 紫陽花
その重たげな葉叢の奥に
伝説の古城が変幻している
若者は華奢な指で
水晶のように透明な殻をつまみあげる
渦巻の行手は
恋する死女の枢であろうか
若者の反り返った真紅の唇から
微苦笑が洩れると
幽厲ゆうれいの織りなす緞帳によって
なお
一層の闇に封じられる

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』創刊号 略称フネ/昭和50年刊/発行人・紙田彰/初出誌ではタイプ活字の代替のため「恋の演義」、また坂西眞弓作としてある 1975)

魔の満月 詩篇「眷族の恋」 (不吉な光の綾の中に……)

眷族の恋

不吉な光の綾の中に
青銅のロンボスがくるくる廻っている
誰に調律されたのであろうか
一対の自働人形が
ラビの庭で恋を語らっている
灌水農業ポリフノエ・ゼムレジェリエの大いなる成果で
甘美な液体を充した覇王樹の
妖異なる花は
日時計の運行に逼迫するであろうか
王家の数奇な物語を綴った野外劇は
数十億年の生涯を遂げた沙塵とともに
星空の彼方に溶け入り
若い主人公たちは
永遠の彫鐫ちょうぜんに化している

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』創刊号 略称フネ/昭和50年刊/発行人・紙田彰/初出誌では「欣席 あるいは眷族の恋」坂西眞弓作としてある 1975)

魔の満月 詩篇「恋の柩」 (炎のうちにどんな秘儀が……)

恋の柩

炎のうちにどんな秘儀があるというのか
媾合の壁画と古代神の立像とが
高窓の鎧戸から洩れる 紫色の
光の箭を浴びながら
黄金の巨きな卵に呑み込まれる
肩まで垂した艶やかな捲毛が
胸の双丘を蔽うと
老女は生涯の枝脈を遡る
そのひと滴の中には 邪悪な舌をもつ
火蜥場の王国が匿されている
没薬にたぷらかされた息子らは
閉じられた芯になおも漿液を注いでゆく
破局は来た
それはなんという紅蓮の効果だろう

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』第2号 略称フネ/昭和50年刊/発行人・紙田彰/初出誌では坂西眞弓作としてある 1975)

魔の満月 詩篇「神の手」 (その色彩を愛するものにとって……)

神の手

その色彩を愛するものにとって
深い夜は幸福である
天文台の円天井は四大に囲繞され
アルタミラの洞窟は
母の袋のように癸水きすいにあふれ
蕙樓けいろうには黒耀石でできた大鳥が向う
だがなんという掌の変事だろう
真夏の毒に熟れた天球は
肉と鋼とを秘めた剣のように
宿命の悲恋を祝いでいる
識神は
夢の筒なる旅路へと
生贅たちを導いてゆくのだろうか
あの澄明な空を逝く満艦飾の星々のように

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』第2号 略称フネ/昭和50年刊/発行人・紙田彰/初出誌では坂西眞弓作としてある 1975)

魔の満月 詩篇「降神術」 (少年は凍れる雪を抱いて……)

降神術

少年は凍れる雪を抱いてめざめる
熱い唾液のこぼれる彼方に
夜の森がひろがると思えて
炬火に蝙蝠が辷る
歩幅をせばめて
樹々の寝息を乱す
水烟のこもる細流せせらぎ
一房の南天が漂う
女のように深い声をあげると
亡霊どもはぞくぞくする
澱に塗れた短剣を
掌に忍ばせ
初心うぷな母親を刺してきたのだ
夜を迎えるために

(初出 詩誌『地獄第七界に君臨する大王は地上に顕現し人体宇宙の中枢に大洪水を齎すであろうか』廃刊号 略称フネ/昭和51年刊/発行人・紙田彰/初出誌では「魔の満月に至る口寄せの秘儀 降臨」坂西真弓作、としてある 1976)

魔の満月 詩集「魔の満月」跋 (「紙田彰の詩」入沢康夫)

紙田彰の詩(抄録)  入沢康夫

(略)
 紙田彰氏の詩が、ずばぬけて豊かなエネルギー感と、将来への可能性を持つてゐることは、一見して読みとれるところだ。しかし、またここには、多くの危険な間道がいたるところにあつて、いつたんそこへ踏み込まうものなら、いはゆる「ヘボ筋」へ迷ひ込んで、とり返しがつかないことになりかねない、さうした感じを強く与へるのも事実である。もつとも、私は、このことを、紙田氏の詩のマイナス面とは思はないのだ。豊かな可能性と、数々の危険とを、同時にかかへ込み、その劒ヶ峰で、一歩一歩を運んでゐる詩人、そんな詩人だけが、私の関心を強く惹く。それにしても、このやうな詩人については、はたから、はらはらしながら見守つてゐるより仕方がないものである。ほめてみても、けなしてみても、すべての言葉はおざなりな響きを立てるばかり、それに第一、当の詩人の耳にはきこえつこないのだ。当人は、いはば生死のせとぎはで辛うじて歩みを進めてゐる最中なのだから。
 ここに集められた紙田氏の詩篇、とりわけ長詩「魔の満月」は、まさしく右に述べたやうな意味で、私にはじつにじつに興味深い。そして、この詩人が、無数の危機をうまく乗り切つて、前人未踏の詩境へ到達する日を、「はらはらしながら」期待してゐるのである。