カテゴリー別アーカイブ: 断片

〈解離手帖〉20010702: 吟行 7.2

吟行 7.2

花の名を 知るから花の香りあり
(バラの花壇での「花名」を見ること)

風を裂く 母の声にてはつとする
(母子の遊ぶさまの何に興を覚えるのかを自問してゐるときに若い母親があげたる声)

幼子の 頼りなき足もとよ
(人形じみた足もとよ)

花盛り 花のかんばせ重くして
折れんとするか花芭蕉
(重力に叛くがごとくの曲つた茎)

犬と人とは性的な臭ひがしてゐる
(犬を連れた散歩者の本質的な匂ひ)

バラの花壇に一本のひまはりの立つ
(色に力のあることに「をかし」)

橋桁の下でエクササイズする心理の暗闇
(隠れて球を橋桁に打ちつけてゐる少年の暗い思ひ)

潮にまつはる匂ひ
船着場の波打つ(ひきつる)水面
暑光(残光、鈍色の太陽が泛ぶ)

瞬間をとらへる絵よりも流れゆくものをうかがへ
(さゞ波の風の動きによつて生ずる波の稜線の向き、ぶつかり。交錯する瞬間はあるが、光と影にあふらるゝ時間の推移。)

鳥の飛び立つさま
斜めに疾りて
音たてて羽撃く

鳥の後背から飛びきたる
斜めに疾りて
滑空する

枝に陽光の差す
 重なつてゐる部分
 裏返つてゐる部分
 日の当たる部分
 あたらぬ部分
 夕陽の静かな光の
 通り抜ける道

日と光との関係
 隙間から光のしぶきが
 注いでくる

[作成時期] 2001/07/02

〈解離手帖〉200112: (無明とは)

(無明とは)

無明とは椿のごとく寒雨なり

裏道の溝塀の底 見えざりき
 立つこともかなわじ 椅子に縛りつけられてをる

ちりんちりん 根付の響く師走かな
ちりんちりん 痛みを堪へる根付かな

横書きの詩は横書きに書け 縦書きの詩は縦書きに書くな 時代は旧りたり

[作成時期] 2001/12

〈解離手帖〉2001: (交感神経に)

(交感神経に)

交感神経に作用する薬物を服用している。
面妖なことに、脳の活動部位が移動するのが、感覚的に捉えられる。
胃の内容物の移動とか、神経痛の移動とかと同じようにである。
絵画系の思索と文芸系への方向の切り換えも、脳に対する圧迫感から、変化の移行感といったようなものが生じる。理系の発想や読書の転換も、脳における移行の方向は異なるが、捻じ曲げられるような圧迫感によってなされるようだ。

[作成時期] 2001

〈解離手帖〉2002: イメージ情報

イメージ情報

夢は情報断片の小さなセンテンスの分散集合であるが、夢を見るものは、「関心」「注目」の力によって、ここから相応の情報を導き出す。否、抽き出すというより、自身の「関心」「注目」の根拠となる蓄積された情報を対応させ、そこから自身の情報構築をなすのである。
夢は情報断片であり、経験された情報のセンテンスをもつから、これをコンテクストに再構築する何らかの力、欲求の強度に応じて、情報経験として、内部にさらに蓄積される。
同様に、映像、画像も、他者のコンテクストであり、これを見るものは体験への欲求のインパクト(強度)、同調なしには、何らこれと関わることはない。
つまり、自身の情報蓄積と同調するか、反撥するか、あるいはまるで新奇のものによる刺激を認識しうるかによってしか、この情報を経験することはない。
見る者の情報蓄積から何らかのセンテンスを抽き出す(つまり、コンテクストを構築するファクターがあるということ)か、蓄積された情報からは組み立て不可能な衝撃力のある「絶対断片」(?超情報)を認識できうることで、はじめて「関わる」ことができる。(「意味をもつ」とは異なる。意味をもたなくても、体験=情報の刷り込みは有効である)
私にとって興味があるのは、まるで新奇の情報を提示することと、見る者の情報コンテクストを抽き出して、「新たな」情報体験を生じさせることで、創造への参加を、イメージを媒介して試みるというところにある。
決して、見る者の既存の情報コンテクストを増幅するにとどまるというところにはない!

[作成時期] 2002

〈解離手帖〉200112: (光は命を)

(光は命を)

光は命を奪い
暗黒は心を奪う

窓を閉めろ 今すぐ
厚いカーテンを降ろせ
間に合わなければ
最も暗い部屋に閉じこもり
ふたたび光を見るな!

そうして世紀の終るまで
暗黒になじんでいく
心は暗黒にとらわれていこうとも

[作成時期] 2001/12

〈解離手帖〉20011010: (俺の描く絵が)

(俺の描く絵が)

俺の描く絵が
ずっと並んでいた

まず星が降る
光の繊細な渦
強い渦
光の激しい球体

造形的な線の、面のイメージ
単色の、青の彫像の、顔のつらなり
あらゆる造形的なイメージ

ふしぎと、彩色的な絵はなかった

だが、生が終らぬのかもしれぬ
これらの絵を描きつづける運命?

[作成時期] 2001/10/10

〈解離手帖〉200105: etude群について

etude群について

稲光のような切実な白昼があって油絵具を買うことにした
八号の練習用キャンバスの白い表面は炎と激しい残火のせめぎあい
筆跡はオイルに滑る初めてのスケーティング、渦、トンネル、何世紀もの記憶
影と線が重なり合い、色が重なり 誘き出される妄想の破片
黒く黒く、うす汚れていく
発色が、刺激的な、高揚する煽情的な発色が欲しい、オイルを過剰に、過剰なオイルの海の上で絵具は疾る
ナイフが発色を追い求める!
建物の幻影から火が立ち上がる
炎の色が、黄昏の睡りの直前の狂気が 海の溶ける血の光……
形は色によって造り出されていく
魚が動きだし、植物の連なりが岸辺のゆるいカーヴを描く

[作成時期] 2001/05

〈解離手帖〉2001: (もの思わしげな)

(もの思わしげな)

もの思わしげな男の
うつむく角度の首の線
夕暮れの薄雲の色に映された
古い都市
ロマネスクの教会
ゴシックの尖塔
異端者の船出

紙の表面に泛ぶ油紋
物語の綴れ織り
浮かび上がる意志か
妄想を重ねる思考の影か
その頁に印刷された
オナニストの詩人の数行の詩

[作成時期] 2001

〈測定ノート〉200201: (こちら側から)

(こちら側から)

こちら側から突き出ていくものと、向うからやってくるものとがキャンバス上で出会う。
見る場合も、そのような作品からやってくるものと見る者の側から「衝き動く」ものとが空間で出会う。

向うからくるものとは、神秘性、もの、コンセプト、あらゆる形象化したがっているエネルギーであり、これは自ら形象化する力がないから、作家との出会いを求めてくる。弱い自らを、か弱い「光」のルールで光の仮の世界で存在を示すという悲しい物語。
作家は、これも、描く衝動、自らの創造力の強い衝動に打撃せられている。
具象も、抽象も「ものを写す」ものであるが、ここでは「写す」ではなく、造りあげる行為、いわば作品行為がある。

事象はか弱い。事象は人間認識においてその存在を示す。そして、認識とは脳の化学反応である。

[作成時期] 2002/01/99

〈測定ノート〉200101: (芸術が)

(芸術が)

芸術が永遠なんてのも嘘
芸術は人類とともに滅亡する
音も、像も、言葉も、人類がいなくなれば
その形跡だけが残るとしても
それを受け止める環境が同一である保証はない
音の解釈、光の波長、言葉が展開させるもろもろ
これらは生命の存在形態が異なれば
認識されもしない
思考の記録は残りうるが
何も伝わらないし、何も喚起はしない
化学反応が永遠に同一なんてことは
ありえないからだ
たとえ
化学反応以外の情報処理であっても

[作成時期] 2001/01

〈測定ノート〉200201: (化学反応)

(化学反応)

化学反応
不完全な存在であるところの
人間は
ただの化学反応の集合体
精神も肉体も
ただの化学反応

現実を客観的現実として構築するのも
脳の化学反応の働き
妄想を心的現実として構築するのも
脳の化学反応のひとつの結果
この違いは奈辺にあるのか
違いどころか
現実が化学反応の結果であるから
やはり、宇宙は脳内化学反応でしかない
現実が物理的に存在しているなんていうのは
どうも眉つばだね

[作成時期] 2002/01

〈測定ノート〉200201: (私にとってみれば)

(私にとってみれば)

私にとってみれば
私の死は
生の終わり
宇宙の終焉
永遠の一瞬の消失
つまり
宇宙は有限であり
無限はありえないことを証明する一事だ

[作成時期] 2002/01

〈測定ノート〉200201: (過去を)

(過去を)

過去をふり返ることが恐ろしいことのひとつ
未来はあるかないか分からぬから屁でもない
過去は戻ることができぬから
取り返しのつかぬ絶望に充ちている

死ぬときのことを考えると
息ができなくなって
失われたものをも
あわてて 掻き抱くような
いや ただ物理的に苦しいことの恐れを
イメージする
しかし、死そのものは未来と同じに
ただの楽観だ
動物的な苦しみも
冷静に考えるならば
一瞬の失神に通ずるだけだ

死はすべての過去を失うから
そのことの怖さが物理的なものと結びつくから
ただ 切ないのであって
死そのものはすべての一瞬の消失
一瞬の永遠の消失
ただ楽観的な無

[作成時期] 2002/01

〈測定ノート〉200201: (死のことを)

(死のことを)

死のことを考え続けているから
生きているという実感があるのかも知れない
だが 生への未練はない

死のことを深く考えているのではない
生きていることを深く考えているのでもない
ただ 睡りの形でそのことを考えている

夢の連鎖がいびつな立体を造る
ひびわれた鍵、ひん曲がったされこうべ
[作成時期] 2002/01

〈解離手帖〉200206: (巧くなりたいから描くのではない。)

(巧くなりたいから描くのではない。)

巧くなりたいから描くのではない。表現したいから、あるいは、描きたいから描くのである。熄むに熄まれぬ、存在の衝動なのである。

目を惹くことも一つの入口であるが、本当はただ一つのものであることが重要だ。技法をいうのではない。その絵の存在の独自性、他にはありえようのないたった一つ限りの世界の問題である。
本質、イマジネーションは、技法あるいは技量論ではなく、それ自体他のものと異なることに負う。

[作成時期] 2002/06

擬宇宙論:5485: 〈存在と宇宙論〉思考的直観

擬宇宙論:5485: 〈存在と宇宙論〉思考的直観

存在は何ものかに収斂されていくことに異を唱える
しかしながら自らも収斂していく存在であるという矛盾に陥る
このことが知である
しかし、この収斂する/されるものは「生命」という集合要素であり、反集合としての、本質的な存在ではない
では、あらゆるものに対峙し、拮抗しうる独自存在とは何か
個別的であるべき存在の独自性とは、収斂する/される生命システムには組み込まれずにあるものである
肉体的な存在は生命システムそのものであるから除外されるが(DNA的存在も)、存在は己れを己れであると思考することから始まっており、この思考そのものが存在の本質的な要素である
この思考のうち、生命システムに関与しない部分が、存在における思考の本質と考えられる
論理性は記憶という肉体的機能を要し、連続性(承継)は生命システムの収斂機能に大きく関与しているので、ここには含められない
つまり、存在の思考とは、機能性に拠らない思考、瞬間的かつ永遠の思考(生命システム、宇宙総体と対峙しうるのは、反時間的かつ反全体的でなければならないと仮定されるので)、つまり「直観」であると考えられる
これが思考の本質であり、存在の本質である

[作成時期] 2002/11/16

擬宇宙論:4900: 〈存在と宇宙論〉もの(存在)が

〈存在と宇宙論〉もの(存在)が

もの(存在)が光の多様性を開示している
光は何もない幼児である
存在が光の成長を促している
接触点から、光の粒子の結びつきを生み出して

[作成時期] 2003/05/21

〈美術衝動: 文〉(直線、矩形は)

(直線、矩形は)

直線、矩形は
人間のみが生成した抽象
つまり、存在していないもの
逆にいうと
人間の存在の意味という抽象性を示すことになるやも

「唯一無二」が存在の根源であるとすれば
人工性、つまり直線、幾何、数学などは
儚き一瞬の光芒ともいえる
それゆえに 全体性になりえぬとしても
瞬間の唯一無二かもしれない

絵画が直線の枠で示されているのは
人工性を示しているのに他ならぬ

[作成時期] 2003/02/11

アジアのディズニーランド化

 その場所は貧困層の集まるところではない。大きな道路の交叉するあたりである。
 子供が数人、地べたに這いつくばうように群がっている。女の子もいる。身なりもごく普通、特別に汚いわけでもない。
 そのそばを通ってそっと覗くと、彼らの中心には発泡スチロールのパックがあり、近くのゴミ集積場からもってきて、歩道の真ん中でそれを漁っていたのである。飯を手づかみで口に持っていっている女の子の顔が印象的だ。猫のようなしぐさ。
 プノンペンではもっと貧困な、親も家もないような子供もかなりいる。
小学校の清潔な制服を着て、それなりの家庭があるような子供たちがなぜ道端でこのようなことをしているのか。
 育児放棄、そんな気がした。 子供に対する親のありようが、もしかすると普通ではないのかもしれない。
 ひとつにはもちろん、内戦を経て親を失い、あるいは虐殺の当事者の子供が親になって、親子の関係がひと通りでないこと。何世代にもわたる、深い傷を心の闇に閉じ込めてしまって。
 あるいは、欧米の資本主義の急速な流入によって、異様な価値観がネグレクトを含む個人主義に傾倒していくために。原因を作った当事者たちが、アジアの代理人を巻き込んで、厚顔にも援助などという強欲資本を投入しているのだ。
 さらに、消費の構造が歪み、食べることを含め実質的な生活感覚が稀薄になり、金銭的価値観が優先されていく。まるで、飼育場の家畜のように太らされては「幸福」を吸い取られて。
 ディズニーランド化された商域に蟻のように群がるヒステリックな消費者たち。貧しさもかえりみずに。
 これらはまさしく現代資本主義に形を変えたコロニアリズムなのである。
 それは違う、豊かさの中に未来があるのだ、というかもしれない。
 だが、消費社会は投資した巨大資本に還元されるはずなので、消費し尽くした挙句に残されるものは、考えるだに恐ろしい新しい未来でしかないではないか。
 見夢録: 2016年01月12日

参院選と都知事選後の雑感

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1. 日本ファシズムの始動か?
7月31日、ア○首相が橋下某と会談しているとのこと。
いよいよ日本ファシズムが始動するのだな。
これからは足が速い。戦争体制に向かっていくのだろう。東京オリンピックなど、どうなることやら。
民進党の党首がリタイア宣言したが、分裂は参院選敗北ですでに自明のこと。
こんなことなら、端から蓮舫を都知事選に出せば風向きが変わって、参院選の結果もおのずから変わっていたのかもしれない。
そんなことも読めない民進党のア○幹部が野党を牛耳っているのだから、四分五裂は避けられまい。
それにしても、あんなところの党首を現実的な選択とした蓮舫女史も、先が見通せないものだなあ。
女性改革者として先頭を走る道を踏み外し、みすみす女ファシストのビジネス手法に飲み込まれたのだから。

2. 東京電力と新情報システムのインフラ統制
昨日、東京電力から電力メーターの設置案内が届いた。
これは、どうも、電力販売の自由化を騙って、東京電力の営業部門を切り離し、本体をホールディングカンパニー化して、支配を強化するように見えるのだが。

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