デリュージョン・ストリート 06 祝祭という詩篇――加藤郁乎頌

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  一満月一韃靼の一楕円
  五月、金貨漾ふ帝王切開
       『球体感覚』
 それはたしかに、ないものをあらしめる呪法であったのかも知れない。しかし、世の中は現象の尻尾に振り廻され、切り口の多様さだけに拘泥し始めていた。「批評の回向/声/のない論争のたけやぶやけた」(「弥勒」)――。だが、祝祭における混濁とは、傾いて立つための戦いである。金太郎飴などトンチキにまかしておけ! 爾来、何もかもが滞っている。そう、夜さえも。
 思考のためには夜が必要なのに、夜はいつも稀薄だった。しかし、そのバーは違っていた。充実した黒さを思わせる扉を排して入ると、酒壜の並んだカウンターの奥で、夜の仄かな身重とでもいうべき蝋燭がゆらめき、やわらかなほむらに唆されて、特徴のある横顔の輪郭が浮かび上がった。写楽! そう思うか思わざるかの間の間に、こちらを振り向いた顔のあるべきあたりには烏夜玉の力強い闇が屹立していた。その深い暗黒は魔物めいたおどろおどろしさとはきっちり袂を別って、天狗のような爽快な男らしさに溢れていた。それがただ一回きりの出会いである。
 かの人はその神通力によって、時をへだてた祝祭の幻を再現した。かの人は眼のうからでもあるので、ゆらりと立ち上がると右手を空間の距離を越えて差し伸べ、時間というお喋りを黙らせてしまうような炯々たる双眸でこちらの向うを見据えたきり、何ものかに踏み込む際の姿勢の傾きをゆるがせることもなく、永遠の握手をつづけるのだった。
「地上での思い出に」、かの人はいつもそう考えていたのかも知れない。かの人は祝祭という名の詩篇を築くために、自ら前のめりの詩語と化し、才能の王たちという言語群に体当りしてきた。あの祝祭はエポックメーキングな、ポエジーそのものであった。そしてその司祭は、断じてかの人なのである。才能の王族を招じるためとはいえ王領の秘境にまでのめり込むごとくの探検を敢行したのは、ポエジーへのひたむきさと祝祭への豪宕な意志のなせるところである。
  遺書にして艶文、王位継承その他なし
  棘の遠感に花うけてゐるユレカの子!

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