デリュージョン・ストリート 15 ああうるはしい距離デスタンス

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 この作品集は、距離を空間から自然の擬態へと転じ、さらに時間そのものに転身させている。距離は時間であることに依って、物質の来歴を語り始めるのだ。
 十数億年もの間、風の中で眠っていた砂漠こそ、少年の旅の始まりであった。夜と靄の中をおどろな寂寥が舞う。熱い声音があちこちから聞える。山道の端れの小舎で呻き声が、おお不良少女とちんぴらの逢瀬よ。母は少年が父を慕うような愛の逞しい胸板であった。作品は、エルマフロジットに纏るエロテシィズムを歌う。母の顔をした海は、追い求めている父だ。少年はこれと交わり、自ら父になり、息子となった海を愛する。ポラリザシオンの旅路は意図的な図柄であり、時間の来歴を抒情に見せかけているのだ。ここにあるのは純粋に、事件への彷徨と参入である。アントニオーニの彩色豊かな映画「欲望」の透明な風景の中で躍る、空洞としてのテニスの白球が、モノクロームの中では実在し、対照的に鬼気迫る澱として作品の中を転ってゆく。ありうべきものこそ肉。栄光を浴びた物質。光を領するるものは時間の距離を、偉大なる男根を握っている。
 ちなみに、神谷氏の名刺には正字で“?”と記されている。

(神谷俊美第四写真集『山海図』跋文/1976年刊)

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