現代詩論 〈岐路・迷路〉 その2 『明治大学新聞』, 1974

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 作品言語は過去を包括している現在の限界性によって、まず仮定される。その仮定は現在の埒外にあるゆえに、実に情況の洗浄作用の糸口となる。作品言語は、その仮定と類推としてしか、未だ存在してはいない。それゆえにこそ、常に、無いものの、不定形の、空漠たる、無表情の、もののあらわれである。また、何のあらわれもなかったごとくにあらわれる。岡庭昇のように、詩の現在という岐路を見定めようとするときに、その熱情あふれる意志にも拘わらずに引き戻りゆくというのも、未だ現代詩が己の腐乱のうちになお生きようと、おぞましい死に様をさらしつづけていることの、あらわれである。だが、もう少しだ。その腐乱活動が現在を完璧に消去するのは。作品言語は、もう既に翔び立ちつつあり、次の語は輩出しつつある。現在、詩人であるという俗物たちの情況さえも、ようやく死を開始しはじめる。現代詩は自ら終りを告知しようとしている。その岐れ路の一歩向こうに、受感できうる厖大な夜の迷路が、増殖しつつある。〈了〉

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