〈美術衝動: 文〉物質創造の大版画家・小口益一 (追悼)

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「黒いかたち」を前にして滂沱しながら立ち尽くす私に作家が話しかけたのはそのときであった。すでに90に手の届かんとしていた老作家と対面したときの、その少年のように澄んだ眸と光あふれる眼窩のありようにはいっそう驚かされたものである。あの眼が長い一生の間、創造の真髄を見定めていたのであろうと。
 そのときから、彼との短い交流が始まったのである。

 2008年9月、老作家は、東邦画廊での展示会の始まる朝に、近傍で同時期に開いていた私の個展を訪れて、四方山の話をいくばくかしてから、帰り際に「触ってもいいですか」と言って、私の100号の厚塗りの油彩「D-brane」の肌面をいとおしそうに撫でて、得たり、といわんばかりに何度か頷きながら笑みを残してくれたのが嬉しい思い出となってしまった。
  2009.12.1没 (2010.4.24 記)

『小口益一作品集』(さきたま出版会, 2010.10.5)所収

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