草稿●hallucination

 病棟にいたときに、あたしは、未来とも過去とも、あるいは別の次元、別のあたしの人生を見ていたことがある。
 急に目の前がぼんやりして視点が定まらなくなったときのことだ。椅子から立ち上がり、気分を落ち着かせるためにラム酒(のつもりで黒い酢)を啜った。空間が歪むように、脳作用の内部に何か空洞でもできたのだろうか。指先の神経まで緩やかに麻痺が達した。精神と肉体が不思議なほどばらばらに離れていた。泥酔していたのかもしれない。自分自身がどこか別の次元を移動しているかのように。しかし、骨格は鈍い軋り音をあげるばかりで、声を出すことも、身ぶりで何かを示すこともできない。その空間では、あたしが見ていたあたしは、確かに男だった。
 あたしであるはずの男はキャンバスを100号の木枠に張り付け、油絵を描く準備をしていた。そして、あたしの方を振り返り、だれかが覗いている、と呟いた。それであたしは彼の頭の中が見えたのだ。またあの女(あたしのこと)が切れ端でものを考えている。時間だって切れ端だってことを知りもしないで。さらに頭の中では脳味噌がいくつかの塊に分かれ、それぞれ別のことを考えている。つまり、あたしは別々の人格が見えていたことになる。それらの人格はその頭脳を通して、さまざまの人間に見えるあたし自身を見ていた。
 あたしはふっと、それら見ることのできるすべてのあちらの人々に乗り移るような気がして、こちらの場所から動くことができないでいた。あたしは粉々に分かれていく。分解されていく。嫌な感じだ、やはりとても嫌な気がする。あたしは、いったい何を見ていたのだろう。何を体験しているのだろう。どのあたしがあたしなのだろう。どの人生も、あたしは忘れてはいない。いつだって、思い出しているのよ。いつだって生きているのよ。

草稿●没入

 ドーパミン系とセロトニン系の機能調節が不順なのだろうか。順調にいっていれば、統合能力が低下するはずはない。だが、私の世界観はますます傾斜していく。薬物からの離脱など、許されるはずもない。私はますます依存を深めるのだろう。私はとどまる者。狭い部屋でうずくまり、動くことを自らに禁じた精神。分裂することを禁じた人格。私は環境に捕縛されている、人間の皮に押し込められている。細胞膜に閉じ込められている。人間というもの、その外側の世界という妄想を構築してしまった静止した精神なのだ。

 あの夜、病院に閉じ込められたと電話してきた男は、ここから助け出してくれと哀願した。何者かに襲撃されて刃物で渡り合っていると、警官隊に囲まれて逮捕された。あげくに精神病院に放り込まれたというのだ。数日後、向精神薬を服用させられた男は、警察が、一人で暴れていたので拘束して、措置入院させたと言うが、自分は確かに襲われたのだと電話口で繰り返した。その男は、その後数年間、入退院を繰り返したが、そのときの事件を事実だと信じたまま、薬物に没入するように死んでいった。
 私がその男の死を感知し、ネットワークを使って調査していると、彼の死について情報を持っているという人物に行き当たった。だが、その人物は、本人が病からは回復したと言っていたとし、死の状況については詳細が分かりしだい知らせるということだったが、何も音沙汰はない。その人物のことまで、私の妄想構築だったのかもしれないが。人形の中に人形が入る、重なりつづけて入り込むひとがた。精神のひとがた。

草稿●相反する類似

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――層状宇宙。
 宇宙面を球体の表面になぞらえたとき、この球面が重層しているとすれば、重なるような形で膜状宇宙が複数、波のようにゆらめいて存在しているというイメージが浮かぶ。物質の発生が、真空のゆらぎから物質・反物質の量子過程を経るとするなら、この高エネルギー状態の真空がその前提にあると考えることは無理なことではない。
 この真空が無から量子論的に発生していると見なせるなら、重力の総体は無と真空との間にわたるのではないか。これは、真空を球体にイメージすると、この球体の芯から物質・反物質の球面が生成され、重力は分裂して球面エネルギーと関与するに違いないからだ。
 これらの物質が、確率的なゆらぎによるインフレーションで現在の宇宙面を形成していく過程であるとすると、この宇宙の因となる真空の内部にある全重力に対称的な反重力エネルギーが生み出されて、新たな原因物質が生成され、これがさらに副次的な宇宙面を現在の宇宙面の球内に生みだしていく。これらが重層的な宇宙面となり、膜宇宙をなしていく。
 インフレーションの規模は不確定であり、空間速度はこの宇宙面をしのぐ可能性がある。もしくは超えることはないのかもしれないが。

 翻って、真空というエネルギー体は無から量子論的過程を受けるのであるから、これもまたある統計的な確率で登場するはずである。
 パラレル宇宙は、物質‐反物質過程、宇宙の対称性、真空を根源にした層状発生、無から断続的に生成するパルス真空体などの形でつくり出されるというアイディアを誘き出す。

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草稿●チューブリン

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 素粒子が磁気嵐の中で散乱していく。存在はスライスされていく。反粒子と反存在が散乱しながら充満する。エントロピーとはこれら双方向性についてのそれぞれの見方ともいえる。見方自体が宇宙の内容物を満たしているのだ。
 ところで、私たちは何を見ているのか? 対象物を確定するというよりも、〈見方〉を見るのである。そして、見方自体は増殖する発見であり、私たちはどこにいても幼児の眼球なのだ。つねに終末の際で断崖に身を投げ出そうとしている瞬間そのもの。あわい。あるかないかが混合している過程自体。氷の膜に、あるいは炎の緞帳に閉ざされ、その向こうへ通り抜けることなどできぬもの。
 私たちという眼球の意識が個別の生命体の範疇にしかない単なる代謝物にすぎぬものなら、その発火物というべき思考もまた、やはり時−空、宇宙の外部へと通り抜けることは不可能なのだろうか。
 しかし、思考が波動関数の及ぶ領域にある物質過程だとすると、トンネル効果によって宇宙ではない向こうに現れることはできないか。つまり、量子的ふるまいによって。

 全生命がじつは一個の単一生命体であるとする場合も、生命体の意志というものは、意識の統合的な抽象幻想といえるのではないか。ここでは死というものも、生命が一個でしかないのだから、生命体の消滅ということでしかない。
 生命に、生存と生殖、遺伝などという概念は無効なのである。生命樹のすべての歴史も一個の生命体のひと息にすぎない。
 だが、思考は選択意志を持つ、量子的、物理的存在。自立的だが、何かの構成物となりえても。

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草稿●夢のつづき

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 もうひとつの夢から逃れようというのか、だれのしわざか、肩先から吐息がふっとこぼれ落ちてくる。直観が破片のように舞い降りて、あるいは霜柱のように湧いてくる。
 それからしばらくすると、細胞間通信ということばが浮かぶ。生命システムが私を唆しているのだろうか。少なくとも生命システムが支配する範囲では、神経線維(ニューロン)がその回路を通じて、生命機能としての意識を生成、組織化しているに違いない。私はそのときまで、意識は機能の抽象化ではなく、生命体の断片のつらなりであると考えていた。しかも、それは物理断片ではないものを。
 たしかにニューロンはどこまでいっても細胞組織だから、それは連続する細胞間通信の生命体組織だ。個別の細胞間通信自体は単一情報の断片だが、ニューロンは〈流れ〉を構築する流体構造物なのだ。

 意識がその断片、あるいはそれらの流体構造そのものであるとはいいえないが、意識が身体に依存していないとも断定できない。身体という概念が生物構造体を示すならば、神経システムがその支持構造のひとつであり、神経細胞が基底の単位組織であり、意識の流れ(連続性、非連続性)がそれらと密接に関係していることは疑いようがない。しかしそれでも、意識の生成自体がこのシステムに起因しているのかどうかは疑わしい。
 そして意識の基底単位についても、それがシステムの下位構造であるのかどうかをさらに問うべきではないのか。少なくとも何か属性的な機能、あるいは神経細胞の活動の結果という抽象的な代謝物ではないのか。それは細胞サイズの器官における事象ではあるが、ナノレベル以下の物質過程に関係しているのかもしれない。細胞間通信機能の中で醸成される抽象的反応のかたまりは、たしかに細胞活動の付属成分だが、この属性の代謝を主導的に牽引するのは、物質の物理現象が普遍的に発生し、絡み合い、確率的な世界が濃密に現れるからではないのか。

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