寄稿: 佐藤裕子「いつかここに」

いつかここに 佐藤裕子

訝しそうな顔付きで辺りを見回す自問に応じる寂しい笑い
 じっとしている雪崩れる陽光を遮り影を暖める為に
水の匂いを嗅ぐと青衣襞を伝う流れを掴んでは離し零す灰
 入り日を吸い黄金を映す燃やす気の迷い気の昂ぶり
千千に分かれ花片は野辺へ朽葉は土へ翅は破れ羽根は遊び
 生命を借りる風もどき草花を食い露を啜り形を写し
黄色い円錐と球が並ぶ絵を描いたでしょホームと付けた題
 酷く哀しいことがあった悲しい理由を覚えていない
海から来た時は髪に白蝶貝夜明け前を抜けた襟は曇る白金
 瞳は誰とも出会わない何を探していたのかさえ曖昧
小さかったベンジャミンが大きくなったでしょうこんなに
 賑わう街は上空まで明るいポインセチアシクラメン
菊花が身を縮め松の針先を弾く庭は明るい降り出した綿雪
 昨日山葡萄の蔓の輪にリボンを巻き飾った松毬と柊
一昔前二昔前丁度ここに坐り待っていたと云う女の人の話

(2017.3.25

寄稿: 佐藤裕子「宝石箱」

宝石箱 佐藤裕子

喉も嗄れた迦陵頻伽貝殻細工の比翼鳥彫金のマーガレット
 帯留にしたと云う襟飾りエナメル蜻蛉はアールデコ
黒帝の褥で炎えた風花は荒玉のまま掌で弄ぶ時白湯の微温
 象牙も知らず貂も知らずリボンが掛かった動物図鑑
叔父の恋文は出さず仕舞い切手の乙女が接吻けるビードロ
 露西亜語のテープが残る下船して海にいるなら珊瑚
浪漫主義だから不運の相写真ごと歪むセルロイド製裁縫箱
 弔えず隠し持っていた人形の青い眼光とビスクの頬
野へ撒く切り花は手向けのようで引き換え貰った狐の手袋
 蒼穹を破り今頃何処にカムパネルラが置いた落下傘
婚約指輪は一度嵌めたきりの夢であり後は他愛ない作り事
 陶器に刺青天使の背に焼き鏝オキュパイドジャパン
香には薬を含ませておく花嫁となる人が探らせた袂の小袋
 重石代わりの書物を一冊胸に載せる重みは人一人分
琥珀を溶かす熱帯夜はあえかな発光で羽虫を遊ばせ昔昔と

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「ものごころ」

ものごころ 佐藤裕子

動揺を露にすることや感情を口に出すことは見苦しいもの
 微笑と丁寧な口調で決して落ち着きを失わないこと
そう躾けられても姉妹が棲むのは手入れの行き届いた花園
 物を欲しがると云う気持ちが分からず仕舞いの横顔
心優しい人人に囲まれ否と言う必要がなかった何をしても
 ぼんやり頷き返すだけで事は足りた何所へ行こうと
奥歯が光っていた時だけアーンして御覧と言ったお父さん
 時がそのまま過ぎ行くなら千切れなかったロザリオ
壊れ物は元通り失せ物は枕元一つとして持てない大切な物
 教えは奇妙な従順を課し軽蔑の眼で保ったプライド
表の顔と棘が刺さった面の裏他人事だと思えば黙殺無関心
 拘束衣だった笑みが高笑いに弾けた途端粉粉の鏡面
重い病は二つ目の望み一番に願う幸いは添えない人のもの
 子ども扱いされたままで黒い羊が聖女になる薬草園
おとなが泣くのを見たことがなかった水晶が匣で転がる音

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「桜」

桜 佐藤裕子

赤茶けた泥濘を突き生えて来る椅子には叔母が掛けていた
 駄目その本はシャルル・ボードレールはいけないわ
灯りも点けない屋根裏の欧羅巴の夕闇に姿を置く香水石鹸
 何が悪いのか知らないまま詩集は何冊も泥に沈んだ
黴だらけトランクの鍵を壊して遺品を手渡したのも同じ掌
 箪笥の木はコンクリートを割り伸びる恥じらいの背
早口の唱え言願い事食堂の梁に吊ったブランコを追う碧眼
 青いもの古いもの新しいもの幸福な人から借りた品
溜息を零す音もなく長椅子に叔母が座っている灯明の仏間
 寒い季節船便で届いたヴェールを脱ぎ切り抜く桜花
七つの海を航海中暇に任せた娘達が巧を競い織り込んだ柄
 あと二十だけ時間まで迎えが来たら待たせておくわ
花嫁衣裳の裾から膝へ嵩を増す砂胸まで顎まで呑み込む砂
 長手袋を嵌めても細い指が白砂を仕舞い掻き消えた
満開の桜で祝う為空部屋の障子に幾つも幾つも穴を開けた

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「また」

また 佐藤裕子

あの場所からどのくらいここへ来るまでこんなに掛かった
 蟻を払う肩は磁気を漏らし砂鉄が食らい付く宙の荊
怠い左腕へ溶けた添え木板目の記録をなぞる感覚さえ炭化
 忽ち染みが広がる玉虫の婚姻色膿んだ蕾を突く黒点
晴れ間のない闇で日付を捲る体内時計壊れた境で濁る昼夜
 幻が冴え倒れた垂線を巻き戻す溶けた硝子から揚羽
関節に結んだ貝殻を鳴らし指を燃やす人人の後から後から
 脱落する衣服を畳まず濯がず積み込む干上がった川
頼まれ事であったように邂逅の日時へとわたしを運ぶ身体
 山火事が続く槌を握った医師は雨と寒波を予測した
鉤を外せば折れる上体瘴気の粉が呼吸器を荒らす喉に火玉
 名前を呼ぶことを禁じている欲している狂おしい谺
また間に合わない真白い頭を抱き明日のことを話しながら
 休ませた乗り物を降りまた生まれ変わるいつの日か
サーチライトそれとも去って行く光逃れた船があるならば

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「小猫」

小猫 佐藤裕子

土砂降りに震えていたのは皿の上の溶き焼き卵プチトマト
 公園の休日は芝居のようで気取って開くバスケット
恋人達は皆知らないうちにいなくなる彼も彼女もあの人も
 路地裏で迷子だと思ったら暖かい手に渡されて遺品
寄り添う影だったからどこかしら似ているなんて嘘も大嘘
 ほんの一瞬で惑いを引き出し動揺を与える哀しい顔
それがどうしてなのかを知りたくてずっと傍にいたのかも
 木綿の皺へ潜る朝方大胆で臆病な毛布を抜ける午後
舗道を金魚が走って行った後から後から数え切れないほど
 今年初めての雪が降る何処から何処へ肌寒い窓の外
もう少し話していて眠くなるまで眠ってしまってもずっと
 珈琲と煙草の匂いがする風何か思い出しそうな月夜
思い出すのはいつだって誰の為にも泣いて上げなかった事
 お別れを言われる気分はどんな感じ教えて欲しいの
覚えていて出逢った時に飼い主を飼う夢の話をしたことを

(2017.3.25)