草稿●チューブリン

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 素粒子が磁気嵐の中で散乱していく。存在はスライスされていく。反粒子と反存在が散乱しながら充満する。エントロピーとはこれら双方向性についてのそれぞれの見方ともいえる。見方自体が宇宙の内容物を満たしているのだ。
 ところで、私たちは何を見ているのか? 対象物を確定するというよりも、〈見方〉を見るのである。そして、見方自体は増殖する発見であり、私たちはどこにいても幼児の眼球なのだ。つねに終末の際で断崖に身を投げ出そうとしている瞬間そのもの。あわい。あるかないかが混合している過程自体。氷の膜に、あるいは炎の緞帳に閉ざされ、その向こうへ通り抜けることなどできぬもの。
 私たちという眼球の意識が個別の生命体の範疇にしかない単なる代謝物にすぎぬものなら、その発火物というべき思考もまた、やはり時−空、宇宙の外部へと通り抜けることは不可能なのだろうか。
 しかし、思考が波動関数の及ぶ領域にある物質過程だとすると、トンネル効果によって宇宙ではない向こうに現れることはできないか。つまり、量子的ふるまいによって。

 全生命がじつは一個の単一生命体であるとする場合も、生命体の意志というものは、意識の統合的な抽象幻想といえるのではないか。ここでは死というものも、生命が一個でしかないのだから、生命体の消滅ということでしかない。
 生命に、生存と生殖、遺伝などという概念は無効なのである。生命樹のすべての歴史も一個の生命体のひと息にすぎない。
 だが、思考は選択意志を持つ、量子的、物理的存在。自立的だが、何かの構成物となりえても。

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草稿●夢のつづき

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 もうひとつの夢から逃れようというのか、だれのしわざか、肩先から吐息がふっとこぼれ落ちてくる。直観が破片のように舞い降りて、あるいは霜柱のように湧いてくる。
 それからしばらくすると、細胞間通信ということばが浮かぶ。生命システムが私を唆しているのだろうか。少なくとも生命システムが支配する範囲では、神経線維(ニューロン)がその回路を通じて、生命機能としての意識を生成、組織化しているに違いない。私はそのときまで、意識は機能の抽象化ではなく、生命体の断片のつらなりであると考えていた。しかも、それは物理断片ではないものを。
 たしかにニューロンはどこまでいっても細胞組織だから、それは連続する細胞間通信の生命体組織だ。個別の細胞間通信自体は単一情報の断片だが、ニューロンは〈流れ〉を構築する流体構造物なのだ。

 意識がその断片、あるいはそれらの流体構造そのものであるとはいいえないが、意識が身体に依存していないとも断定できない。身体という概念が生物構造体を示すならば、神経システムがその支持構造のひとつであり、神経細胞が基底の単位組織であり、意識の流れ(連続性、非連続性)がそれらと密接に関係していることは疑いようがない。しかしそれでも、意識の生成自体がこのシステムに起因しているのかどうかは疑わしい。
 そして意識の基底単位についても、それがシステムの下位構造であるのかどうかをさらに問うべきではないのか。少なくとも何か属性的な機能、あるいは神経細胞の活動の結果という抽象的な代謝物ではないのか。それは細胞サイズの器官における事象ではあるが、ナノレベル以下の物質過程に関係しているのかもしれない。細胞間通信機能の中で醸成される抽象的反応のかたまりは、たしかに細胞活動の付属成分だが、この属性の代謝を主導的に牽引するのは、物質の物理現象が普遍的に発生し、絡み合い、確率的な世界が濃密に現れるからではないのか。

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草稿●遠いところ

 たしかに生命は自己複製、自己増殖が可能な有機的生物を対象にしたもののように見える。そして、有機的な生物は脳神経系統を基軸に、化学反応による電磁気の信号によって情報交換がなされている。また、細胞間、遺伝子間で未知の通信がなされているかもしれない。それらの情報は、生理、感情、感覚、知覚などに分類され、脳内レベルで意識として統合されているのだろうか。さらに、その過程で切り捨てられる、意識になる前の意識の素材と断片、脳内の使用前の意識領域、リセットされていない意識領域――。
 私はコンピューターの物理的なイメージに近づきすぎているのか。

 私が問題にしているのは、意識が身体構造に支配されたものなのか、細胞それぞれに起因するものなのか、それとも意識は意識として自立しうるのか、ということである。つまり、生命とはどこまでの範囲を指すのかという問題。生命は時間と空間に関与しているのか、宇宙と直接的にも間接的にも関係があるのかという物理問題。
 さらに、次のような疑問にも突き当たる。

――意識は生命体にしか存在しないのか。
 情報システムとして考えると、自立的ではないにせよ、コンピューターのような無機的な物体も存在している。もちろん、生理、感情、感覚、知覚、意識などは備わっていないから、これをもって生命系と比肩するわけにはいかない。
 しかし、ほんとうにそうだろうか。有機的生物の生理、感情、感覚、知覚、意識などは機械に替えがたいから、これをもって自立型生命を証明できるといえるのかどうか。なぜなら、生理、感情、感覚、知覚は化学反応であるから、電気的信号で処理できると考えることはさほど困難ではないからだ。

――問題は意識であるのかもしれない。
 私は、肉体と身体に対して、意識が自立的な存在かどうかに疑問を抱いている。なぜなら、意識も肉体がなければ存在できないからだ。意識も脳神経機構がなければ現れることは不可能だ。だとすれば、結局は肉体と身体に属しているものなのではないか。身体機構が滅びれば、消滅してしまうもの。少なくとも細胞がなければ存在しない。意識は永遠ではないのだ。少なくとも生命体とともに滅びる生物学的物質らしきもの。
 しかし、だからといって、無機物に意識のようなもの、つまり判断したり、あるいは意思があるのかないのかなどと、決めつけられるものではない。ここにきて、私は何を示唆したいのか。

 意識は存在の本源には関与していない。私は、意識は生命体の機能であって、この意識を作り上げる生命とは無関係な核のようなもののことを考えているのだ。脳細胞は、生命体は、そのような物質を利用して意識を発生させているのではないか、と。
 私はさらに考えを進める。生命体は意思を持ってはいない。意思は生命とは別のもので、個々の存在は生命とは別の次元のものに根拠を持っているのではないかと。そこではじめて、私たちは物理的自然、物理的宇宙と結びつくことができるのではないだろうか。

 ところで、意識は身体機構に隷属させられているものかどうか。それとも肉体に密接なものなのか。あるいは私の考えているものは無意識ということなのか。これは精神と言い換えても同じなのだろう。
 問題は、それらが解放されるべきものなのか、独自の存在なのかということにある。
 自立した肉体。自立した意識。強制によらずに自決できる存在として。

棘の海――「dance obscura(仮)」へ

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棘の海――「dance obscura(仮)」の一章に用意された散文詩

 わたしがその兆候に気づいたのは、東南アジアの古い都市の旅から帰り着いてすぐのことだった。眠りから目覚めると、後頭部に何かしらの違和感を感じたのだ。簡単な打撲だと思ったのだけれど、嫌な気がしたのも確かだった。内部に向かった棘、触るとぐにゃりとしていて。
――わたしが肉体のゆらめきなのか、意識のゆらめきなのか。そのどちらでもいいし、そのどちらでもないのかもしれないわ。
 棘ということばから、わたしはとある大腸ガンの顕微鏡映像を思い描くのだが、頭部の細胞はなおもわたしを深く攻撃する。

 あなたからの国際電話の数日後にクリニックに行き、何軒かの病院を回り、大学病院の脳外科で腫瘍があることが判明した。
――たしかに細胞は、細胞膜という皮膜とその内側の物質で作られた肉体の基本単位なのかもしれない。けれどもその内部は物質ではなく幻想という内容物なのかもしれないのよ。
 わたしのこの女性的な感覚とは異なって、あなたは肉体を単に生命装置の発現だと考えているのね。生命の実現つまり細胞レベルでの分裂・増殖の正のベクトル、そして生命活動の抑制という負のベクトルを持つ調整装置だと。

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寄稿: 佐藤裕子「トロイメライジギタリスプラシーボ」

トロイメライジギタリスプラシーボ 佐藤裕子

冬眠する娘たちが鼻歌を奏でながら不調法にも鳴らす咽喉
 驚いて胡椒入れの陶器は割れ咄嗟に飛び出す三毛猫
もう一匹は満潮時ずぶ濡れで頭まで詰めた塩はメキシコ産
 沖合では縮む足を解き客船が歩を踏み外す星間航路
昇り切る折れ曲がった急勾配を立ち止まる砂地は遊園地跡
 思い出の部屋の入口は一つ俘虜が開けた横穴は沢山
折り畳んだ花片が積もる除けても除けても同じ女の百の顔
 ドライフラワーを食らう木馬木馬を駆るアルマジロ
鎧を繋ぐ装飾文字は切れ胴着を開け遠出に出るスピード
 護身に歯痛止めに蜜蜂を呼ぶ為に眠りへ入る持ち物
菩提樹戦ぐ丘から吹く風を1カラットずつ包に込めて弾丸
 昏睡より睡魔と遊ぶ行きつ戻りつ徐徐に手離す雑音
伽する羊の寝息を数え幸の木が伸びる駆け足紛れ込む小言
 夜の大河で滲んだ色を晒し浮かぶままにしりとりを
もっと深い二度目の眠りをおやすみなさいハミングバード

(2017.3.25)

不眠の森――「dance obscura(仮)」へ

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不眠の森――「dance obscura(仮)」の一章に用意された散文詩

 その森に迷い込んだときに、ある種の体系に毒された執拗な夢が送られてきた。それは、攻撃といってもいいかもしれない。その夢は、たしかに脳髄と神経システムの根幹を支配するDNA生命体がつくりだしたものである。

 飛膜のある翼を広げた男は、すでに死んでいるという噂はあった。それが数千匹の中の一匹なのか、森に住む数千匹の動物が一匹なのかは定かではない。
 数カ月前には、蝙蝠は死んでいるという予感もしていたが、確証を得る方法がなかったので、あてにならない郵便物や電話などを繰り返し送っていたのだが、やはりさまざまの不通の証拠が示されたに過ぎなかった。
 ダリあるいはサディと呼ばれるそのオオコウモリは、突然夜中にやってきて、どのような事情なのか、死亡日時も明かさずに、画家の名にちなんだ非日常的な音のない声を鳴らしていたのだ。もちろん、ばらまいていたのはそればかりでない。夢を作り出す夢の細胞とか、夢の核心である夢のDNAといったものなどである。死と死にまつわる闘いの秘密にも触れながら。

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寄稿: 佐藤裕子「ティールームで」

ティールームで 佐藤裕子

根の息は繊細で聡い否定すれば罰を受ける身に付けた心得
 化粧の落ちた変装が隠す患いを解こうとする嫌な癖
憐憫を誘わない為にも背筋を伸ばし日課とする爪の手入れ
 丁寧に丁寧に一つひとつが理無闇に侮れない言い訳
適度な隙は潤滑油を流し電流を送り空調を整えるオフオン
 縁側を駆けた学帽再び訪れるミシンのセールスマン
メビウスの回廊はいつ何処の物とも知れない仕合せ尽くめ
 冷笑も懐疑も煮詰め茶を出す頃客はなく雑草の花畑
手続きを踏み遠隔操作に一役買う華やぐ笑み瞳は宙に据え
 濡れた割烹着は空中の余白を奪い取り病的に浮かれ
警備が始終通せんぼう包みを嗅ぎ袱紗の中身をねだる真似
 電車通りのパーラーは味が落ちたし内装も見せ掛け
襟を正し昨日と云う夥しい頁から抜き出す昨日の正確さで
 けれどあなたは上の学校へ行きそこで空襲に遭って
セメント漬けのことばはお代わりを勧めるやはり苦し紛れ

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「ゆくりなく」

ゆくりなく 佐藤裕子

古い行李で棘を刺す四季の半襟帯締め端切れで拵えた巾着
 鎖を掛け金モールで縛りチェコ硝子の首飾りを巻く
風呂敷に染め抜いた呉服屋の屋号と局番のない三桁の番号
 紫水晶の数珠に通し剣も鎌もない時は十字架を置く
俯き加減で祈る少女は絵物語の挿絵爪を立てて糊を剥がす
 浮き彫りが擦れたイエス様は心成しか微笑を下さる
袋の中に袋袋嵩のわりに軽いのも道理大切な物小さな秘密
 罪のない想いだった思い詰めると憧れ出る魔を知る
ゆらゆら陽炎に浮くアメジストロザリオを切る算盤ビーズ
 透けたハンカチに寝かせ羅紗紙と重ねた油紙で包む
空行のある日差しへ反射を投げて束の間の自転で摩滅する
 封筒を作り納める風呂敷は固く結び箪笥の底へ隠す
縫い取りを読ませることなく頭文字は捩れ煙になるローン
 増え続ける影を鏡に挟んだもう生成とならないよう
腐蝕した金属は生き物の臭い枷が掛かった真黒い鏡が二つ

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「十六夜」

十六夜 佐藤裕子

見納めになる岬の塔も鏡の水場も初めて眺めたものばかり
 他人の地所を通ることなく行列は隣国へと動き出し
一度出たら二度と入れぬ門前でまだ足踏みする供の者たち
 日に数センチの布を織る織り子は何代お針子は不眠
今日を待って道は敷かれ山の斜面へ海の際まで広がった町
 経緯は端本となり求める度に違う記述を説く信憑性
糸も乱れぬ儀式の厳しきと緊張は中程から緩み祭の賑わい
 いつの間にか住みついて自らを失踪者と呼ぶ人人に
道すがら加わる足弱は手を引かれ遅れた幼児は背中で寝息
 調子外れの輪唱が届くと五線を整える道化の無言劇
頂に着いた頃被り物を取る女たちは血縁を思わせる面差し
 真珠を喉に含みましたと言う素振りで静かな微笑み
兆なく暮れた帳の向こう朝を呼び夜を呼ぶ早回しの手招き
 満ちた月を合図に長蛇の列は一日を掛けた将棋倒し
避難だったか輿入れだったか戴冠した嬰児独りが越す国境

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「アンテナ」

アンテナ 佐藤裕子

背信ではなく前進迷いは裏切り命取り絶望に手を貸す怠惰
 訳知り顔でときめきは不穏の兆候と謗る大袈裟な舌
立ち止まると胸中を読まれる敵と見做し反応するセンサー
 何か言いたげに俯いたきり一方にしか傾かない天秤
馴れる物は倦怠きえセンチメンタル懐かぬ物は観賞品備品
 換算した紙幣の枚数は常に台無しになる誠とは裏腹
辛うじてバリアの外へと矢印を向ける箇条書きはさかしま
 足音を隠す密告者は聴力を理由に空返事まで正当化
誰よりも知らない事を知っている名脇役の怪しさ信心深さ
 母を捨て父を捨て子を捨てる夫はとうの昔に捨てた
屋根裏部屋で傍受した信号は唯一つ何千何百枚の反古の谺
 油の凪に嵐の前の嵐嵐に乗じ激しく振れるアンテナ
壊滅状態ではない限りバスは出ると宣言した予約センター
 朝方から続く吹雪で高速道路は一部通行止めの沙汰
裸眼は走る直線で飛ぶ都市は出航間際の連絡船迄まっさら

(2017.3.25)