擬宇宙論:4900: 〈存在と宇宙論〉もの(存在)が

〈存在と宇宙論〉もの(存在)が

もの(存在)が光の多様性を開示している
光は何もない幼児である
存在が光の成長を促している
接触点から、光の粒子の結びつきを生み出して

[作成時期] 2003/05/21

[資料] 天安門事件: 事件直前の記事等の翻訳[03] (佐丸寛人・訳)

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(『光明日報』1989.5.15 [中青年哲学家掠影]「王鵬令」より要約。翻訳: 佐丸寛人)

現在の中国に於ける文化選択を論ず――五四運動70周年を記念して(後)
 社会科学院哲学研究所 王鵬令/訳者・佐丸寛人

 マルクス主義の古典的形式と伝統的形式を止揚し、現代的マルクス主義を創造するには、総体的に言って、当然まず主題の転換を実現しなければならない。即ちマルクス主義の主題を、階級闘争とプロレタリヤ革命から、平和と発展及びそれに相応する社会主義現代化建設に転換しなければならない。しかし、問題は、現代的マルクス主義の哲学が集中的に体現してみせる基本的文化精神とは、とどのつまりどんなものであるべきなのか、という所にある。私は、現代的マルクス主義哲学が体現すべきところの基本的文化精神とは、形式理性の力を借りて自分が内包するものを豊かにする科学的理性と人道主義との統一でなければならない、と思う。
 誰もが知っているように、人々は通常、主としてマルクス主義哲学を科学として扱う。即ち、主としてその科学的意味から理解し把握する。この伝統的観点に従えば、マルクス主義の指導下に建設された文化の基本的精神は、疑いなく科学的理性であることになる。私は、このような概括は一面的であり、偏向さえしていると思う。というのは、マルクス主義は共産主義の思想体系であるが、共産主義とは社会歴史発展の必然的趨勢であるのみならず、プロレタリヤの合目的的な社会運動でもあり、プロレタリヤの最高理想或は最高価値の追求を凝集させ体現しているものだからでもある。この後者の一面を、「科学的理性」で完全に覆いつくすことができないのは明らかである。
 社会主義と共産主義は、唯物主義をその哲学的基礎とするものである。しかし、ここで言うところの唯物主義とは、唯物主義のあらゆる形式を指すものではない。それは、現存資本主義制度を批判する現実の社会運動として、最初からある特殊な唯物主義と密接な関係にあったものである。この特殊な唯物主義が、即ち英国のロックに起源し、並びに当時のフランスの教養ある階層によって「文明化」された唯物主義なのである。その特徴は、人の性はもともと善で、人々は知力に於いて平等であると見なし、経験と慣習を重視し、外部環境の人に対する影響と教育の万能を強調し、この他、工業の重要意義を強調し、並びに享楽の合理性を承認する、等々である。正にマルクスが言うところの、この「人道主義と符合した唯物主義」の学説は、「共産主義や社会主義との間に必然的な関係があり」、並びに直接に社会主義や共産主義を導くものである(『馬克思・恩格斯 全集』第2巻p.166 )。

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[資料] 天安門事件: 事件直前の記事等の翻訳[02] (佐丸寛人・訳)

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(『光明日報』1989.5.15 [中青年哲学家掠影]「王鵬令」より要約。翻訳: 佐丸寛人)

現在の中国に於ける文化選択を論ず――五四運動70周年を記念して(中)
 社会科学院哲学研究所 王鵬令/訳者・佐丸寛人

 忌憚なく言って、人々の心理・思想にも、或は人々の行動分野にも、前近代伝統文化の歴史的沈澱物は大量に存在しており、更には重圧をも与えている。中国現代化の歩みがかくも緩慢で、道程がかくも辛苦に満ちているのは、明らかに人々の因習となっているこの文化伝統と密接な関係がある。この意味から言えば、前近代中国伝統文化にもう一度反省・批判・整理を加えるのは、我々今日の現代化事業にとって有益であるに違いない。問題は、「五四」から今までの70年、特に中華人民共和国成立以降の数十年の間に、中国の社会様相・中国人の生活様式に既に根本的な変化が生じていることである。そして、思想理論方面から見れば、この変化が集中的に現れているのは、マルクス・レーニン主義―毛沢東思想が我々の思想を指導する理論的基礎となっていることである。この根本的変化と歩調を合わせて、殆どあらゆる文化の分野がマル・レー主義―毛沢東思想によって革命批判の洗礼を受け、殆どあらゆる分野が少なくとも理論面ではマル・レー主義―毛沢東思想に基づいて再構築或は改造された。現代中国の経済と政治、道徳と法、文学と芸術ないし哲学、宗教学、更には人々の日常用語も中に含めて、殆どみな、程度の差こそあれマル・レー主義―毛沢東思想の刻印を押された。換言すれば、マル・レー主義―毛沢東思想がイデオロギー分野で指導的或は支配的地位を占めたため、またマル・レー主義―毛沢東思想にのっとって、長期間イデオロギー闘争を突出させ強調する文化政策が実行されてきたため、現在の中国文化は、総体的に言って、明らかに西洋文化でもなければ、中国前近代伝統文化とも異なる、一種独特な文化形態となったのである。その基本的特徴は、マル・レー主義―毛沢東思想を精神的中核とし構造的外郭とする。つまり、中国が今持つ文化形態は、次に述べる原則に基づいて建てられた一つの総合体或は系統なのである。すべての文化の分野は、マル・レー主義―毛沢東思想の基本的精神(階級闘争やプロレタリヤ独裁等々)を体現しなければならない。すべての文化の分野は、理論面でマル・レー主義―毛沢東思想が打ち出した基本的概念の外郭にのっとって、建設しなければならない。すべての文化の分野は、プロレタリヤ革命事業の一部として、また革命事業に奉仕しなければならない。数十年来、一世代また一世代と中国人は取りも直さずこのような文化環境或は文化的雰囲気の中で生活してきて、いついかなる場合でもその人格形成的作用を受けてきた。私は、現在の中国文化に於けるこういう現実的情況こそ、まさに我々が未来に向かって歩もうとする時、直接対面することとなる文化伝統だと思う。そしてこれこそが、現在の文化論争の根本的立脚点となるべきである。つまり、現在我々が直接対面するところの文化伝統は、過去数十年にわたる我々自身の歴史の中で、我々自身の手で積み上げてできたものなのである。しかも、今に至っても我々はなお自覚し或は自覚せずこの積み上げの過程を続けている。従って、東西文化の優劣得失を比較するにせよ、伝統文化と現代化過程との衝突を考察するにせよ、或はまた現在に於ける中国の文化発展戦略問題を検討するにせよ、我々は先ず我々自身の手で作ってきたこの文化形態に着眼するべきである。

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未刊行詩集『strandにおける魔の……』12: 徴候きざし

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徴候きざし

青いGomorrha 青いSodom  青い夜
伝説の卵の中の 黄色い虫
こびりつく鍋と宇宙
炙られどおしの数週間

七つ星の数珠つなぎ
七つの文字盤の毛が
七つの括弧を撫でる
夜の深い呪術に
紙製の白い眼がふりそそぐ

うす黒ずんだ肉襞
このかすかな街の地図
ふたまたみまたよつまたの
あおあおあおとわかれゆく
入口出口入口の
この海洋をたたえる壜の中には
うすっぺらなハトロン紙の
生命の起源の封印

液体の街に
文体は閉じられていく
綿密な区画整理の中を
妄想的な足どりで
ひょいと振り返ると
影が影の中へ流れ込む

睡る樹木の
燃える林檎のように吊られた首は
発送人不明
光と彼方の力の
人類と毒虫の間に埋められた食物図鑑は

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[資料] 天安門事件: 事件直前の記事等の翻訳[01] (佐丸寛人・訳)

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(『光明日報』1989.5.15 [中青年哲学家掠影]「王鵬令」より要約。翻訳: 佐丸寛人)

現在の中国に於ける文化選択を論ず――五四運動70周年を記念して(前)
  社会科学院哲学研究所 王鵬令/訳者・佐丸寛人

 五四運動70周年を迎えるに際して、多くの人が「五四新文化運動は現在の文化論争にどのような示唆を与えてくれるだろう。中国が現代化に向かう過程で、我々はどんな文化を選択すべきなのだろう。またそれに対応する文化精神とはどんなものなのだろう」という問題を苦労しながら考えている。
 筆者は、ここでこれに対する自分の見方を述べることとする。
 五四新文化運動が高く掲げた「科学」「民主」の旗は、当時の極めて複雑な文化運動に、相対的に同一な方向を与えた。一方、現在の文化論争は今に至るまでその下に多数の人を結集させるような旗を掲げられないでいる。現在の?は前近代伝統文化への非難と批判に重点があるが、これが的を射ているかどうかは大いに疑問のあるところである。[注 ミニ書院で書かれたファイルをPDSコンバーターで変換したのだが、ルビ半角を読み飛ばしているため、外字等をルビで表したものに関しては脱落してしまう。プリントアウトしたものがないので失礼! 緑字斎]
 周知の如く、「科学」と「民主」は五四新文化運動が高々と掲げた二本の旗である。この文化運動は、一面では西洋の新文化を輸入することを主張し、科学と民主を新文化の基本的内容とした。また一面では、科学と民主を批判の武器とし、矛先を数千年来続いた伝統文化に向けた。科学は封建的迷信と直接対峙し、民主は封建的専制と直接対峙した。このように、西洋新文化の提唱と封建的旧文化の批判とが、五四新文化運動の互いに切り離せない二つの側面と成った。正に陳独秀の言う「かのデ先生(民主を指す)を擁護せんとすれば、孔教、礼法、貞潔、旧倫理、旧政治に反対せざるを得ない。かのサイ先生(科学を指す)を擁護せんとすれば、旧芸術、旧宗教に反対せざるを得ない。デ先生を擁護し又サイ先生を擁護せんとすれば、国粋と旧文化に反対せざるを得ない」(『独秀文存』巻1、p.361)。

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〈美術衝動: 文〉(地下室といえども)

(地下室といえども)
  ――2003.6.6 初めての個展で

地下室といえども暗い場所ではない
むしろ 光り輝く宝石の埋まる場所
音楽でさえ
鉱物の発する コズミックな諧調

その純白の壁に背を凭せ
何処にもないものだ と
去りゆく老爺の声を励みに
また色の滲出法について
考えてみる

この部屋の天井には
自然光を擬した照明と
人工的な光の蛍光灯が混じりあって
いくつもの光点からの光を
壁に発している

その光の落とすいくつもの影の中にある
実体はいずれか?
浮かび上がるはずの照り返しと
深い翳りの境界を探してみるが
はたして 実体を探すことに
意味があるのか……

だが デッサンをつづけていくかぎり
影から実体を手繰り寄せることを
想いいだいているに違いない
ああ、はかない人間の空想!

部屋の壁に凭れている
自分の存在が
乱反射する光と
そのおぼろな影の中に
いつのまにか消失しているのに
いつ 気づくのだろうか

[作成時期] 2003/06/06

[資料] 天安門事件: 内側から見た恐怖政治[02] (佐丸寛人)

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 三、始まったシロ狩り
 しかし、私の期待に反して、A市もA市の属するD省もあっさり中央の鎮圧支持を表明した。それだけでなく、中央と全く同じやり方で矛先を市民・省民に向けてきた。
 A市に於けるここ2箇月来の運動は完全に否定され、特に、広場の放送局と路上のバリケードが激しく非難された。そして、「もし、これらの不法行為を今すぐやめなければ、どんな結果になろうと、それは全く君たちの責任である」と脅迫してきた。
 6月4日から1週間もたたないうちに、地元当局による実力行使が始まった。この頃はもう完全に保守派・軍部が全国を制圧していたし、人々もそれを知っていたので、武装警察が広場に行くと、学生たちもあまり抵抗せず、「6月4日事件」の再現を恐れて逃げ出した。後で、A市やD省の高官は「我が市では一人も死者が出なかった」と自慢していたが、全く笑わせる。広場の放送局、「聖域」、張り紙、写真、花輪は一つ残らず撤去され、道路も「正常な秩序を取り戻し」た。
 こうして、保守的と言われたこのA市に咲いた自由化の花は、武力という植木ばさみでことごとく切り落とされ、土中に埋められた。
 しかし、人民に対する圧迫は、弱まるどころかますます強まっていく。
 先ず、報道統制が始まった。5月20日の戒厳令布告あたりから、マスコミは次第に保守派に制圧されていくのだが、特に6月4日以降は完全に「反革命暴乱平定」一色となり、私が現在取っている三つの中央紙、一つの地方紙は、内容に何の違いもなくなった。例えば、6月4日『解放軍報』の「断固として中央の決定を擁護し、断固として反革命暴乱を鎮圧する」等は4紙とも同時に掲載するわけである。6月8日「反革命暴乱の真相を暴く」、12日「人心を惑わす謡言者肖斌、大連で逮捕」、13日の方励之夫妻逮捕令、14日、15日の学生・労働者運動主要人物逮捕令等も同様である。違いと言えば、地元紙はさらにD省での運動の「頭目」の指名手配を載せていることだけであろう。
 テレビ・ラジオもまた当局の宣伝・脅迫を繰り返している。特にテレビは映像があるだけに、印象は強烈である。スイッチを入れると、いつも「反革命暴徒」非難、「ブルジョア自由思想」批判、「指導者」の「重要講話」、運動の「頭目」の逮捕・裁判の場面等をやっている。6月10日には前述した肖斌氏が街頭で「あれは『反革命暴乱平定』なんかじゃない、虐殺だ」と言っている画面が映り、その下に「この男は流言飛語で人心を惑わし、暴徒を扇動しています」という字幕が出、最後に「この男を見かけたら当局に通報するように」とアナウンサーが読みあげた。これで人々は当局と違うことを口で言うだけでも逮捕の対象となることを知った。

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[資料] 天安門事件: 内側から見た恐怖政治[01] (佐丸寛人)

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●Date : 3:14pm 9/25/89 From : pcs00372 (直江屋緑字斎)

 以下の文章は、緑字斎が戒厳令下の北京を訪れたのを機会に知り合った青年から託されたフロッピー原稿をMS-DOSに変換したものである。
 原稿を尊重し、ほとんど手を入れていない。原稿は5章からなり、五つのレスポンスに分けて掲載する。
 佐丸寛人は原稿の性質上、ペンネームである。また、これは多くの人々に伝えたいという著者の意向から転載に関しては制限しない。
 また、虐殺以前の中国国内の新聞等に掲載された学生側に近い立場からの論文の翻訳なども預かっているので、順次、発表したい。

 著者は、1960年東京生まれ。
 1989(平成元)年6月4日当時、甘粛省蘭州市に、教師として滞在。
 今回、著者より掲載の許可を得た。
 この文章には中国語版がある。
 這篇文章有中文版本;「一個日本人親歴的六四天安門事件」
 作者: 東揚仁(日本)
 【大紀元5月25日訊】(2004年)


内側から見た恐怖政治――中国一地方都市で暮らして

佐丸 寛人   

 一、興奮から冷却へ(「6月4日事件」以前)
 私は中国北方A市で働く日本人である。まだ大陸での仕事が終わっていないので、私や友人たちの身を中国当局の圧迫から守るためにも、人名・地名・固有名詞は伏せねばならず、結果として歯切れの悪いものになっているかもしれないが、この点は御了承願いたい。
「6月4日事件」の少し前から書き始めよう。中国北方は、南方(上海、江、福建、広東等)や北京に比べ後進的・保守的な所であるが、時間差こそあったものの、ここA市でも民衆運動が始まった。方法も北京と同じ、即ちスト、デモ、ハンスト、座り込み等である。中国の主要都市にはみな天安門広場をまねた広場が中心にあるが、A市でも同様にこの広場が運動の中心となった。そして、天安門広場に100万人が集まった頃には、この広場も民衆で埋まり、地元のマスコミも好意的に取りあげた。

小学生のデモ隊(1989, 撮影: 佐丸寛人)

小学生のデモ隊(1989, 撮影: 佐丸寛人)

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[資料] 戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[08](直江屋緑字斎)

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戒厳令下の北京を訪ねて【上海篇】[08]

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 ところで、暗い上海の街から市の西部にあるこのホテルに帰ってくると、この近代的なきらびやかな建物が、冷たい墓場か納骨堂ででもあるように思えてならない。人けがないからなおのことそう思うのである。

 ベッドに体を投げ出して、中国産の罐ビール(Pi jiu)を呑みながら、日本から持ってきた短波ラジオをつけると日本向けの北京放送が入ってきた。驚いたことに、この時期に、井上靖と中野良子が北京放送何十周年記念だかの祝いのメッセージを述べていた。井上靖は今回の弾圧に抗議する文化人の署名に参加しているはずだから、おそらくそれ以前のテープなのだろう。そう信じたいものだと私は声に出してみた。
 歩き疲れたせいか、ビールのためか、ぼうっとした頭の中で夜の人々の流れを反芻していたが、人々というものはすばらしく日常的で、それゆえすばらしく強く、そのようなところではなにものかに抑圧されているような暗さは微塵もないのであった。
 私は、どうも日本のレベルでこの厖大なマッスを過小評価していたのかも知れない。
 中国の人々は偉大である。
 彼らは大きな波の中でしか生きないのである。
 あの100万の人間を直接に制圧するような力などこの国の支配者のどこにもなかったということをみれば、このことは明らかだ。そのことを知っているからこそ、突然に日常生活に埋もれることもできるのだろう。そして、抑圧などどこにあるのかというふうに無視し続けることもできる。
 このことは都市においてはすでに制度で強制しきれない事態にいたっているということを示すものなのかも知れない。
 どう、年をとった支配者があがこうが、まちがいなく中国はこの都市を通じて変わる。そのような大きな波がいまきていると私は思っている。日本が過去に偶然に経験した、何ものかが終わり、何ものかが始まる、その力が、この都市に感じられるからである。

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Work: initial stage: Blotting Method, watercolor on paper

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