寄稿: 佐藤裕子「平行空間」

平行空間 佐藤裕子

定住しないように傷付けないように細かい鑢を掛けた深爪
 平日幻想を整え過ぎない為に黄身が二つの卵を茹で
科白の前は遠い海後には切り岸金属を含む高密度の夕焼け
 営巣すると傾斜は急だから時折り健忘症を頁に設け
絵を掛け替える庭のない地平裸婦は透き通り銀灰色の柔毛
 生命線を左右合わせ生じるたどたどしいオノマトペ
寝静まった塔の耐震装置を欺き歪める空から行方知れずへ
 粘土を掴む作業に没頭する扁形動物は月光の末梢で
連動する天へ猫舌を預け燃やす息節のない平たい軀を伏せ
 目を開く時は留守居の似姿わたしが振り返った浅瀬
接続面は今日と明日のように離れる領土であるのは今だけ
 餌付けした鳩が来る迄夢は無傷で身代わりを寝かせ
施錠後塔の住人は観葉植物に水を遣り折り込み広告を捨て
 今朝の珈琲は青いクレヨンの味だと不眠の朝の口癖
エントランスの鏡壁を横目に唇を擦り合わせる慣れた構え

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「ムーンライトピクニック」

ムーンライトピクニック 佐藤裕子

無人駅へ行ってはいけない発電所の空地には犬捕りが潜む
 黒パンに挟んだチーズから塩気が抜けてスポンジ状
プラスチックの風が吹くと風邪薬は効きスローモーション
 村で一番高い煙突を飛んだ鳥は墜落知らず白黒反転
裏の裏は表握り締めて壊してしまう壊れて初めて伴う実感
 通学路は毎朝通行止め卒業はしないから遠足も病欠
海は不意を突く雨の日海の見えるところ命が寄せては返す
 薄切り胡瓜は蛇腹シチューが滾り尾を残し焦げ付く
水源地まで歩けないヒール営林署の金網を壊すことは無謀
 空に残る格子は半透明の子ども達が引き寄せた毛布
崩れ掛けた塔の下り階段を駆け上ったのはいつだったろう
 叢雲の月が突然自衛隊の演習場を翳したあれはいつ
向かい風に乗るエンジン音満面の笑みが篩う金銀スパイス
 麩菓子紛いのスフレで一つ大人になる誕生日を祝う
スグリジャム一壜は遭難の備えに人差し指で代わる代わる

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「クーラーボックス」

クーラーボックス 佐藤裕子

家の前でサイレンが止まる水溜りを踏んだ泥だらけの長靴
 草臥れた軍手が指差確認無駄なく動きシートを敷く
双子の救急隊員が担架で発泡スチロールの箱を寝室へ運ぶ
 クレーム返品は応じかねます早口の二重奏で急発進
通販の覚えはなく御歳暮なら何所からにしても大き過ぎる
 受け取った物は何物は荷を解きソファーで茶を所望
温めのココアにしてちょうだいよく温めておいてね御茶碗
 苦しい胸思うより早く作動する警笛懐かしい過呼吸
撮むものはチョコレートアメリカ製じゃなくベルギーの方
 充満する甘ったるい匂い舞い戻る愛しの神経性胃炎
少し横になるわ帰りは揺れたから体がバラバラになりそう
 浮世離れも叶えた世間知らずも庇ったはずでしょう
夕のお食事は早めにしてね今日はあなたもお疲れでしょう
 留守番電話は定休日を告げる泉の仙女?堪えた苦笑
迂闊にも落としたのは良いお母さんですと言った気がする

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「絵図阿蘭陀船」

絵図阿蘭陀船 佐藤裕子

画であれば欺く女達は呪縛であれ笑みの種類は幸福であれ
 衣紋から断崖へ地下道から蹴爪連子窓を破る白い脛
金枝雀に絡まり蝶の群れを留め置いた髪一筋は闇の手土産
 零下の波間を半島まで漂流したその上はエトランゼ
結合し枝分かれし縒った糸がキリキリと切れ始める卓上で
 寝鳥は騙し船に乗せ遠称の朧ろ真似鶫に頼む手控え
月下美人が陽炎を上げ溶けた切り子の縁は口唇の跡で濡れ
 酩酊に任せ薄い耳たぶを放す翡翠の哄笑が続く手桶
現象が故を持ち線に従う海と唱え美酒雨と呼べば面背に雨
 傾斜する舷を操りながら身体を明け渡す嵐の異土へ
絵師の酔眼は碧の暈幾度描く顔に紗を掛け出会う筈ない裔
 変色した表具を引き抜いて背景を移動する阿蘭陀船
片片の円弧を繋いた鏡を一振り一振り濁らせる七色の絵筆
 閨の幻は一度限り軸物は白紙に返り夜の眠りは顫え
目分量の水で薄め濃淡のある午前二時ペイルブルーの氷雨

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「いつかここに」

いつかここに 佐藤裕子

訝しそうな顔付きで辺りを見回す自問に応じる寂しい笑い
 じっとしている雪崩れる陽光を遮り影を暖める為に
水の匂いを嗅ぐと青衣襞を伝う流れを掴んでは離し零す灰
 入り日を吸い黄金を映す燃やす気の迷い気の昂ぶり
千千に分かれ花片は野辺へ朽葉は土へ翅は破れ羽根は遊び
 生命を借りる風もどき草花を食い露を啜り形を写し
黄色い円錐と球が並ぶ絵を描いたでしょホームと付けた題
 酷く哀しいことがあった悲しい理由を覚えていない
海から来た時は髪に白蝶貝夜明け前を抜けた襟は曇る白金
 瞳は誰とも出会わない何を探していたのかさえ曖昧
小さかったベンジャミンが大きくなったでしょうこんなに
 賑わう街は上空まで明るいポインセチアシクラメン
菊花が身を縮め松の針先を弾く庭は明るい降り出した綿雪
 昨日山葡萄の蔓の輪にリボンを巻き飾った松毬と柊
一昔前二昔前丁度ここに坐り待っていたと云う女の人の話

(2017.3.25

寄稿: 佐藤裕子「宝石箱」

宝石箱 佐藤裕子

喉も嗄れた迦陵頻伽貝殻細工の比翼鳥彫金のマーガレット
 帯留にしたと云う襟飾りエナメル蜻蛉はアールデコ
黒帝の褥で炎えた風花は荒玉のまま掌で弄ぶ時白湯の微温
 象牙も知らず貂も知らずリボンが掛かった動物図鑑
叔父の恋文は出さず仕舞い切手の乙女が接吻けるビードロ
 露西亜語のテープが残る下船して海にいるなら珊瑚
浪漫主義だから不運の相写真ごと歪むセルロイド製裁縫箱
 弔えず隠し持っていた人形の青い眼光とビスクの頬
野へ撒く切り花は手向けのようで引き換え貰った狐の手袋
 蒼穹を破り今頃何処にカムパネルラが置いた落下傘
婚約指輪は一度嵌めたきりの夢であり後は他愛ない作り事
 陶器に刺青天使の背に焼き鏝オキュパイドジャパン
香には薬を含ませておく花嫁となる人が探らせた袂の小袋
 重石代わりの書物を一冊胸に載せる重みは人一人分
琥珀を溶かす熱帯夜はあえかな発光で羽虫を遊ばせ昔昔と

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「ものごころ」

ものごころ 佐藤裕子

動揺を露にすることや感情を口に出すことは見苦しいもの
 微笑と丁寧な口調で決して落ち着きを失わないこと
そう躾けられても姉妹が棲むのは手入れの行き届いた花園
 物を欲しがると云う気持ちが分からず仕舞いの横顔
心優しい人人に囲まれ否と言う必要がなかった何をしても
 ぼんやり頷き返すだけで事は足りた何所へ行こうと
奥歯が光っていた時だけアーンして御覧と言ったお父さん
 時がそのまま過ぎ行くなら千切れなかったロザリオ
壊れ物は元通り失せ物は枕元一つとして持てない大切な物
 教えは奇妙な従順を課し軽蔑の眼で保ったプライド
表の顔と棘が刺さった面の裏他人事だと思えば黙殺無関心
 拘束衣だった笑みが高笑いに弾けた途端粉粉の鏡面
重い病は二つ目の望み一番に願う幸いは添えない人のもの
 子ども扱いされたままで黒い羊が聖女になる薬草園
おとなが泣くのを見たことがなかった水晶が匣で転がる音

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「桜」

桜 佐藤裕子

赤茶けた泥濘を突き生えて来る椅子には叔母が掛けていた
 駄目その本はシャルル・ボードレールはいけないわ
灯りも点けない屋根裏の欧羅巴の夕闇に姿を置く香水石鹸
 何が悪いのか知らないまま詩集は何冊も泥に沈んだ
黴だらけトランクの鍵を壊して遺品を手渡したのも同じ掌
 箪笥の木はコンクリートを割り伸びる恥じらいの背
早口の唱え言願い事食堂の梁に吊ったブランコを追う碧眼
 青いもの古いもの新しいもの幸福な人から借りた品
溜息を零す音もなく長椅子に叔母が座っている灯明の仏間
 寒い季節船便で届いたヴェールを脱ぎ切り抜く桜花
七つの海を航海中暇に任せた娘達が巧を競い織り込んだ柄
 あと二十だけ時間まで迎えが来たら待たせておくわ
花嫁衣裳の裾から膝へ嵩を増す砂胸まで顎まで呑み込む砂
 長手袋を嵌めても細い指が白砂を仕舞い掻き消えた
満開の桜で祝う為空部屋の障子に幾つも幾つも穴を開けた

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「また」

また 佐藤裕子

あの場所からどのくらいここへ来るまでこんなに掛かった
 蟻を払う肩は磁気を漏らし砂鉄が食らい付く宙の荊
怠い左腕へ溶けた添え木板目の記録をなぞる感覚さえ炭化
 忽ち染みが広がる玉虫の婚姻色膿んだ蕾を突く黒点
晴れ間のない闇で日付を捲る体内時計壊れた境で濁る昼夜
 幻が冴え倒れた垂線を巻き戻す溶けた硝子から揚羽
関節に結んだ貝殻を鳴らし指を燃やす人人の後から後から
 脱落する衣服を畳まず濯がず積み込む干上がった川
頼まれ事であったように邂逅の日時へとわたしを運ぶ身体
 山火事が続く槌を握った医師は雨と寒波を予測した
鉤を外せば折れる上体瘴気の粉が呼吸器を荒らす喉に火玉
 名前を呼ぶことを禁じている欲している狂おしい谺
また間に合わない真白い頭を抱き明日のことを話しながら
 休ませた乗り物を降りまた生まれ変わるいつの日か
サーチライトそれとも去って行く光逃れた船があるならば

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「小猫」

小猫 佐藤裕子

土砂降りに震えていたのは皿の上の溶き焼き卵プチトマト
 公園の休日は芝居のようで気取って開くバスケット
恋人達は皆知らないうちにいなくなる彼も彼女もあの人も
 路地裏で迷子だと思ったら暖かい手に渡されて遺品
寄り添う影だったからどこかしら似ているなんて嘘も大嘘
 ほんの一瞬で惑いを引き出し動揺を与える哀しい顔
それがどうしてなのかを知りたくてずっと傍にいたのかも
 木綿の皺へ潜る朝方大胆で臆病な毛布を抜ける午後
舗道を金魚が走って行った後から後から数え切れないほど
 今年初めての雪が降る何処から何処へ肌寒い窓の外
もう少し話していて眠くなるまで眠ってしまってもずっと
 珈琲と煙草の匂いがする風何か思い出しそうな月夜
思い出すのはいつだって誰の為にも泣いて上げなかった事
 お別れを言われる気分はどんな感じ教えて欲しいの
覚えていて出逢った時に飼い主を飼う夢の話をしたことを

(2017.3.25)