連載【第011回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: internal trees 1

 internal trees 1
 灰色の夕暮れの第二景。ふるえる心臓。このとき、つきぬけるような戦慄を、私はたしかに感じていた。
 だが、それは実現不能な範疇にある行為なのである。自らを放棄することで生起する衝動、自らを拒否することによってのみ可能な敵意、自らを犠牲的につらぬくつらなり全体の無化への企み、それはあまりにも無意味な行為の突出であるからだ。それゆえ、すでに行為ではなく、切り離された行為の断片なのである。
 しかし、その衝動の素片こそ、突出する暴力、暴力の突出とでも名づけうるものである。私は彼が、彼の皮膜を破裂させることで、私と私を通した連鎖の階梯すべてを自らの内部に閉じ込め、閉じ込めた内部の樹木として、自らとともに無化させようとするその無意味な意志を感じていたのである。

 宇宙にも皮膜はあるのだろうか。宇宙は何もないところから、つまり何もないところの高エネルギー状態から生成されたに違いない。なぜなら、そこから百三十八億年分の膨張エネルギーを奪ったのだから、それに引き合う分のエネルギーが何もないところの内部に凝縮していたということになる。そして、宇宙誕生のとき、何もないところにはエネルギー状態における境界があったのかどうか。もし皮膜があるとすれば、それはその境界の状態ということになる。そして、膨張しても、その境界が広がるだけで、やはり宇宙は境界の内部にとどまっているのでないか。つまり、永遠に宇宙は皮膜の中にある。皮膜の中にある宇宙モデル。外から見れば、やはり何もないところなのだ。(つづく)

連載【第010回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: darkness 2

darkness 2
知りえぬということの罪障、根深い疑い、想起するにいたらぬための焦燥。つまり、古いもの、気の遠くなるような底部に、そもそもから用意されているはずの空虚というイメージに起因しているもの。だが、たしかに私自身がその意味するところの真実とその正体を知ることは不可能なのだ。
私が傷つけるはずのもの、私を傷つけるはずのもの、それらは私に対して何をもたらすものなのか、またそれゆえに私をどのように扱おうというのだろう。私はそれらの鋭い侵襲によってほんとうに傷つけられているのか、ほんとうに何ものかを傷つけているのか。
それははたして、私の部位を、それぞれの精神を、無数にある意識自体を、さらにもっと古くからある傷を重ねて、それらは醜い瘢痕となり、それぞれの表層に複雑な皺となって残される。もう、元には戻らない、戻ることはありえないのだ、と。

そのとき私はめくるめく暗い情熱に衝き動かされ、私の外部に牙を、矛先を向けざるをえなくなるのだ。それは、決して内部に振り下ろされる斧ではなく、外に向けられるべき一撃。振り下ろされる打撃。だが、暗く熱を帯びた暴力が突出するのは、その一瞬だけである。その後は冷酷な暴力の残渣が機構として無際限に繰り返されていく。深傷を負うのは私の表層であるが、すでに亀裂、破砕は全体へ及びはじめてしまっている。

――そもそもの原因がおれにあるということはありえないが、かといってその原因がもたらす次の原因からも無関係であることにはならない。そのことはおれ自身もよく分かっているつもりだ。完全な抑圧の環境に置かれることを願っている部分がおまえにはあるに違いないが、なぜそのような願望をおまえが所有する必要があるのかを、おれは許しがたいものとして、自らの深まりの底に沈潜させている。
だが、それにもましておれにとって真に許しがたいのは、そのようなおまえではなく、おまえを通したおまえの向こう、おれを通したおれの向こうそのものの、連綿たるつらなりであるに違いないのだ。
おれはただ単に血を見るのが好きなわけでもなく、肉が裂け、骨が砕け散ることに快楽をおぼえているわけでもない。なぜなら、破壊されるものはおれ自身を含んだ、おれの不幸でもあるのだから。
おれはただたんにおれ自身を壊滅的に追いつめることに自分自身の理由を見出そうとしているだけなのかもしれない。(ダークネス)

連載【第009回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: darkness 1

 darkness 1
 それは、ある青みを帯びた灰色の夕刻。その灰色の濃霧の向こうに薄黄色の光芒が垣間見えるが、こちらの側は絶望の濃紺の帳に蔽われているだけだ。さらに時間はくつがえり、かすかな光も忘れ去られていくに違いない。
 私の底部の秘められた闇、稲光がたえず閃くように、抑えきれない衝動的な葛藤がつらぬく暗黒(ダークネス)。そのような憤りの生成が何によるのかを知るものが、いったいどこにいるというのだろう。

 最初から存在する物質を想像することは不可能だ。そんなものはありえようがないからだ〔検証不能性〕。けれども、生命の底部、その発生の向こうにあるものを知ることがないといえるのか。数億年の皮質の蓄積を経て、皮膜の底に沈澱したものは甦ることはないのだろうか。傷ついた中枢神経はすでに恢復は不可能だというのだろうか。あらゆる歴史は殺戮の連鎖に違いないとはいえ、いまだ拭い去ることのできない衝動が忘却という形で記憶されている。思い出すこともなく、忘れ去られることもなく、古い皮質は傷つけられたまま。(つづく)

連載【第008回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: breath melts 2

 breath melts 2
 私は私の軟らかい部位に温かな吐息を感ずることで、ある種の熱狂を思い起こしていた。それは小波のように跡切れることのない繰り返しの感覚である。これまでにどのくらいの回数の訪れの感覚があったか、またこれからどのくらいの数の訪れを知るのだろうか。今、どのくらいの数の訪れを得ているのだろう。
 私はあなたの内側から私のこの感覚によって受け容れられているに違いないが、はたして私が受け容れているということをあなたは知っているのだろうか。
 横たわるあなたを愛撫したとしても、私があなたに重なったとしても、私の表層が壊れてしまうわけではない。私は逃げられないし、そのことを知っているからここにとどまっている。ただ迷っているということなのかもしれない。それでも私はあなたの内部に囚われている。私が望んだもの、欲望したもの、命じられたもの。あなたは崩れようとしている。切なげな表情と喘ぎとで。
 私はあなたに人間的な親愛を覚えているわけではないし、またあなたがそれを望んでいるはずのないことも充分理解しているはずだ。私はあなたをたしかに包摂しているのだから。

――わたしはあなたの表層と接点を持っているだけで、「あなたとつながっているわけではないのよ」わたしは、その理由について、わたしから言いだすことはありえないのだけれど、たしかに強い理由があるのを知っている。わたしもあなたを愛しているはずがないし、これからも愛するはずのないことも、またあなたを憎むこともありえないはずだもの。わたしはわたしを、あなたと区別する必要があるのよ。わたしはあなたに侵略され、屈服させられ、あなたを埋め込まれているからだわ。これは屈辱であるけれど、おそらくあなたにとってもあなたの汚点、あなたの盲信――。あなたが愛しているのはそのことなのかもしれないのよ。(吐息が溶ける)

連載【第007回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: breath melts 1

 breath melts 1
――わたしが囚われているのではないことを、あなたは示すことができるのだろうか、それともわたし自身が……。

 わたしを一方的に支配する意図はなくても、支配していることには変わりはないし、もちろんわたしを愛さねばならないという気持ちも、さらにわたしによってあなたが救済されるかもしれないという期待も感じられるわ。でも、それこそあなたの瞞着、傲慢さ、掴みどころのない循環。
 あなたの表層はときとして硬くわたしの内側に訪れる。また、いつのまにかやわらかく弛緩する。この硬直は支配を認めさせること、この溶融は憐れみと後悔――。けれども、わたしの満たされぬ時間の中では、どれがわたしとあなたとのつながりの本当の姿なのかを、わたしもあなたも見出すことはできない。
 わたしはわたしの内側から内側へという二重の外側へくるみだされ、その猥雑に絡んだ襞をたどり、さらにその底にある深い磁場へともぐり込んでいく。二重螺旋への下降、永遠の。そして、ここでまた問題にぶつかってしまう。けれども、それは何かを生み出すための二重性ということなのか、あるいは生み出されるわたし自身への下降ということなのか。いずれにしてもわたしから発している問題に遭遇しているということではなく、あなたが提示した答えに囚われているということになるのだわ。
 わたしはそのようなわたしをどのように抑圧すべきか、そうすることでこれから生み出すすべてを許すことができるかどうか、憎むことができるかどうか、またそのようなわたしがそれにもましてあなたを要請していることも、またあなたがわたしに期待するすべての事柄をわたしも期待していることにゆき当たってしまっている。あなたはわたしの内側をいっそう慈しみ、わたしはあなたへの期待を慈しむ。(つづく)

連載【第006回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: pain speed

 pain speed
 私にとって最も遠いところから、その痛みは伝わってきたのかもしれない。それとも、その距離は、痛み自体がもたらしているのかもしれない。支えるものが稀薄になれば、それだけ速さはいやましてくる。支えるものとその意識が私自身から離れていくときに、痛みの速度は直接的な物質性を私に示してくる。それは、まるで痛みがつねに隣接しているように、私そのものに侵襲してくる。べったりと貼りつき、その接触面から貫通してくるのである。

――わたしはわたしの中の生きものたちのことをつねに意識していて、ともすると、いくつかの別々のかたまりの形でわたしの方に寄り添ってくるのを感じることがあるの。それはまぎれもなく複数の、別々の意識の重なりとでもいえるし、もっと具体的な、透明な膜の向こうに蠢く生命活動の原初の連なりとでもいう実感がするのよ。

 女性の意識の中にある、母性を感じる特有のインスピレーションと関連しているのではなく、ひたすら愛おしくなつかしい匂いを伴いながら、自らを衝き動かさざるをえない、ある種、連動する他人たちの気配、ふるまい。

 でも、あなたの方に向かうときは、あなたのたったひとつの側面を頼りにただつながっているにすぎないのかもしれない。そして、そのようなわたしが、あなたにとってはわたしたちが、無数にその側面を埋めているに違いないのよ。わたしのこの疼きが一定の充足感を伴い、そのようにしてわたしの存在を示すことにつながっているのだわ。
 そうよ、わたしのこの欠落する意識が、あるいは充実する意識が、ときには痛みとなり、ときには痙攣となり、ときには甘い麻薬となって、あなたに浸透していく……。
 神経細胞のつらなりを流れる電気信号と痙攣。その痛みが細胞体の不安なのかもしれない。秒速百メートルに達する速度を持つ、その予期しない叛乱。再生できるのかできないのか。変性による死への予兆が神経線維の端から端まで伝播する。

 私を覚醒させた痙攣が示すものは、こうした肉体の叛乱とでもいいうるものなのかもしれない。それは、まず前駆的にふくらはぎの外側にある筋に硬質の痛みを現し、たとえそのとき眠りにあるとしても、波打つ痙攣の予感を持続させていく。(痛みの速度)

連載【第005回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: microtubule 2

 microtubule 2
 Aは「私自身にとっては、肉体の欠落感というものは意識することはできないのだが、私という空洞の反対側、つまり二種類の血管膜のそれぞれの向こう側にあるものは、不可視であるとはいえ、隣接感は直観できる」と応じた。そして、ある重要な問題を提起した。

「その直観は、存在を予感することはできても、何ものをも見ることも、本質に到達することもできず、隣接する感覚はあっても、生起している現象に遭遇することはありえないといえるのではないか。血管の層をなす外膜と内膜の向こうにしか、私にとっては推測できる世界はありえないし、あなたにしたところで、またあなたの一切の問いかけにしても、私の推理でしかないということが、私の本質を決定づけているに違いない」
 大動脈の偽腔であるAの意識は私に以上のような問題を突きつけたのである。

 偽腔Aは向こうにあるものだが、つねに向こうであることを余儀なくされる。外膜、中膜、内膜と、私は外側から推測する。偽腔Aは三段階の膜層そのものであるが、その本質は充たされたものではない。彼はすでに自分がたんなる肉体の概念であるということを認めざるをえない。そして、そればかりではない。偽腔Aはみずから提起する問題について何もないところから始めなければならないのだ。それだからこそ。

 肉体の部位は実質で充たされるということは不可能なのだ。部位のいたるところは空洞で、部位を構成する細胞も嚢状の構成物である。肉体の思想は空虚から始められている。それだからこそ。

 肉体は肉体に語らせよ。このときの肉体とは部位としての肉体である。身体は機構であるが、肉体はぶつ切りの個体であり、想像力を根拠にする個体。そして、生命活動を続ける以上、それぞれの空洞に生か死を選択する意志があるはずなのだ。いや、意識といったほうが明確になるかもしれない。肉体の部位が独立して何かを感じ、思惟し、肉体が肉体の意識をゆらぎ立たせて蠢きはじめる。脚や腕の関節はもとより、内臓や性器、体毛、爪、さらに細胞の一つ一つが自らの意志を、それと気づくこともなく、意志を立ちのぼらせる。
 私は何のことについて述べているのだろうか。おそらくそれは、神秘主義や機械主義的な外圧やガバナンスに支配されないで、すっくと立ち上がる部位の、いわゆる肉体のゆらめく舞踏ということをイメージしているに違いない。
 肉体にまかせよ、ということは可能である。しかし、身体にその本性を任せよということは不可能なのだ。肉体は肉体の意識を律動させるが、身体は肉体を統御しているにすぎないからだ。(微小管)

連載【第004回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: microtubule 1

 microtubule 1
 あなたは私に属しているのか? 私がそのような疑問を抱いてから数日たった夜のことである。
 それは、私に属する意識のひとつ、(肉体の部位としては)大動脈の腹部にある解離性の瘤と繋がっているもの、その大動脈瘤の持つ意識についてのことである。
 意識Aは次のような来歴を私に語り始めた。

 Aが自らを知りえたのは、大動脈に突発的に生じたときではなく、私がAの病理的な存在を自ら認めざるをえなくなった時点であった。Aは最初、私の願望から、自分が一時的な存在で数カ月もすれば瘤としての形は失われるかもしれぬと考えていた。しかし、結局、瘤は閉鎖することはなく存続しつづけた。
「私は、物理的に大動脈に生じたときに誕生したのか、あるいはあなたが私の存在を信じたときに誕生したのか、私自身よく分からないところがある」
 またAは、A自身が血管内に生じた空洞としての物理性であるのか、空洞を造る血管が持つ特殊意識であるのか、あるいはその両者の統合体であるのか、はたまた医学の捏造なのか、私の信仰あるいは妄想であるのか、自分でも確かなことは分からないと繰り返した。

「それでも、あなたは肉体を持っているのか?」私はAへの問いかけをこのような言葉で始めることにした。「あなたはAであるはずだから、Aの意識を持つ身体という統合的機能、あるいはある一つの機構としてたしかにあるということはいえるのだろうが、血管にできた瘤という、つまり空洞である以上、肉体を欠落させられているといえないだろうか」私はもうひとつの疑問、空洞という肉体はありえるのか、いや肉体はそもそも空洞を包み込んだもの、肉体の本質は空洞にあるのではないかという疑問は、ここでは差し控えることにした。(つづく)

連載【第003回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: Invisible 3

 Invisible 3
 このことは次のような問いかけでも同じである。「私にはあなたが見えるのか?」「あなたには私が見えるのか?」私はあらゆる場合においてあなたを見ることはできないし、あなたは私を見ることはできない。
 では、私はあなたに問いかけることは可能なのだろうか。また、私はあなたに問いかけずに私としてありつづけることが可能なのだろうか。もっとはっきり述べるなら、私が私に問いかけるということはありえないし、それは不能な事象なのだから、あなたに問いかけることが不可能なら私は絶対の沈黙を余儀なくされる、私のあらゆる問いかけが存在しなくなる。

 あなたは私にこう答える。「そのように考えることが、すでにあなたが『あなた』と呼ぶ私の一方の考えであり、その私の一方の考えが、あなたの考える一部でもあるはずだ」
「けれども」と、あなたは付け加える。「あなたの私への問いかけは、私になされたものなのか、あるいはあなたが発しえたものなのかは定かでなくなってしまっている。そもそも、そのような問いかけが行われたのかどうかさえ明確ではなくなってしまっている」

 たしかに、もうすでに私の中では、そのような問いかけは跡形もなく消失していた。そして、「あなた」という言葉の証拠すら残されず、私は私の表層を見つめていた。(見えざるもの)

連載【第002回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: Invisible 2

 Invisible: 2
 来たるべきものはたしかに「部分」のうちにあるのだろうし、あなたはその来たるべきものに違いない。しかし、来たるべきものは来ることはないし、いつも私の外側にあるものだ。
 また、それは無垢というものと関係があるのだろうか。私が無垢でなければあなたが無垢であろうし、あなたが無垢でなければ私が無垢であるということなのか。そもそも無垢であるということは許されざるものなのか。そして、そのことが侵襲される理由であるのか。それはこちらとあちら、私とあなたがひとつになることを拒むもの。

 私が考えているのは、あなたがこの議論の内部にあるのではなく、表層を部分に持つ、見えないもののその表層の部分なのではないかということだ。だから、私が問いかけるあなたとは、私の影であるというべきではなく、独立した表層の部分というべきである。

 あなたはどのような場合でも、あなた自身である。そうだ。私が問いかけようとしたのは、そのことなのだ。「私はあなたであるか?」「あなたは私であるか?」あなたはすべての場合において、あなた自身の何ものでもないのだから、私はあなたではないし、あなたは私ではない。(つづく)