連載【第001回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: Invisible 1

 Invisible 1
 私は私の属しているものを知ることはできない。また、私が属しているとされるものも、私を知ることはない。さらに、私が私を属しているとするものを推測することはできるが、ほんとうは知ることはできない。私がこれらを知ることができるとすれば、それはファシズムとは何かということに尽きるのであり、私自身の自由からも、あらゆる存在の自由という問題からも遠く隔てられてしまったものについてなのである。

 私はまずあなたに問いかける。あなたは私自身であるのかもしれず、また私の隣のあなたであるのかもしれない。また、私とはまるで無関係なあなたであるのかもしれない。しかし、いずれにしても、私は問いかけるためにあなたを必要としている。
 それにしても、私が問いかける事柄はどこからやって来るものなのか。あるいは、いつやって来るのだろうか。そして、ほんとうに問いかける事柄があるのだろうか。けれども、来たるべきものはやはり来るのだという予感はある。しかし。
 そもそも、私は何を問いかけて、その問いかけがどのような意味を持つのかをいまだに知ることができない。何を考えようとしているのか、何を始めようというのか、私にはまだ何も見えていないのである。
 おそらく、私は何かの一部に問いかけているに違いない。その一部がどのようなものの一部なのかを永久に知ることはないだろうが、たしかに何かの一部分であるということに誤りはないだろう。私の考えはこうだ。私はあらゆる「部分」に侵襲されている。(つづく)

連詩 迷い未知 三

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 三 光の玉についてのトーク

おはよう!
おかあさんが亡くなってしばらくして、わたしの誕生日にわたしも同じもの見たよ。おかあさんだね。

朝から、現実にありえない物質の意志と光が生きているんだ。
私は、そのようなあの世があると思う、しかない。

覚醒した状態で見ているからね。
こんな、明確なのは初めてだ。

今夜になってもその物質は現れた。光の玉。
この世とのわかれではない、私とのわかれではない。いつでも会えるということ。

そうなんだ。おかあさんは、おとうさんのそばにいるよってことだね。

でも、光は分割できるから、どこにでも行けるようだ。
自由に好きなところに行けると。

遍在ということだね。同時に。

わたしのところにも来てくれるといいな!

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連詩 迷い未知 二

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 二

重なった記憶はあまりに乾涸びて、欲望に充たされるかどうか。

ああ。夢の中でさえ、俗事に囚われてしまった。覚醒した状態で見ているはずなのに。

こんな明確なのは初めてだ。

あ、この話を鏡子と電話アプリでトークをしていると、光の玉が左目の端に顔を出した。

あのころから、わたしは心からテロリストになることを夢見ていた。

こんな当たり障りのない告白

もっとも小さなものこそ世界の入り口だとささやくと、瞳を光のかたまりにして、きみはぼくの眼の中に宿り始めた。そうだったね。

現実にないものが小さないくつかの光になって、目のまわりを三十分くらい回っていた。

シャボン玉のような泡が眼の端からこぼれて、金色の球体となって浮かぶ。

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連詩 迷い未知 一

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 一

しかし、これらは文明と深く関係している。幽霊のことだ。

またこれは貨幣概念とも近似している。
実体のない世界を支える乱雑さ、破廉恥な猿回し。

そうだ、回帰することで増殖できない。イササカイヤサカ。それらを通って全体への旅であることにまちがいはないのか。

眼を通って認識するしかない。
世界構造というものを、繰り返し構築しているばかり。ネストはあらゆる次元に包囲された特異点。

一昨日の夜、大きい光の玉と中小の無数の光の玉が左右の目の端からかわるがわる現れ、三、四十分ほど、頭のまわりをぐるぐるまわっていた。

地球、海底、月の石
大小、無意味、ごろごろと

僕は世界を認めない夢遊者だけど

これに時間要素が加わる。つまり眼という皮膜に時間が影を落とすと、眼球は歴史観という比較因子をうらうらうらと、裏ぎりぎりと。

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覚醒

夢。
その夜、病室のカーテンに幼児の姿をした天使が数体浮かび上がっていた。
翌日の真夜中、寝ながら左の腎臓に手を当てていると、いきなりそのあたりが熱を持ち、しばらく熱い固まりになっていた。これは病が昂じたのか回復したものかと、考えが迷った。
そのうち隣のベッドからか自分のいる空間からなのか、ラジオから漏れるような音楽が、荘厳な交響楽が、横たわる自分の体を静かに包み始めた。
これはまるで、病死したワイフがその前日に言い残したことと同じ話ではないか。
私は自分が生と死の境を目前にしていると感じたが、そのいずれなのか判断できなかった。私は神を信じてはいないと、くり返し誓った。

添い寝する妻

 私は先日、「私と妻の長い闘病の暮らしが思い出されることにいたたまれなかったのだ。」と記した。
 しかし、よく考えてみると、その暮らしこそ愛の暮らしそのもので、思い出の中には彼女がいつも生きている。思い出には生きているふたりの愛が満ちているのだ。
 つまり、苦しむべき思い出などではなく、いつでも私を迎え入れてくれる、幸せの微笑みで抱いてくれる場所なのだ。闘病のときを振り返ることで、生きているふたりの決して消すことのできない愛が実在していたという歓びに触れることができるのだ。
 死んでからの思い出は心を鎮めるために、ふたりのことを検証していくのであるが、そのことはふたりのつながりを別の世界との距離へと導いていくものである。
 わたしは、そのことを眠りに陥る刹那に、添い寝する妻の温もりの記憶とともに知ったような気がした。

mediastinal
   ――散文詩による小説「dance obscura」から

 最初の電話は、早朝だった。明らかにパニック状態の若い女の声だ。何の電話だ、危険な状態なのか。当直医と話してください、とにかく来てください。危篤の召集なのか、はっきりしろ! 女の声は、ドクターに聞いてくださいで終始する。病院はリスク回避のために即答を避けているのだ。ドクターが電話に出ることもなかった。
 車を飛ばして、私がベッドに駆け寄るなり、宿直医の部屋に呼び出される。私はあなたからひとときも離れたくなかったのに。医師は、気管支に詰まる組織片のため生ずる、胸の痛みと窒息の恐怖から、あなたの想像を絶する苦しみを取り除くため、沈静剤の使用を強要した。私はあなたが、最後の最後まで生きる闘いをする勇敢な女性だと主張した。癌が判明してから、私たちはそのことを何度も確かめあった。一緒に生きたすべての時間に確かめあった深い愛のように。
 私はベッドに戻り、背中をさすったり、叩いたりして、破片を吐き出そうとしているあなたの必死の努力に加勢する。あなたは生きようとしていた。闘っているのだ。

 最初の危篤からは奇跡的に回復した。たまたま何かの拍子で気管支を塞いでいた縦隔の癌の組織片が外れたのだ。いや、まだ生きようという強い思いが力を与えたのだ。しかし、それはこの世との袂別のための僅かな時間をもたらしたにすぎない。
 あなたはその後の数日間を窒息の恐怖とともに過ごしていた。眠るのが怖いと、怯えた眸を震わせて。それなのに、医師たちはあまりに危険な沈静剤を管から与えたのだ。脳神経を眠らせて、痛みと恐怖から解放するからと。それは医師たちの策略だった。気管支を塞いだ血痰は誰も取り除けないから、自分で吐き出すことしかできないから、危険な眠りにつかせようとしたのだ。その眠りのうちに死なせようと。死の眠りを、神でもないのに! 安楽死を公言できないから。
 失せろ! なにもできない藪医者ども!
 あなたは、まだ生きるんだな、頑張れるんだな。私の無慈悲な声に、最後の瞳を大きく見開き、首を縦に振って、うん、うんと応えてくれた。溺れゆくもののように必死でもがきながら。

 そして、いま、地震や一陣の嵐によってはかなくもすべてが召し上げられる。気がつくと、物理的な自然だけが世界に甦っていた。

妻・紙田眞弓を恋うて
  2017年の眠りつづける人に

闘病の話はやめよう
最後の苦しさと悲しさはかぎりがないから
ぼくには 君との47年間の
愛の激しい暮らしがあったのだ

新宿ピットインのイレブンで出会い
ヒッピーだったふたりは
1971年に 京都をめざして
深夜列車に飛び乗った
もちろん、ラリっていたさ
だからMack the Knifeだったのだ
朝まで歌いつづけてね

ぼくらは自由を求めてスタートしていた
それからの愛の物語には触れない
鏡子と聡という宝物に恵まれたのだから

ぼくの心の中には
ぎっしりと 君との47年間の人生が詰まっている
君はきっと あの空から
ぼくの心の中に入り込み
その一つ一つの人生の時間を解きほぐし
ぼくを慰め、励まし、叱咤するだろう

ああ、眞弓 最愛の妻よ
ふたりだけのあまりに豊かな秘密を
ぼくは心の中に語りつづける
だれも ふたりの愛のことなどわからない
ぼくと君とだけの 愛しい宝物について

 弔辞として捧ぐ
   2017年8月25日9:31没

草稿●multiverse

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 世界が個人的に分割されていくとはどういうことなのか。現実、宇宙、あるいは次元とは、〈見ること〉が経験することであるなら、その事象を〈見ること〉自体が判断したり、選択することで多宇宙が生み出されていく。粒子が自己という鏡を見ることで反粒子として分割させるように、多宇宙をすべからく経験していくのだ。そして、複数宇宙マルチバースから見ると、分割宇宙は同時に並列して存在し、粒子そのものから見たときには宇宙は分割されずに単一宇宙である。つまり、単一宇宙の経験を終えることで、別のの宇宙に切り替わり、次々に別の世界体験を経ていくのである。見る主体は全宇宙の存在の全可能性を知るのだ。
 その意味では、現実は体験上単一であり、複数現実ではない。だが、見る主体は、単一世界を終えることで次の世界からさらに歩を進めて、全宇宙を自分のものとすることができるのだ。人生の成功も失敗も、幸福も不幸も、すべての分岐世界を体験するために。

 どんなに抑圧されても、悲惨な目にあっても恐れることはない。この世がすべてだからと、自分を諦めることもない。現実がすべてではないのだから、抑圧に対する抵抗者となって、思うことを存分に果たすことが可能なのだ。
 抵抗する者はつながりとなり、系譜となっての世界の分割を進めていくこともできるし、多宇宙に飛び出していくこともできるのである。
 成功者とか抑圧する者、支配者の世界は単一現実における短命の貧しい体験者であり、これに対して苦しみ闘う者は豊富で質の高い体験を、全宇宙を通じて果たせるのだ。

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草稿●hallucination

 病棟にいたときに、あたしは、未来とも過去とも、あるいは別の次元、別のあたしの人生を見ていたことがある。
 急に目の前がぼんやりして視点が定まらなくなったときのことだ。椅子から立ち上がり、気分を落ち着かせるためにラム酒(のつもりで黒い酢)を啜った。空間が歪むように、脳作用の内部に何か空洞でもできたのだろうか。指先の神経まで緩やかに麻痺が達した。精神と肉体が不思議なほどばらばらに離れていた。泥酔していたのかもしれない。自分自身がどこか別の次元を移動しているかのように。しかし、骨格は鈍い軋り音をあげるばかりで、声を出すことも、身ぶりで何かを示すこともできない。その空間では、あたしが見ていたあたしは、確かに男だった。
 あたしであるはずの男はキャンバスを100号の木枠に張り付け、油絵を描く準備をしていた。そして、あたしの方を振り返り、だれかが覗いている、と呟いた。それであたしは彼の頭の中が見えたのだ。またあの女(あたしのこと)が切れ端でものを考えている。時間だって切れ端だってことを知りもしないで。さらに頭の中では脳味噌がいくつかの塊に分かれ、それぞれ別のことを考えている。つまり、あたしは別々の人格が見えていたことになる。それらの人格はその頭脳を通して、さまざまの人間に見えるあたし自身を見ていた。
 あたしはふっと、それら見ることのできるすべてのあちらの人々に乗り移るような気がして、こちらの場所から動くことができないでいた。あたしは粉々に分かれていく。分解されていく。嫌な感じだ、やはりとても嫌な気がする。あたしは、いったい何を見ていたのだろう。何を体験しているのだろう。どのあたしがあたしなのだろう。どの人生も、あたしは忘れてはいない。いつだって、思い出しているのよ。いつだって生きているのよ。