寄稿: 佐藤裕子「クーラーボックス」

クーラーボックス 佐藤裕子

家の前でサイレンが止まる水溜りを踏んだ泥だらけの長靴
 草臥れた軍手が指差確認無駄なく動きシートを敷く
双子の救急隊員が担架で発泡スチロールの箱を寝室へ運ぶ
 クレーム返品は応じかねます早口の二重奏で急発進
通販の覚えはなく御歳暮なら何所からにしても大き過ぎる
 受け取った物は何物は荷を解きソファーで茶を所望
温めのココアにしてちょうだいよく温めておいてね御茶碗
 苦しい胸思うより早く作動する警笛懐かしい過呼吸
撮むものはチョコレートアメリカ製じゃなくベルギーの方
 充満する甘ったるい匂い舞い戻る愛しの神経性胃炎
少し横になるわ帰りは揺れたから体がバラバラになりそう
 浮世離れも叶えた世間知らずも庇ったはずでしょう
夕のお食事は早めにしてね今日はあなたもお疲れでしょう
 留守番電話は定休日を告げる泉の仙女?堪えた苦笑
迂闊にも落としたのは良いお母さんですと言った気がする

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「絵図阿蘭陀船」

絵図阿蘭陀船 佐藤裕子

画であれば欺く女達は呪縛であれ笑みの種類は幸福であれ
 衣紋から断崖へ地下道から蹴爪連子窓を破る白い脛
金枝雀に絡まり蝶の群れを留め置いた髪一筋は闇の手土産
 零下の波間を半島まで漂流したその上はエトランゼ
結合し枝分かれし縒った糸がキリキリと切れ始める卓上で
 寝鳥は騙し船に乗せ遠称の朧ろ真似鶫に頼む手控え
月下美人が陽炎を上げ溶けた切り子の縁は口唇の跡で濡れ
 酩酊に任せ薄い耳たぶを放す翡翠の哄笑が続く手桶
現象が故を持ち線に従う海と唱え美酒雨と呼べば面背に雨
 傾斜する舷を操りながら身体を明け渡す嵐の異土へ
絵師の酔眼は碧の暈幾度描く顔に紗を掛け出会う筈ない裔
 変色した表具を引き抜いて背景を移動する阿蘭陀船
片片の円弧を繋いた鏡を一振り一振り濁らせる七色の絵筆
 閨の幻は一度限り軸物は白紙に返り夜の眠りは顫え
目分量の水で薄め濃淡のある午前二時ペイルブルーの氷雨

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「いつかここに」

いつかここに 佐藤裕子

訝しそうな顔付きで辺りを見回す自問に応じる寂しい笑い
 じっとしている雪崩れる陽光を遮り影を暖める為に
水の匂いを嗅ぐと青衣襞を伝う流れを掴んでは離し零す灰
 入り日を吸い黄金を映す燃やす気の迷い気の昂ぶり
千千に分かれ花片は野辺へ朽葉は土へ翅は破れ羽根は遊び
 生命を借りる風もどき草花を食い露を啜り形を写し
黄色い円錐と球が並ぶ絵を描いたでしょホームと付けた題
 酷く哀しいことがあった悲しい理由を覚えていない
海から来た時は髪に白蝶貝夜明け前を抜けた襟は曇る白金
 瞳は誰とも出会わない何を探していたのかさえ曖昧
小さかったベンジャミンが大きくなったでしょうこんなに
 賑わう街は上空まで明るいポインセチアシクラメン
菊花が身を縮め松の針先を弾く庭は明るい降り出した綿雪
 昨日山葡萄の蔓の輪にリボンを巻き飾った松毬と柊
一昔前二昔前丁度ここに坐り待っていたと云う女の人の話

(2017.3.25

寄稿: 佐藤裕子「宝石箱」

宝石箱 佐藤裕子

喉も嗄れた迦陵頻伽貝殻細工の比翼鳥彫金のマーガレット
 帯留にしたと云う襟飾りエナメル蜻蛉はアールデコ
黒帝の褥で炎えた風花は荒玉のまま掌で弄ぶ時白湯の微温
 象牙も知らず貂も知らずリボンが掛かった動物図鑑
叔父の恋文は出さず仕舞い切手の乙女が接吻けるビードロ
 露西亜語のテープが残る下船して海にいるなら珊瑚
浪漫主義だから不運の相写真ごと歪むセルロイド製裁縫箱
 弔えず隠し持っていた人形の青い眼光とビスクの頬
野へ撒く切り花は手向けのようで引き換え貰った狐の手袋
 蒼穹を破り今頃何処にカムパネルラが置いた落下傘
婚約指輪は一度嵌めたきりの夢であり後は他愛ない作り事
 陶器に刺青天使の背に焼き鏝オキュパイドジャパン
香には薬を含ませておく花嫁となる人が探らせた袂の小袋
 重石代わりの書物を一冊胸に載せる重みは人一人分
琥珀を溶かす熱帯夜はあえかな発光で羽虫を遊ばせ昔昔と

(2017.3.25)

寄稿: 佐藤裕子「ものごころ」

ものごころ 佐藤裕子

動揺を露にすることや感情を口に出すことは見苦しいもの
 微笑と丁寧な口調で決して落ち着きを失わないこと
そう躾けられても姉妹が棲むのは手入れの行き届いた花園
 物を欲しがると云う気持ちが分からず仕舞いの横顔
心優しい人人に囲まれ否と言う必要がなかった何をしても
 ぼんやり頷き返すだけで事は足りた何所へ行こうと
奥歯が光っていた時だけアーンして御覧と言ったお父さん
 時がそのまま過ぎ行くなら千切れなかったロザリオ
壊れ物は元通り失せ物は枕元一つとして持てない大切な物
 教えは奇妙な従順を課し軽蔑の眼で保ったプライド
表の顔と棘が刺さった面の裏他人事だと思えば黙殺無関心
 拘束衣だった笑みが高笑いに弾けた途端粉粉の鏡面
重い病は二つ目の望み一番に願う幸いは添えない人のもの
 子ども扱いされたままで黒い羊が聖女になる薬草園
おとなが泣くのを見たことがなかった水晶が匣で転がる音

(2017.3.25)