犬と人と球体

多重的な意識が引き裂かれてゆく
そこまで意識が降りてゆく
死のことを考えつづけているから

自分の中の他人と同じに歩かない
生きている実感があるのかもしれない
原初的な思考のふるえに

死のことを深く考えているのではない
生きていることを深く考えているのでもない

夢の連鎖がいびつな立体を作る
動くものは関連づけられているのか 犬と人と球体
ひびわれた鍵、ひんまがったされこうべ
ただ 睡りの形でそのことを考えている

だが 始まりなどない
あるのは終りだけだといっても

あとから来るものが、すべてをきめる
アフリカが、南アメリカが
ちのそこから

○水も揺れず舟溜りの曇り空

自由とは何か[007]

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 地表すれすれで棲息しているのは私ばかりではない。蛇のように低い吐息を這わせているおまえたち、闇の匂いを蓄積させた路地の、地べたの種族――。
 おまえたちは蹲っているような沈潜の仕方で、地面に沿って平たくのびきってしまっている。実際、おまえたちはすべての存在と同様に個々の曲率に支配されて、それゆえに永遠の平面にまでのびきっているはずなのだ。

 むっくりと体を起こしているのは、やはり影の部分。その影の奥のつらなりの影の内部というものにその根はあるのだろう。根があるというよりも、その存在は裏返された形のままの空虚であるに違いない。影の中の影の部分も体をもたげ始めた。影のつらなりのすべてが、永遠の鏡像のすべてのつらなりが、同じ傾きをもったまま、ゆらゆらと体をもたげ始めている。
 私はおまえたちにとらえどころのない類縁性を感じている。それは、おまえたちのいずれかの特質に、かつて私の何かが関わっていたことがあるということなのだ。私は、すでに私ではない別の私の系譜を思い描いているのかもしれない。それとも、いまだその呪縛と密接に関わっているとでもいうのか。

 私は自分の生まれた場所を知らない。そのことと関係があるのかもしれない。地面への思い入れ、裸足で土に触れることのやすらぎ。根を下ろし、体を支える根拠がほしいのだ。そして、地べたにはたしかに母の匂いと父の匂いが相まって情緒的な風がそよいでいる。ただ、それだけだ。しかし、私は連鎖だということを思い知らされる。連鎖への懐かしさが甦るとはいったいどういうことだ。それはゲノムに対する降伏の白旗なのか。懐かしさは弱さなのか、それとも諦めなのか。ひとりでいることの寂しさ、地面に抱かれることの救いがたさ。なんという裏切り。

 おまえたちは私を呪縛する。しかし、私はその呪縛が私に属しているのか、私を属しているものに関係しているのかを知る術がない。懐かしい匂い、体の奥が引きずられるようないとおしさ、脂にまみれた感触、体をくるむ体毛の記憶、何も考えることのない安逸さ、身をゆだねることの持続――。
 おまえたちは答えない。答えることを退けているのではなく、答える必要のない持続があるばかりだ。私はただおまえたちを通して、呼びさまされる何かを感じている。それが何であるかは別にして。それはそれぞれの内部に根強くあるものではなく、表層のありように起源するものなのかもしれない。なぜなら、つらなる無限の鎖はそれぞれの磁場を形成し、それらの磁力によって影響しあっているはずだからだ。

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自由とは何か[006]

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 灰色の夕暮れの第二景。ふるえる心臓。このとき、つきぬけるような戦慄を、私はたしかに感じていた。だが、それは実現不能な範疇にある行為なのである。自らを放棄することで生起する衝動、自らを拒否することによってのみ可能な敵意、自らを犠牲的につらぬくつらなり全体の無化への企み、それはあまりにも無意味な行為の突出であるからだ。それゆえ、すでに行為ではなく、切り離された行為の断片なのである。
 しかし、その衝動の素片こそ、突出する暴力、暴力の突出とでも名づけうるものである。私は彼が、彼の皮膜を破裂させることで、私と私を通した連鎖の階梯すべてを自らの内部に閉じ込め、閉じ込めた内部の樹木として、自らとともに無化させようとするその無意味な意志を感じていたのである。

 宇宙にも皮膜はあるのだろうか。宇宙は何もないところから、つまり何もないところの高エネルギー状態から生成されたに違いない。なぜなら、そこから百三十七億年分の膨張エネルギーを奪ったのだから、それに引き合う分のエネルギーが何もないところの内部に凝縮していたということになる。そして、宇宙誕生のとき、何もないところにはエネルギー状態における境界があったのかどうか。もし皮膜があるとすれば、それはその境界の状態ということになる。そして、膨張しても、その境界が広がるだけで、やはり宇宙は境界の内部にとどまっているのでないか。つまり、永遠に宇宙は皮膜の中にある。皮膜の中にある宇宙モデル。外から見れば、やはり何もないところなのだ。

 世界は外についても、内についても、何も知ることはできない。世界は時間と空間の幾何学だから、時間の階層についても同じである。過去の時間も未来の時間もほんとうのことは知ることはできないし、現在についても同じかもしれない。生きているというのに、存在しているというのに、何も知ることのできないこの不条理。物理的宇宙は知性において、私を抑圧するものなのだ。そう考えたとき、暴力的な衝動が高まってくるのを私は感じていた。

 だが、世界が円環を結び、宇宙が閉じているかぎり、反世界も反宇宙も、ただ世界と宇宙に包囲されている人形にすぎない。はたしてそうなのか?
 私自身、世界によって抑圧されていることは間違いないし、同時に彼を抑圧していることもまぎれもない事実である。だが、だからといって抑圧を正当化することが可能なのか。あるいは可能だとして、何をもって可能であるといいうるのか。
 おそらくここに過誤の種子がひそんでいるのかもしれない。また、そのことがあがきを現前させている。二つに引き裂かれる意識、引き裂かれることによって増殖する意識、あがきがいたるところにあふれ返る。〈われわれ〉に自由はあるのか。

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(Roma)

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(Roma)

めざめる感覚が
日常的な生活感覚が
ドキュメントをつくりはじめて

存在のそれぞれが
実在しているのかどうかを

映画のいたるところで
見る側の視点と見方の問題が
実在しているのかどうかを

思想と政治の批評性が アイディア(思考)が
感性や抒情性よりも いたるところに
奇想、幻想、妄想が

たちあらわれる宗教も カトリックの
権力構造を指すのではなく
生きながらえてもいない

そこから生まれる
安っぽさがとてもいい
たしかなものかと揶揄しても
とてもいい

幻想と妄想のイメージ化
引き裂かれるファッションショー
現代都市が生みだす
壁画を中心としたシーンは
実在しようにも 実在できない

偽物とわかる映像
絢爛な 未来的な感覚
ああ ローマ
古代都市のままのローマ

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自由とは何か[005]

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 それは、ある青みを帯びた灰色の夕刻。その灰色の濃霧の向こうに薄黄色の光芒が垣間見えるが、こちらの側は絶望の濃紺の帳に蔽われているだけだ。さらに時間はくつがえり、かすかな光も忘れ去られていくに違いない。
 私の底部の秘められた闇、稲光がたえず閃くように、抑えきれない衝動的な葛藤がつらぬく暗黒。そのような憤りを生み出すのが何によるかを知るものが、いったいどこにいるというのだろう。

 最初から存在する物質を想像することは不可能だ。そんなものはありえようがないからだ。けれども、生命の底部、その発生の向こうにあるものを知ることもないといえるのか。数億年の皮質の蓄積を経て、皮膜の底に沈澱したものは甦ることはないのだろうか。傷ついた中枢神経はすでに恢復は不可能だということなのか。あらゆる歴史は殺戮の連鎖に違いないとはいえ、いまだ拭い去ることのできない衝動が忘却という形で記憶されている。思い出すこともなく、忘れ去られることもなく、古い皮質は傷つけられたまま。
 知りえぬということの罪障、根深い疑い、想起するにいたらないための焦燥。つまり、古いもの、気の遠くなるような底部に、そもそもから用意されているはずの空虚というイメージに起因しているもの。だが、たしかに私自身がその意味するところの真実とその正体を知ることは不可能なのである。

 私が傷つけるはずのもの、私を傷つけるはずのもの、それらは私に対して何をもたらすものなのか、またそれゆえに私をどのように扱おうというのだろう。私はそれらの鋭い侵襲によってほんとうに傷つけられているのか、ほんとうに何ものかを傷つけているのか。
 それははたして、私の部位を、それぞれの精神を、無数にある意識自体を、さらにもっと古くからある傷を重ねて、それは醜い瘢痕となり、それぞれの表層に複雑な皺となって残される。もう、元には戻らない、戻ることはありえないのだ、と。
 そのとき私はめくるめくような暗い情熱に衝き動かされて、私の外部に牙を、矛先を向けざるをえなくなるのだ。それは、決して内部に振り下ろされる斧ではなく、外に向けられるべき一撃。振り下ろされつづける打撃。だが、暗く熱を帯びた暴力が突出するのは、その一瞬だけである。その後は冷酷な暴力の残渣が機構として無際限に繰り返されていく。深傷を負うのは私の表層であるが、すでに亀裂、破砕は全体へ及びはじめてしまっている。

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(Satyricon+)

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うわきぐせのたために フェリーニの
(退嬰的な)横溢するるせいが

直線、矩形は 邸宅、遺跡や石造りに
ダンテの地獄篇さなながら
人間ののみが生成した抽象(として)

絢爛さと生唾を
ソドミーのあややしい世界(を)(に)
存在していなないものをののみこみ
脈々とながれて

マシーナとうまく(いか)ないので
題材にローマ時代(を)
つながりがりやストーリー、贅沢にも舞台は
肉体の根源(を)

人間の存在のいみみと抽象性を
しめす(ことにになる)(の)か
唯一無二が存在の根源ならら(ば)
必要もなくまどわされれる(だけ)

きが挿入されて人体劇がおちさつかぬ
人工性、(つまり)直線、幾何、数学が

ローマ神話の時代のはかかなさ 一瞬の光芒とも
圧倒的な壁画 芸術品 贅沢な画面
(そのシーン、)はまべべでさけぶおんなの
全体性になりえ(ら)ぬが
地獄とも天国とも
ローマ人のフェリー二には

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自由とは何か[004]

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 ――わたしが囚われているのではないことを、あなたが示すことができるのだろうか、それともわたし自身が……。
 わたしを一方的に支配する意図はなくても、支配していることには変わりはないし、もちろんわたしを愛さねばならないという気持ちも、さらにわたしによってあなたが救済されるかもしれないという期待も感じられるわ。でも、それこそあなたの瞞着、傲慢さ、掴みどころのない循環。
 あなたの表層はときとして硬くわたしの内側に訪れる。また、いつのまにかやわらかく弛緩する。この硬直は支配を認めさせること、この溶融は憐れみと後悔――。けれども、わたしの満たされぬ時間の中では、どれがわたしとあなたとのつながりの本当の姿なのかを、わたしもあなたも見出すことはできない。
 わたしはわたしの内側から内側へという二重の外側へくるみだされ、その猥雑に絡んだ襞をたどり、さらにその底にある深い磁場へともぐり込んでいく。二重螺旋への下降、永遠の。そして、ここでまた問題にぶつかってしまう。けれども、それは何かを生み出すための二重性ということなのか、あるいは生み出されるわたし自身への下降ということなのか。いずれにしてもわたしから発している問題に遭遇しているということではなく、あなたが提示した答えに囚われているということになるのだわ。
 わたしはそのようなわたしをどのように抑圧すべきか、そうすることでこれから生み出すすべてを許すことができるかどうか、憎むことができるかどうか、またそのようなわたしがそれにもましてあなたを要請していることも、またあなたがわたしに期待するすべての事柄をわたしも期待していることにゆき当たってしまっている。あなたはわたしの内側をいっそう慈しみ、わたしはあなたへの期待を慈しむ。

 私は私の軟らかい部位に温かな吐息を感ずることで、ある種の熱狂を思い起こしていた。それは小波のように跡切れることのない繰り返しの感覚である。これまでにどのくらいの回数の訪れの感覚があったか、またこれからどのくらいの数の訪れを知るのだろうか。今、どのくらいの数の訪れを得ているのだろう。
 私はあなたの内側から私のこの感覚によって受け容れられているに違いないが、はたして私が受け容れているということをあなたは知っているのだろうか。

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(Cabiria)

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だれでもわかるるものか (編集)の占める位置など
ストーリーも自然で 謎めいたところろなど

(いつものテーマが)死のことを考えつづづけ
生きることも 動くものとの関連づけらられては

犬と人と球体の 説教にぐるぐる回るる
修道士とカビリアと 関係するるかは

洞窟にす、すむ貧者に 分けは与えて
(画面の抽象性は)善人の冗長性をそそぎおとし

まとままりに拘泥しな(い) 実験的な
多くのフィルルムから 夏も過ぎて

○夏も過ぎてくれなゐ残る花みづき

大量の撮影場面が用意されれても
生きてている実感が (初期作品の)

○午後の水 ぬるりぬるりと呼吸いきを吐く
(カットするのが作品の魅力なので)

奇妙な構成ををして 想像どおりに
すべてが運ぶのかの(世間的な完成度は) 

生への未練はないは 手馴れた題材をと
ストーリーに無理ななく

凡庸ではなく 生きていいることを
深く考ええていない(フィルムの編集は)

娼婦たち 裏切り 希望ととか
サーカス 音楽と 安定した(共感する)した素材

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見夢録: 2013年11月14日

 ここのところ、長篇詩を書き続けていたが、この数日は左メニューが気に食わなくていろいろいじっていた、結局、別に専用の全一覧メニューを作ってお茶を濁すことにした。
 でも、いろいろプログラムの勉強にはなった。もう、先が短いので深入りはしたくないのだが。ふふふ。
 さて、とにかく、目的の形になってきたので、これまでのサイトから作品を移動がてら整理もすることにした。
 もちろん、新作の制作もおろそかにするつもりはない。
 これまでのサイトは前世紀からの自作だが、外からタブレット端末で更新するなどを考えていなかったので、いろいろな「書くタイミング」に対応していない。自宅のパソコンで書いて、自宅のシステムから公開するなどの、非実用的なものだったので、気分も盛り上がらなかった。
 また、ハード、ソフトの技術的な問題のメンテナンスにかなり追われて、もういやになっていたのが本音。
 これからは、作品行為だけに力を絞っていけると思う。
 自分のためだけにやることなのだが、見守っていただけるとやはり力は倍加する。

(La Strada)

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(少年期の) 木造の教室の柱と梁が
くの字にになり 数日にわたたりて揺れつづけ
彼には 同じことと
ジェルソミーナなのなの この道の

果てしのない 少女ではなない
このの女が マシーナとは
考えてみみれば 異様な笑顔だ
希望のこことだ 彼のただひととつの

白痴のムイシュキンは (十勝沖地震では)
大学の一階がぺぺしゃんこに
写真が大きく報道さされ
まぎれれもない白痴とは 希望のことだが

赤黒い光が発しして
闇の中で海一面が燃え上ががる
呪わわれた従順さ
ありえもしないややさしさ

ジェルソミーナ 予知してていたか
そここから見える丘一つ向こうの
慌てた記憶(函館の)外れの
日吉が丘といいう丘陵に

現実を切りかえらる力で パントマイムは
演技なのか 夢の手ささぐり
どこのどここに踏みこももうと
少女の瞳でははない あまりにみひらかれ

病院に行ったとときは
解離は済んで 運がよかかった
幼児の 中年女の さかかいのない
ごったたまぜのフィルムの編集

サーカスであるののかないのか
ヒールが外れれて 大切な男の腕から
天使と幼児性は カットしなながらも
わからなくなくなる場面が あの不思議さ

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