自由とは何か[003]

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 私から最も遠いところから、その痛みは伝わってきたのかもしれない。それとも、その距離は、痛み自体がもたらしているのかもしれない。支えるものが稀薄になれば、それだけ速さはいやましてくる。支えるものとその意識が私自身から離れていくときに、痛みの速度は直接的な物質性を私に示してくる。それは、まるで痛みがつねに隣接しているように、私そのものに侵襲してくる。べったりと貼りつき、その接触面から貫通してくるのである。

 ――わたしはわたしの中の生きものたちのことをつねに意識していて、ともすると、いくつかの別々のかたまりの形でわたしの方に寄り添ってくるのを感じることがあるの。それはまぎれもなく複数の、別々の意識の重なりとでもいえるし、もっと具体的な、透明な膜の向こうに蠢く生命活動の原初の連なりとでもいう実感がするのよ。
 女性の意識の中にある、母性を感じる特有のインスピレーションと関連しているのではなく、ひたすら愛おしいようななつかしいような匂いを伴いながら、自らを衝き動かさざるをえない、ある種、連動する他人たちの気配、ふるまい。
 でも、あなたの方に向かうときは、あなたのたったひとつの側面を頼りにただつながっているにすぎないのかもしれない。そして、そのようなわたしが、あなたにとってはわたしたちが、無数にその側面を埋めているに違いないのよ。わたしのこの疼きが一定の充足感を伴い、そのようにしてわたしの存在を示すことにつながっているのだわ。
 そうよ、わたしのこの欠落する意識が、あるいは充実する意識が、ときには痛みとなり、ときには痙攣となり、ときには甘い麻薬となって、あなたに浸透していく……。

 神経細胞のつらなりを流れる電気信号と痙攣。その痛みが細胞体の不安なのかもしれない。秒速百メートルにまで達する速度を持つ、その予期しない叛乱。再生できるのかできないのか。変性による死への予兆が神経線維の端から端まで伝播する。
 私を覚醒させた痙攣が示すものは、こうした肉体の叛乱とでもいいうるものなのかもしれない。それはこの場合、前駆的にふくらはぎの外側にある筋に硬質の痛みを現し、たとえそのとき眠りにあるとしても、痙攣の予感を持続させていく。
 私はその予感とそこから生まれる怯えによって、その意識、長い神経線維を伝播してくる長く、細い意識に、眠りを圧迫されつづける。

全面加筆訂正(2011.12.23)

自由とは何か[002]

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 あなたは私に属しているのか? 私がそのような疑問を抱いてから数日たった夜のことである。それは、私に属するはずの意識のひとつ、肉体の部位としては大動脈の腹部にある解離性の瘤と繋がっているもので、その大動脈瘤の持つ意識ともいえる。意識Aは次のような来歴を私に語り始めた。

 Aが自らを知りえたのは、大動脈に突発的に生じたときではなく、私がAの病理的な存在を認めざるをえなくなった時点であった。Aは最初、私の願望から、自らが一時的な存在で数カ月もすれば瘤としての形は失われるかもしれぬと考えていた。しかし、結局、瘤は閉鎖することはなく存続しつづけた。
「私は、物理的に大動脈に生じたときに誕生したのか、あるいはあなたが私の存在を信じたときに誕生したのか、私自身よく分からないところがある」

 またAは、A自身が血管内に生じた空洞としての物理性であるのか、空洞を造る血管が持つ特殊意識であるのか、あるいはその両者の統合体であるのか、はたまた医学の捏造なのか、私の信仰あるいは妄想であるのか、自分でも確かなことは分からないと繰り返した。
「だが、あなたは肉体を持っているのか?」私はAへの問いかけをこのような言葉で始めることにした。「あなたはAであるはずだから、Aの意識を持つ身体という統合的機能、あるいはある一つの機構としてたしかにある、、ということはいえるのだろうが、血管にできた瘤という、つまり空洞である以上、肉体を欠落させられているといえないだろうか」私はもうひとつの疑問、空洞という肉体はありえるのか、いや肉体はそもそも空洞を包み込んだもの、肉体の本質は空洞にあるのではないかという疑問は、ここでは差し控えることにした。
 Aは「私自身にとっては、肉体の欠落感というものは意識することはできないのだが、私という空洞の反対側、つまり二種類の血管膜のそれぞれの向こう側にあるものは、不可視であるとはいえ、隣接感は直観できる」と応じた。そして、ある重要な問題を提起した。
「その直観は、存在を予感することはできても、何ものをも見ることも、本質に到達することもできず、隣接する感覚はあっても、生起している現象に遭遇することはありえないといえるのではないか。血管の層をなす外膜と内膜の向こうにしか、私にとっては推測できる世界はありえないし、あなたにしたところで、またあなたの一切の問いかけにしても、私の推理でしかないということが、私の本質を決定づけているに違いない」
 大動脈の偽腔であるAの意識は私に以上のような問題を突きつけたのである。

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自由とは何か[001]

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 私は私の属しているものを知ることはできない。また、私が属しているとされるものも、私を知ることはない。さらに、私が私を属しているとするものを推測 することはできるが、ほんとうは知ることはできない。私がこれらを知ることができるとすれば、それはファシズムということであり、私自身の自由からも、あ らゆる存在の自由という問題からも遠く隔てられてしまったものについてである。

(話をどこから始めるか?)
 私はまずあなたに問いかける。あなたは私自身であるかもしれず、また私の隣のあなたであるかもしれない。また、私とはまるで無関係なあなたであるかもし れない。しかし、いずれにしても、私は問いかけるためにあなたを必要としている。だが、私が問いかける事柄はどこからやって来るものなのか。あるいは、い つやって来るのだろうか。そして、ほんとうに問いかける事柄があるのだろうか。けれども、来たるべきものはやはり来るのだという予感はある。しかし。

 そもそも、私は何を問いかけて、その問いかけがどのような意味を持つのかをいまだに知ることができない。何を考えようとしているのか、何を始めようというのか、私にはまだ何も見えていないのである。
 おそらく、私は何かの一部に問いかけているに違いない。その一部がどのようなものの一部なのかは永久に知ることはないだろうが、たしかに何かの一部分であるということに誤りはないだろう。私の考えはこうだ。私はあらゆる「部分」に侵襲されている。

 来たるべきものはたしかに「部分」のうちにあるのだろうし、あなたはその来たるべきものに違いない。しかし、来たるべきものは来ることはないし、いつも私の外側にあるものだ。
 また、それは無垢というものと関係があるのだろうか。私が無垢でなければあなたが無垢であろうし、あなたが無垢でなければ私が無垢であるということなの か。そもそも無垢であるということは許されざるものなのか。そして、そのことが侵襲される理由であるのか。それはこちらとあちら、私とあなたがひとつにな ることを拒むもの。

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nerve fiber

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 太陽が毒をふり撒いていた。
 海岸道路に沿って建てられていたレストランの二階からは、光の小波さざなみが織りなす黄金の海がすべて見霽みはるかすことができた。白木造りのこの長細い建物の窓は、床から天井まで、海の光を全面的に受け容れていた。
 窓際の席につき、メニューを差し出すギャルソンの短く切り詰められた指先を見て、この男も汚濁にまみれたあの部分をその指で掻き回すのだろうかと妙に落ち着かぬ気持で考えていた。濃いコーヒーと紫色のソースの添えられた洋梨のムースを註文すると、海の輻輳する燦きの下に永遠に沈んでいるものという言葉が浮かんだ。
「あのヨットは飛魚ね」
 二人連れの女客の、若いほうの女の声が窓ガラスを切り裂くような鋭さで伝わってきた。たしかに小さなヨットの帆が光の小波の蠢きにつれて見え隠れする。その姿が舞い上がるものの性質を抱えているような気がしないでもない。
 晴れ渡った空は、その青い色彩の中に充満する陽光の発散する磁気のためか、あるいは水の中にひそむ光への憧憬しょうけいのせいか、躍動する黄金の色を帯びていた。
 年上の女の方が若い女の白い指を両の手の平で押し包み、それから歯を立てるのが見えた。若い女は袖なしの白いワンピースから伸びている腕を折り、テーブルに肘をつき、いささかなげやりで不安定な姿勢のまま相手に指をあずけている。つまり、躯全体の重心がわずか数ミリ年上の女の方にずれているだけなのだが、その傾きが危うい淫らさを構成しているに違いなかった。
 だが、官能というほど強い匂いは感じとれなかった。黄金色の光を吸い込んだ若い女の眸は、乾いた無感情とでもいうべき銀色の光沢を凍結させていた。
 こちらからは年上の女の横顔と襟の広い派手なカッターシャツの背中しか見えないが、その肩が小刻みに揺れているような気がした。だが、二人とも視線は海上のハレーションに漂わせているだけのようであった。女の揃った歯が硬質の磁器の無機質性を思い起こさせた。
「夏に入る前が見事ですね。光が溢れていて、その輝きが強過ぎもせず、弱いというでもなく、長いこと眺めていても疲れることがないのです」
 湯気の筋を揺らめかせたエスプレッソの入った白いカップを木目の浮きでたテーブルの上におきながら、中年のギャルソンが話しかけてきた。
「しかし、何というのですか、眠くなってしまうような、そう、麻薬に浸りきってしまうような、そんな気がする時があります」
「あなたはここに長くおられるのですか」
「ええ、生まれてこのかたというわけです」
 このレストランの、この窓から見えるロケーションの中に、というような意味で訊いたのだが、彼はこの海岸地方と彼自身の結びつきを人生の問題として答えたようである。香り高いコーヒーの濃密な味が神経を鋭く刺激していた。小さなカップに幾分かの悲鳴をあげさせながら、まだ話し足りなそうな男から海の光へと視線を戻した。
 だが、光は、ある種のうねりによって、脂ぎって、どろどろの救いのないような粘着性といったものに陥ってしまうような不安がないでもない。そして、そのとき、俺たちはこのコーヒーのような色の汚濁した血を吐くに違いないのだ。その証拠にこれがあるのだ。首からぶらさげたピルケースの中にしまわれたものを、明瞭に思い描いていた。
「心が溶けてしまうわ……」
 女たちの方から、溜息を伴ったかすかな呟きが伝わってきた。どちらの女が発した言葉なのか、判然としたわけではなかったが、海を眺めていた年下の女の顔が一瞬の無表情といったものに囚われていた様子から、その言葉がこちらに背を向けた女のものであると思われた。

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小説の公開について

メニューの豊富化のために、旧作からではあるが、小説の公開も始めようと思う。
また、点数が増えてから、左メニューでまとめようと思う。
詩篇についても、スマホで見るには長大すぎるとの意見も寄せられたので、いくつかに分割することも考えている。
なにせ、まだ構築したばかりのブログなので、少しずつ修正していくつもり。

(Salò 2)

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歴史がなないと 単純なのか
世界の問題なら 人工的な国家かとか

国家と人種を越ええるとの単純性は
魂の問題となりうるのかが
民族問題とはべつべつに
人種問題が先鋭化してて

どんなところかららでも
怒りと悲しみをぶちまけ
実験場、収容所、流刑地、逃避先も
すべてを放棄してしても
新天地は無視できないのか

少年少女の世界にも 迎合、裏切り、密告が
支配者におもねねる 人間の(リ)サイクル
歩行ばばかりか 一本杖でバランスを取り
天安門の虐殺ででも 杖なしで(しかばねでも)あるかねば

圧制を命令する 室内を移動するる老人の
幼児はいなない (埋められた)学生たちも
抗議する日常も 勃起することも もう
射精は可能なのかが 老人たちの肉体には
静観が賢明で 精神の不能はおおいがたがたく

退廃した老人の知性なのか 蒙昧とによよって
わずかの要求なのが 猛反発を喰ららい
文盲の放置の 農村部の教育などの
文化、生活環境の放置ににも

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見夢録: 2013年11月04日 ゴダール、パゾリーニ、フェリーニを材にした詩篇

上海から帰ってから4日になるが、投稿が少し間遠になったようだ。
向こうでの滞在末期に、天安門の例の事件が起こり、なにやら気持ちが落ち着かなくなったこともあるが、当局のネット規制やらが表に出てきて当方のいらいらが昂じていたせいもある。そのため、詩のほうも見夢録のほうも手がつかなかったという次第。
帰国してからは、このブログサーバーのバージョンアップがあって、いくつかの設定ファイルを書き換えていたのでその復旧に手間取ったこともあり、昨日からようやく問題が解決し、ブログも順調に機能している。
それで、昨日夜から詩篇の投稿のための原稿作成を始めたのだが、単純な書き方をしていないのでこれがなかなか時間がかかる。そのことはつまびらかにするつもりはないが、とにかく稿をあげることができた。
内容は説明しないのが詩人のありかたなので、ただ予定としてはこの作品はおそらくあと1、2作の連作になると思う。
そのあと、フェリーニを題材にとるつもりだ。素材稿はすでに準備しているので、そう時間はかからないだろう。
なんだか、ゴダール、パゾリーニ、フェリーニと大天才たちを材にした詩篇を書き続けられるのは、このブログがあったればこそ、でなければ考えもしなかったことを白状しておく。

(Salò 1)

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(Salò 1)

意図的なつくりものをと
欲望は代替物なののかと示して

椅子を要求したら ないからか
接続は不安定で(も) そのつもりで夜もすがら(夜中に)

隣の部屋のペアの シャワーの音が(中国語が)つづく
叩き起こされてても つづつづくが

(ようやく)たちあがる 配信サービス
(デモ)だからかじりつき それでも虐殺の鐘が
大寺院の堂塔からか がらがらと鳴りはじめ

ならず者の四人組の配役が
大統領、司教、法院長、公爵たちの
支配層から 性の残酷な遊戯場が

いくつもの頂点が 世紀末にかさなって
(上海の新世紀地区にいるが)
25年前の北京で、端末のはじまりのころ

無限に新しいパゾリーニが
(ムッソリーニの死後とはいえ)
監視下でも 左右のファシストと闘い
民主主義とさえ アナーキスティックな闘いをつづけ

その映画のことをに 旅をかぶぶせて
考ええては歩きつづける

レンガ造りの古いエレガントな
公館の ペレストロイカと関係ない
改造した 長い石段を登り
神の体系を開示して 人間(には|も)残酷だから

裸にしただけなのだ だからマルキ・ド・サドなのだ
カウンター越しに ヘッドセットからノイズよ届けと
首を伸ばして ラブホテルの権力システムの
道具に 傀儡の道化は寓話だかから

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見夢録: 2013年10月31日 上海空港に入った途端

すごいなあ。
上海空港でアクセスした途端、スピードも高速になり、「天安門」などの検索ワードがYahooでしか結果ベージが出なかったのが、どこのアクセスも問題なくなったようだし、ここの管理ページを含め、メールのやりとりまで、いっきょにスムーズになった。
もちろん、同一の中国聯通のSIM、同一のモバイルルーターを使用している。
中国の管理機関は国際空港は治外法権だとでも認めざるをえないのかな。

と思ったけど、Twitterはだめだった。

見夢録: 2013年10月29日 鄧小平のとった道

中国という国は、強力な軍事基盤と政治的統制力の上で、経済というおもちゃをもてあそんでいる幼児なのだ。
たしかに、「先富」政策により積み木のような大伽藍は目を瞠るがごとくにそびえたった。だが、「起来」の、底なしの人民の闇、点と線ではない広大な国土と人種、宗教の複雑さを掬い上げることなどとても手に負えないのだ。
そのうえ、激烈な貧富の差、不正、富の独占、西洋的な凄まじい欲望の嵐。このおもちゃは、やはり呪われた道具でもある。「 起来」を果たせず死んだのは犯罪である。
いま中国はこのおもちゃをもてあまし、刹那的な富という飴玉をしゃぶらされたままの嬰児 が、駄々をこねて泣き叫んでいるようなものだ。
そしてふたたび、あまりに巨大な国の、本当に底しれぬ暗黒から、カール・マルクスの予言したあの怪物が蠢きはじめている。
この世界資本主義経済の末期に悪魔のおもちゃに溺れたこの国は、他の国と同じような運命をたどらざるをえない。それは、権力の分断、国土の分割、分裂国家の苦しい道のりのことである。
その先のことを述べるのは、まだ性急にすぎるだろう。とにかく、 鄧小平のとった道は、悪魔にささやかれたあの道であったということだ。