(Salò 2)

1 2 3 4 5 6

歴史がなないと 単純なのか
世界の問題なら 人工的な国家かとか

国家と人種を越ええるとの単純性は
魂の問題となりうるのかが
民族問題とはべつべつに
人種問題が先鋭化してて

どんなところかららでも
怒りと悲しみをぶちまけ
実験場、収容所、流刑地、逃避先も
すべてを放棄してしても
新天地は無視できないのか

少年少女の世界にも 迎合、裏切り、密告が
支配者におもねねる 人間の(リ)サイクル
歩行ばばかりか 一本杖でバランスを取り
天安門の虐殺ででも 杖なしで(しかばねでも)あるかねば

圧制を命令する 室内を移動するる老人の
幼児はいなない (埋められた)学生たちも
抗議する日常も 勃起することも もう
射精は可能なのかが 老人たちの肉体には
静観が賢明で 精神の不能はおおいがたがたく

退廃した老人の知性なのか 蒙昧とによよって
わずかの要求なのが 猛反発を喰ららい
文盲の放置の 農村部の教育などの
文化、生活環境の放置ににも

1 2 3 4 5 6

見夢録: 2013年11月04日 ゴダール、パゾリーニ、フェリーニを材にした詩篇

上海から帰ってから4日になるが、投稿が少し間遠になったようだ。
向こうでの滞在末期に、天安門の例の事件が起こり、なにやら気持ちが落ち着かなくなったこともあるが、当局のネット規制やらが表に出てきて当方のいらいらが昂じていたせいもある。そのため、詩のほうも見夢録のほうも手がつかなかったという次第。
帰国してからは、このブログサーバーのバージョンアップがあって、いくつかの設定ファイルを書き換えていたのでその復旧に手間取ったこともあり、昨日からようやく問題が解決し、ブログも順調に機能している。
それで、昨日夜から詩篇の投稿のための原稿作成を始めたのだが、単純な書き方をしていないのでこれがなかなか時間がかかる。そのことはつまびらかにするつもりはないが、とにかく稿をあげることができた。
内容は説明しないのが詩人のありかたなので、ただ予定としてはこの作品はおそらくあと1、2作の連作になると思う。
そのあと、フェリーニを題材にとるつもりだ。素材稿はすでに準備しているので、そう時間はかからないだろう。
なんだか、ゴダール、パゾリーニ、フェリーニと大天才たちを材にした詩篇を書き続けられるのは、このブログがあったればこそ、でなければ考えもしなかったことを白状しておく。

(Salò 1)

1 2 3 4 5

(Salò 1)

意図的なつくりものをと
欲望は代替物なののかと示して

椅子を要求したら ないからか
接続は不安定で(も) そのつもりで夜もすがら(夜中に)

隣の部屋のペアの シャワーの音が(中国語が)つづく
叩き起こされてても つづつづくが

(ようやく)たちあがる 配信サービス
(デモ)だからかじりつき それでも虐殺の鐘が
大寺院の堂塔からか がらがらと鳴りはじめ

ならず者の四人組の配役が
大統領、司教、法院長、公爵たちの
支配層から 性の残酷な遊戯場が

いくつもの頂点が 世紀末にかさなって
(上海の新世紀地区にいるが)
25年前の北京で、端末のはじまりのころ

無限に新しいパゾリーニが
(ムッソリーニの死後とはいえ)
監視下でも 左右のファシストと闘い
民主主義とさえ アナーキスティックな闘いをつづけ

その映画のことをに 旅をかぶぶせて
考ええては歩きつづける

レンガ造りの古いエレガントな
公館の ペレストロイカと関係ない
改造した 長い石段を登り
神の体系を開示して 人間(には|も)残酷だから

裸にしただけなのだ だからマルキ・ド・サドなのだ
カウンター越しに ヘッドセットからノイズよ届けと
首を伸ばして ラブホテルの権力システムの
道具に 傀儡の道化は寓話だかから

1 2 3 4 5

見夢録: 2013年10月31日 上海空港に入った途端

すごいなあ。
上海空港でアクセスした途端、スピードも高速になり、「天安門」などの検索ワードがYahooでしか結果ベージが出なかったのが、どこのアクセスも問題なくなったようだし、ここの管理ページを含め、メールのやりとりまで、いっきょにスムーズになった。
もちろん、同一の中国聯通のSIM、同一のモバイルルーターを使用している。
中国の管理機関は国際空港は治外法権だとでも認めざるをえないのかな。

と思ったけど、Twitterはだめだった。

見夢録: 2013年10月29日 鄧小平のとった道

中国という国は、強力な軍事基盤と政治的統制力の上で、経済というおもちゃをもてあそんでいる幼児なのだ。
たしかに、「先富」政策により積み木のような大伽藍は目を瞠るがごとくにそびえたった。だが、「起来」の、底なしの人民の闇、点と線ではない広大な国土と人種、宗教の複雑さを掬い上げることなどとても手に負えないのだ。
そのうえ、激烈な貧富の差、不正、富の独占、西洋的な凄まじい欲望の嵐。このおもちゃは、やはり呪われた道具でもある。「 起来」を果たせず死んだのは犯罪である。
いま中国はこのおもちゃをもてあまし、刹那的な富という飴玉をしゃぶらされたままの嬰児 が、駄々をこねて泣き叫んでいるようなものだ。
そしてふたたび、あまりに巨大な国の、本当に底しれぬ暗黒から、カール・マルクスの予言したあの怪物が蠢きはじめている。
この世界資本主義経済の末期に悪魔のおもちゃに溺れたこの国は、他の国と同じような運命をたどらざるをえない。それは、権力の分断、国土の分割、分裂国家の苦しい道のりのことである。
その先のことを述べるのは、まだ性急にすぎるだろう。とにかく、 鄧小平のとった道は、悪魔にささやかれたあの道であったということだ。

見夢録: 2013年10月28日 反政府闘争か

上海にいて、書き込みなど規制されているのでここから。
毎日新聞で「中国:天安門前の事故、死者5人に 日本人含む38人負傷」とでたので、やはり反政府闘争のようだ。
25年前、ここから北京に潜入し、事件の直後を目に焼き付けてきたことを思い出す。
心はあの北京に。

(東風1989)

1 2 3 4

化石ではない現存の 哲学的な
思想家 行動者で つよくつよく
壊れかけた椅子 割れたガラス窓の
奥の狭い部屋で 家族はいるかいないか

小さなテーブルを囲んだ家では
八角茴香(アニス)の香り
にんにくや、その他の刺激的な
皿に盛られた包子(パオズ) 上半身裸の父親

ラベルのない緑色の壜 生温かいビールの
裏道はだんだん狭くなり 蟻塚は数を増す
ここのとんでもない数の人間を 権力で
抑えきることができるのか

そんなことなどできない!

幼年期は いくらでも夢を食べて
黄金時代だとか 留守状態を考える
満たされた者とは だれだったのか
を知りたいとも考えずに

いつだって 本人にしかわからない
そう信じて 駅の線路を渡ってから
右に曲がって 少し行ったあたり
夢の中に出てきて 不思議な気が

過去に返ってきても
散弾のように ことばをばらまいて
突き当たってしまいそうだ
汚れた石の壁 蛸壺の住処に

長屋だ ところどころに水場が
ここで水を汲み 洗濯をし
共同便所があり フランスの犯罪
アルジェリア問題について

1 2 3 4

まぎれもない感受性だけが

1 2 3 4

交替を待ってて
心停止の 鼓動の残響はひき
つつづき 言葉をかけたり
触れることとばも にたりよったり

ではなく にたりよったりの
二種類のカードを 買うのか
なぜ縛られて(矯正され) 両方ともしまい
充填するのに 命じられにやり

人間はありとかはちなのだからとの
ものを扱う権力とはの ものの姿からは
人間ごみをごみごみだから 容赦なく
強権的な姿をみよや はかたりきと

上海の地鉄乗り換えでは 慎重になって
列を間違ええないのに 並ぶともむだな
音楽をきかされ 自発呼吸はつづくのだが

羽ばばたく鳥もどうあれ
仔犬さえあやぶまれ 引きずられれ
ぶらぶらら吊られ 意識回復の
ど、努力なのか 体温を下げるるは

ラジオを聴かせ ぴくぴく
体を触り 刺激を与え
まぶたの筋肉 がまぶたの気(功)になり

人民広場のベンチで 黒人の指先で
籠球がくるくるまわり 紅いチーフなど
忘れはてて少年が かわりに親指をたてて

バイタルの ランプの点滅々が
変わらぬ品質で ピートの香りも
透明な風景もも 生命維持の数値なんかは

1 2 3 4

(中国女)

1 2 3

唇を指でさする ( )の女性観
自由でないから 不幸なのか
不幸だから 自由でないのか

はじめは食べることとの
うろつく から回し 尻尾を
たてて 緊張する赤犬のから

何の効果もない 蘇生器を
装着して 酸素吸入して
心臓マッサージ ムンドアンドムンド
人工呼吸と、長回し

物質とは 線の方向に切れれば
同時に垂直にも切ったとき
現れれるものかどうか

密告、監視 というと市民社会の
権力、警察の動き の機械的な
馴致されざる ではない

時間の全体が 世界ととともに
そのの一点に凝縮され 何ものかへ
と開かれる アングルが

( パリの) チンピラたちの 秘密メモの
ネットワーク あててにならない
強い絆、友情と打算の 小市民らしく

藹々とした( 北京の) 夜もがらす
橙色の照明灯のほかのすべてが
すべすべと 霧に閉ざされた( 天安門) 広場
ほかほかの近代都市(北京)に 深いふしぎな闇は

1 2 3